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哲学とWikipに関するshimomurayoshikoのブックマーク (10)

  • プラグマティズム - Wikipedia

    プラグマティズムの思想家たち、パース(左上)、ジェームズ(右上)、デューイ(左下)、ミード(右下) プラグマティズム(英: pragmatism)とは、ドイツ語の「pragmatisch」という言葉に由来する、実用主義、道具主義、実際主義とも訳される考え方。元々は、「経験不可能な事柄の真理を考えることはできない」という点でイギリス経験論を引き継ぎ、概念や認識をそれがもたらす客観的な結果によって科学的に記述しようとする志向を持つ点で従来のヨーロッパの観念論的哲学と一線を画するアメリカ合衆国の哲学である。 概要[編集] プラグマティズムは1870〜74年の私的なクラブに起源を有する思想であり、その代表的なメンバーとしてチャールズ・サンダース・パース[1]、ウィリアム・ジェームズらがいる。 プラグマティズムはジェームズによって広く知られるようになり、20世紀初頭のアメリカ思潮の主流となった。心理

    プラグマティズム - Wikipedia
  • ルサンチマン - Wikipedia

    この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2013年1月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2013年1月) 出典検索?: "ルサンチマン" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL ルサンチマン(仏: ressentiment、 (フランス語発音: [rəsɑ̃timɑ̃]) )は、弱者が敵わない強者に対して内面に抱く、「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情[1]。そこから、弱い自分は「善」であり、強者は「悪」だという「価値の転倒」のこと[1]。 概要[編集] 「ル」をフランス語の定冠詞 le と誤解して「ル・サンチマン」と表記されることがあるが、誤りである(l

  • アプリオリ - Wikipedia

    アプリオリ(羅: a priori)とは、「より先のものから」を意味するラテン語表現。中世スコラ学においては「原因・原理から始める演繹的な(推論・議論・認識方法)」という意味で用いられていたが、カント以降は「経験に先立つ先天的・生得的・先験的な(人間の認識条件・認識構造)」という意味で用いられるようになった[1]。 概要[編集] カントにおける「アプリオリ」の概念[編集] 「わたしは何を知ることができるか」「わたしは何をなすべきか」を問い、自然や人間を認識する「理性」(理論理性)の限界を明らかにするために批判哲学を打ち立てた18世紀ドイツの哲学者イマヌエル・カントは、哲学もまた数学や自然科学にならって、必然的で普遍的な思考方法を獲得しなければならないと主張した。そして、そのためには、人間のあらゆる経験から独立して、理性自身が認識のわく組みを決めることができなければならない、とした。これが「

  • カルテジアン劇場 - Wikipedia

    経験される対象は脳の中に住んでいる小人の前で上映される カルテジアン劇場(カルテジアンげきじょう、Cartesian Theater)とは、心身二元論に基づく伝統的な意識のモデル(意識のホムンクルス・モデル)を批判するために、アメリカの哲学者・認知科学者のダニエル・デネットが用いた比喩。 カルテジアンとは「デカルトの」という意味で、デカルト劇場、デカルトの劇場などと訳されることもある。 人間の脳に意識の主体である小人(ホムンクルス)が居ると仮定すると、その小人は人間の経験した感覚を(劇場で映画でも見るように)鑑賞しているのか、それでは無限後退ではないか、という論法で小人の存在を否定する。 デネットは1991年の著作『解明される意識』(Consciousness Explained) のなかでこの比喩を用いてホムンクルス・モデルを批判し、代わるモデルとして意識の多元的草稿モデル (Multi

    カルテジアン劇場 - Wikipedia
  • 同一性 - Wikipedia

    この項目は内容が専門的であり、一般の閲覧者にはわかりにくくなっているおそれがあります。専門用語をわかりやすい表現にするための修正をして下さる協力者を求めています。(2020年4月) この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "同一性" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2020年6月) 同一性(どういつせい)とは、主に英語の「identity」を翻訳した語であり、多義語である。日語に即して説明すれば、ひとくちに同一性といっても二種類の意味があり、「Aは何者なのか」という意味での同一性と、「AとBは同じだ」という意味での同一性がある。さらに以下のように細分化して言い換え

