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  • 生き延びて中国に渡り馬賊の頭目になった男 “原田左之助” | 歴史人

    新選組結成時からの生え抜きで、常に第一線で活躍した原田左之助(はらださのすけ)。剣客特有の暗さや政治的な動きとは無縁の直情径行な男の生涯に迫る。 剣術に加え槍術を得意としていたと伝わる原田左之助。事実無根だが、坂龍馬暗殺の犯人として疑われたこともあった。甲州勝沼の戦いのあと、永倉新八ともに新選組を離脱する。 新選組には、奇妙な体験や人生を歩いた隊士が数人いる。原田左之助もそうした1人であろう。 原田は、伊予松山藩の江戸屋敷で足軽の長男として生まれた。天保11年(1840)5月のことである。子どもの頃から頭が良く、読み書きもできたことから、江戸屋敷で足軽・中間として勤めるようになると、先輩などから苛められた。ある時、上司ともいえる武士と口論になり「腹を切る作法も知らない卑しい奴」と罵られた原田は、カッとなってその場で刀を抜くと自らの腹を右から左に切り裂いた。大騒ぎになったが、幸いに傷は浅く

    Louis
    Louis 2021/12/22
    「新選組結成時からの生え抜きで、常に第一線で活躍した原田左之助(はらださのすけ)。剣客特有の暗さや政治的な動きとは無縁の直情径行な男の生涯に迫る」
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