「シックス・センス」みたいな。
ユーフォの総集編映画に客が来るのは音響とかはもちろんだけど安心して良い作品が見れるという保証もひとつの要素としてあるだろうな。 冒険せずして一定の感動を得られる。
映画を観に行ったけど、ていうか原作の頃から思っているのだけど、 これって、京都大学の学生か、学生だった人以外に楽しめるものなのか? 楽しめるのかも知れないけれど、なんだか京大生や京大生だった人と、それ以外の人とでは感じ方がまるで違う(違うモノを見ている)気がしてしまう。
ネタバレ パンツに青春を賭けた男とパンツを度々盗まれる男とパンツの見えない女の子が繰り広げるドタバタスラップスティックコメディ。 男の娘もいるよ。ミュージカル要素もあるよ。 星野源はそんなに演技が上手いわけではないけど、ハマリ役だと思う。 評価 嵐のシーンで0.5秒ほどパンツ(男物のブリーフ)が見えました。 パンツが見えたので星三つです。
SAOって異様にハードルの高い作品だと思うんだけどよくあそこまで受けたな。 (新/旧の)MMORPGの知識、作品内の創作ゲームのシステムも直感的に理解するならテレビゲーム全般の知識が必要だし。 SFの知識、(初歩的な部分とはいえ)IT系の知識も必要 序盤でキリトが 「モブのリソースが限られてるから別の場所に移動してそっちでレベル上げしたほうがいい」 的な発言も理解するには相当MMORPGの前提知識が必要なはずなんだけど、ポンポン出てくるし。 実際アニメの時理解できない人が山ほど沸いてた。 昔懐かしい鯖に一つ二つしかない限定武器とかも今のMO世代だと理解できなくて混乱を招いてたし。 そもそもVRとARという用語自体が専門用語なんだよな。 本質的に廃人なキリトの倫理感も理解するの難しかったりするし。 GGOでは暴露療法を理解できなくて皆わめいてたし。
序文: 私は所謂【俺TUEEEE】が嫌いだ。 主人公が画面の中で無双しているのを自己に投影することで、リアルでは弱い自分を忘れて気持ちよくなるだけの虚無な行動。 あんなのはただのオナニー、自己満足であり【俺つえー】アニメを見て喜ぶのは猿の知能レベルとなんか変わらない。 最近の話題に無理やり絡めると、けものフレンズを見てIQが溶けて喜んでいる人たちもいるようだが、脳細胞が破壊されて喜ぶ人たちの気持ちがわからない。 SAOは職場のアニメクラスタと話を合わせるために1期2期共にほぼリアルタイムで視聴した。 内容はそこそこには面白かったが、主人公キリトの【俺TUEEE】要素はあまり好きになれなかった。 今思えば魔法科高校の劣等生も司波達也が蘇生したあたりで萎えてしまったし、テニスの王子様も越前リョーマが無我の境地で相手の技をコピーし始めたあたりでギャグ漫画として捉えるようになってしまった。 長い前
ずいぶん前から「森見登美彦原作の『夜は短し歩けよ乙女』がアニメ『四畳半神話大系』と同じスタッフでアニメ化される」という妄想をしてきたのだが、期待しすぎてなんでもこじつけるようになってしまったのか、今年に入ってから「これはフラグじゃないか」と思うようなことがたくさん起きている。 そして、つい最近になって、これはもう決まりでしょ、と勝手に確信を持った出来事があった。 とはいえただの妄想なのでここに記す。 まず前提として、2つの確定した事実がある。 1.湯浅政明監督は現在、小説を原作とした劇場アニメを制作している。2.イラストレーターの中村佑介氏が関わっている劇場用アニメーションの企画が存在する。 まず1について。 湯浅政明監督が劇場アニメを制作するというのは2015年3月に開催された東京アニメアワードフェスティバル2015授賞式で発表されていたが、この時はフジテレビと共同で、伊東伸高氏と組んで
【サブカル】 映画 SF・ミステリ 村上春樹 東浩紀 アフタヌーン ビーム 曽我部恵一 Alfred beach sandal レコード・コレクターズ 【下級サブカル】 CUT クイックジャパン お笑い芸人 ロキノン系 【上級オタク】 作画オタ コミティア メタル 【オタク】 アニメ 漫画 ゲーム ソシャゲ ラノベ プロレス アイドル オタクは性欲、暴力、射幸心に中毒性等、低次元な欲求を満たす文化。 サブカルのほうが明らかに知的優位に立っているので、どちらが上かを議論する必要は無い。 サブカルとオタクは負け犬同士であり、両者が争ってもみじめなだけ。 サブカルとオタクの敵は美術やクラシック音楽などのハイカルチャーであるべき。 あと「映画オタ」という言葉はおかしい。映画はサブカルだから。 映画館で上映するアニメは「劇場用アニメ」であり、映画ではない。
映画版「ハーモニー」を見た後、「屍者の帝国」も見てきた。 「ハーモニー」が百合で、「屍者の帝国」が┌(┌ ^o^)┐だった。 *** 以下、ネタバレを含みます。 *** 内容を要約すると、 ワトソン→フライデーからのフライデー→ワトソン。 ロンドン塔で、フライデーがザ・ワンにNTRRるが、ザ・ワンを倒して、ワトソン×フライデーの世界へ。 と思いきや、エンドロール後にワトソンがホームズにNTRR。それをじっと見つめるフライデー。 サイドストーリーとして、 バーナビー×クラソートキン、クラソートキン×アリョーシャ、バーナビー×山澤清吾など。 詳細はpixivで。 「屍者技術」は原則的に男性のみに施す、というのが原作での設定だから 「屍者の帝国」はまさに「腐女子向けの帝国」になるんだなぁ。
(注意:以下の文章には『風の名はアムネジア』(1990年の映画)のネタバレが含まれています。) 俺は『風の名はアムネジア』(原作:菊池秀行、1990年のアニメ映画)が嫌いだ、はっきり憎んでいると言ってもいい 知らない人のためにざっくり紹介すると ある日突然地球上の人類すべてが記憶をなくし文明は崩壊する、車イスの超能力少年とか出てくるがすぐに死ぬ、その後文明崩壊後の地球をメーテルと一緒に旅して、最終的に機械の体ではなくメーテルの体を手に入れるタイプのキノの旅だ 原作を読んだことはないので一度だけレンタルビデオで見たその記憶だけで話す 何が嫌いかというとそのオチである ・まずメーテルは宇宙人である ・そしてこの話は『ある日突然人類すべてが記憶をなくす』ところから始まるが、それはこの宇宙人どもの仕業である ・なぜそんなことをしたかというと、この宇宙人ども、長い旅路の果てに地球を見つけ、「こいつら
原作の「冒険者たち」と比較して批判するならともかく、どうしてアニメの「ガンバの冒険」基準で言っているのか。 いや、理由は分かってる。 自分たちがアニメ版しか知らないからだろ。 しかし原作小説のファンの立場から言わせてもらえば「ガンバの冒険」だって原作とは別物だぜ。 土着の伝統芸能の再興事業に、後から引っ越してきた人たちが文句を言っているような理不尽さを感じる。
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