  • ゲーデルの不完全性定理 - Wikipedia

    ゲーデルの不完全性定理(ゲーデルのふかんぜんせいていり、英: Gödel's incompleteness theorems、独: Gödelscher Unvollständigkeitssatz)または不完全性定理とは、数学基礎論[1]とコンピュータ科学(計算機科学)の重要な基定理[2]。(数学基礎論は数理論理学や超数学とほぼ同義な分野で、コンピュータ科学と密接に関連している[3]。) 不完全性定理は厳密には「数学」そのものについての定理ではなく、「形式化された数学」についての定理である[4][注 1]。クルト・ゲーデルが1931年の論文で証明した定理であり[5]、有限の立場(英語版)(形式主義)では自然数論の無矛盾性の証明が成立しないことを示す[3][5]。なお、少し拡張された有限の立場では、自然数論の無矛盾性の証明が成立する(ゲンツェンの無矛盾性証明(英語版))[3][注 2]。

  • 悟性 - Wikipedia

    悟性(ごせい)とは、英語のUnderstanding、ドイツ語のVerstandに対する西周による訳語である。日においては来禅の用語であった。英和辞典や独和辞典を参照しても分かるように、この語はもともと「知性」や「理解力」などと同意義であるが、西洋哲学においては様々な哲学者がそれぞれの定義の下で用いる。ただ「知性」「理性」「感性」などとくらべて一般認知度が高い言葉とはいえず、悟性という言葉が、それが対応する外国語を邦訳する際に適切な言葉であるかどうかの問題がある。ただ、これではわかりにくく山口裕之は「理解力」と訳すのが良いと述べている。 概要[編集] 一般論としては、対象を理解する能力が悟性であり、その理解をもとに推論を行うのが理性である。 ジョン・ロックの「人間知性論(An Essay Concerning Human Understanding)」の最初の和訳は「悟性論」であった。

  • テセウスの船 - Wikipedia

    この項目では、パラドックスの「テセウスの船」について説明しています。東元俊哉の漫画およびそれを原作としたテレビドラマについては「テセウスの船 (漫画)」をご覧ください。 テセウスの船(テセウスのふね)はパラドックスの一つであり、テセウスのパラドックスとも呼ばれる。ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という問題(同一性の問題)をさす。 パラドックスのバリエーション[編集] ギリシャ神話[編集] プルタルコスは以下のようなギリシャの伝説を挙げている。 テセウスがアテネの若者と共に(クレタ島から)帰還した船には30の櫂があり、アテネの人々はこれをファレロンのデメトリウス(英語版)[注釈 1] の時代にも保存していた。このため、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、論理的な問題から哲学者らにとって恰好

  • 我思う、ゆえに我あり - Wikipedia

    「我思う、故に我在り」(われおもう、ゆえにわれあり、仏: Je pense, donc je suis[1]、羅: Cogito ergo sum)は、デカルトが仏語の自著『方法序説』(Discours de la méthode)の中で提唱した有名な命題である。『方法序説』の他、『省察』、『哲学原理』、『真理の探究』でも類似した表現が使われているが、一様でなく、その解釈について争いがある。ラテン語訳のCogito, ergo sum(コーギトー・エルゴー・スム、cogito =我思う、ergo = 故に、sum = 我在り)との標題が有名だが、これは第三者の訳による『真理の探求』で用いられたもので、デカルト自身がこのような表現をしたことはない。『方法序説』の幾何学部分以外は、神学者のエティエンヌ・ド・クルセル(Étienne de Courcelles)がラテン語に訳し、デカルト自身が校

  • ヘンペルのカラス - Wikipedia

    だが(この世の)全ての黒くないものを、漏れなく全て調べ、もしそこにカラスが一羽も混じっていなければ、「全てのカラスは黒い」と証明できたことになる。(この写真は、全ての黒くないもの の ほんの一部でしかないが、とりあえずリンゴの一部を調べている段階のイメージ)。 前の写真の続き。この写真は(この世の)全ての黒くないものを調べるために、その一部である、黒くないタオルの一部を調べて、そこにカラスが混じっていないか、確認している段階のイメージ。(この世の黒くないもの全部を調べなければならないので、世界中(宇宙中)を駆け巡らなければならず)一体どれだけ調べればよいのか...誰にも見当がつかないが、もしも仮に... 全ての黒くないものを調べることができるのなら...もし仮にそんなことができると仮定して、なおかつ、そこに一羽のカラスも入っていなければ、「全てのカラスは黒い」と証明できることになる。 その

    ヘンペルのカラス - Wikipedia
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