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ブックマーク / apesnotmonkeys.hatenablog.com (5)

  • 驚くのが10年遅いですよ - apesnotmonkeysの日記

    育鵬社の公民の教科書にインテリジェント・デザイン説が登場、ってことが話題になってますので、旧ブログの記事をサルベージしてみました。 http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20050928/p1 http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20051019/p1 http://d.hatena.ne.jp/apesnotmonkeys/20060304/p1 自分たちの世界観に添った主張をするためなら学問なんて踏みにじっても平気、という点で江戸しぐさもインテリジェント・デザインも親学も EM もみ〜んな歴史修正主義とつながってます。歴史修正主義を甘やかしてきた結果がこれなんです。

    驚くのが10年遅いですよ - apesnotmonkeysの日記
    shimomurayoshiko
    shimomurayoshiko 2014/05/13
    インテリジェント・デザイン説
  • 上には上が! - apesnotmonkeysの日記

    昨日の続きです。こちらも約30年続いていた慣行だそうで。 asahi.com 2012年1月17 「猛者揃い?わずか2日で柔道黒帯 大分の体育教員研修」 大分県柔道連盟が県内の中学、高校の体育教員に、2日間の講習を受けるだけで柔道の黒帯(段位)を授与していたことがわかった。講習は、同県教育庁が連盟に委託して開いており、約30年前から毎年1回行っている。 県教育庁体育保健課によると、2011年度は14人が、10年度は5人が受講し、全員、初段になり黒帯をもらった。これまで受講した体育教員のほとんどが合格したという。 (後略) こちらは「全員」ではなく「ほとんど」が合格とされてますが、まあ実質的には同じことですよね。 ところで、武道(およびダンス)の必修化にあたってその危険性がどの程度国会で議論されたのか、ごくごくおおざっぱな調査をしてみました。国会の議事録過去10年分を「柔道 必修化 事故」お

    上には上が! - apesnotmonkeysの日記
  • 「自称中立」さんの臆面のなさ - apesnotmonkeysの日記

    ネットでも実生活でもやらねばならんことが溜まっているのですが、この数日間ついうっかりツイッター上で絵に描いたような自称中立さんの相手をしていました。furiskyさんの「公務員バッシングと世界の常識」というエントリに私がつけたブクマ(ツイッターと連動)に反応があったのがきっかけです。詳しくご紹介するような値打ちなどないのでざっくり感想だけ。国旗・国歌の強制に抗う側も強制する方も「親からしたら、どっちも同じ」と言っておきながら、「じゃあなぜ教師の方だけを非難するのか?」についてはそれらしい理由をこじつける手間さえかけないという、実にカジュアルな「自称中立」っぷりです。あげく、「あなたは「長いものには巻かれろ」主義者なのですか? 「イエス」と答えていただければすべて得心がいくのですが」という私の問いに対して、「極端な言い方ですが…」という但し書きつきながら「簡単に言えば、そうだと思います」と答

    「自称中立」さんの臆面のなさ - apesnotmonkeysの日記
  • 雑感 - Apes! Not Monkeys!  本館

    私が子どもだった頃は関西のテレビやラジオで放送される落語が上方落語中心になってゆく時期だったこともあり、立川談志の落語はほとんど聞いたことがない。しかしメディアを通じて時折伝わってくる談志のイメージというのはどうしても好きになれなかった。以前にとりあげたこともある、再審で無罪になった免田栄さんについて「やってねえわけねえんだ」と放言した件などが好例だろう。熊さん八つぁん(上方落語なら喜六清八)ってのはこういう場合、なにをおいてもまず「それにしても奉行所ってのはひでえところだ」と言うもんじゃないの? と思ったものだ。しかしその後彼が著書で「落語は業の肯定である」と主張しているということを聞いて、「なるほど」と腑に落ちた。「業」という概念をどう理解するかについての詳しい議論はひとまず棚上げして“人間の弱さや愚かさ”などと理解しておくことにすると、なるほど落語にはそう評しうる側面は確かにあるだろ

    雑感 - Apes! Not Monkeys!  本館
  • 歴史修正主義と「欠如モデル」 - apesnotmonkeysの日記

    地下氏の というツイートをきっかけとしたやり取りがまとめられています。 http://togetter.com/li/217093 ご覧いただければ明白なように完全な堂々巡りになっちゃってますので、こちらで私見をまとめておきます。 歴史修正主義という問題の一つの側面を科学コミュニケーションのそれとして理解することは可能であるし、啓発的でもありうると思いますが、もしそのように理解するのであれば歴史修正主義は「欠如モデル」の限界を示す好例である、と考えるべきです。 もちろん、南京事件なり従軍「慰安婦」問題についての「知識の欠如」は存在しています。そしてそうした「知識の欠如」が歴史修正主義者にとって都合のよい環境をつくりあげていることも確かでしょう。しかし歴史修正主義が問題である所以は、どれほど「知識」を注入したところで大多数の歴史修正主義者は見解を改めたりしない、というところにこそあります。

    歴史修正主義と「欠如モデル」 - apesnotmonkeysの日記
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