別に、「碧志摩メグやのうりんポスターは問題ないだろ」と言うならそれはそれでいいけれど 「そんな事より現実の性犯罪に取り組め」と言われても それって別にどっちか片方しか出来ない問題じゃないだろ、論理が破綻してるよ…って思う。
のうりんポスターにクレームが入った件で「ガルパンはのうりんみたいなクソアニメとは違う」と自慢げだった連中が ガルパンのイベントにクレームが入った件で共産党を叩きまくってんの最高にニーメラー。
のうりんポスター問題で批判側の態度が少し気になりました。抽象性の高い理屈と、個々の事例の話を分けて考えてない人が多いのではないでしょうか。 たとえば信号無視は良くない行為ですが、夜中で車が全くいないのに道を渡るときに赤信号で待つかどうか、ということです。理屈ではダメな事だが実際には状況によってほぼ問題ないということはよくあるわけです。 理屈は個々の事例すべてに同じように適用できるわけではありません。それぞれの事例の状況を鑑みて判断をする必要があります。 たとえば今回のポスターのイラストがアニメショップののうりんコーナーで使われてる、なら問題視されなかったでしょう。アニメショップは誰でも出入りできる場所ですが、実際に訪れる人でイラストに強い不快感を感じる人は少ないからです。 同じように美濃加茂市のイベントでも理解のある地元民かイベント参加者以外がほとんど目にすることがないのであれば、問題はな
だからあの良田胡蝶ってキャラ名でぐぐってみたわけよ そしたら資本主義の牛良田胡蝶とか言って露出しまくりな牛ビキニを乳首見えないのが不思議なところまでたくし上げて乳を露出してる画像や、銭湯ですっぽんぽんで胸にリンゴを乗っけてる画像や牛ビキで首に鈴つけて発情顔で農場で四つん這いしてる画像なんかが出てきたわけですよ キャラ萌えスレまとめみたいなんも見てみたら、ウサギを可愛がってる姿を写真にとられて脅されて、バニーちゃんの格好でダブルピースとかさせられて、しまいには乳に人参挟まれて、ウサギは服着てないからレオタードも脱ごうねーとか言われてるコミカライズまで出てきたわけよ あれはエロアニメであり、良田胡蝶にしてはあのポスターなんか全然大人しいって解って貰いたかったんか?
美濃加茂市の「のうりん」ポスター炎上事件で、 「アニメだから駄目なのじゃなくて、こういうポスターは三次元でも駄目だ」 「オタクが差別されているんじゃない。こういうポーズをグラビアアイドルがやっていてもアウトになる」 なんて意見があるけれども、自分はほとんど同意できない。 私は二次元に比べて三次元の方が卑猥に感じる。三次元のグラビアアイドルの写真は直接的に女性の肉体を見せつけるのに対して、二次元はただの絵だ。写真と違って、絵はその向こうに実在の女性がいるわけでもないから、そのイメージは現実世界にいる女性と結びつきづらい。しかも「萌えキャラ」の描き方は抽象的すぎて、もはや完全に現実離れしてしまっている。あれは人間の体ではない。 だから対象が同じポーズを取っているとしても、二次元は卑猥に感じにくいという気持ちがある。 グロ画像もそんな感じだ。例えば現実にむごたらしく殺された人の死体写真を見ると、
あのポスターが唯一掲示されていたのは、会場の最寄駅である「JR美濃太田駅」ただ一駅だけだ 「会場の最寄駅にしかないポスター」は、そもそも既にゾーニングされていた筈である わざわざ「JR美濃太田駅」に行かなければ見られないポスターは、あの程度の性表現ならば、既に十分なゾーニングがなされていたと考えられる 批判者側の「駅は公共性がある」とは、一体何を根拠とした基準なのか? 「公共」等と言うなら、そもそも家から一歩出れば全ては公共であり、「表現が許される場所」など失くなるのではないのか ならば本屋やレンタルショップも「公共」になるはずだ 追記に書いたが、「ハードポルノ」でさえなければ、「ソフトポルノ」であっても、本屋やレンタルショップで暖簾分けする必要はないのである 結局、今回の問題は「ゾーニングの範囲」が曖昧なために、後から恣意的に拡大すればどこまでも取り締まれるという「ゾーニングの問題」を浮
のうりんのポスターがキモいとかエロいとかっていったら世の中のほとんどのポスターはキモいとかエロイにならないか? おかしいだろ、そんなの。 どうしてフェミは自分たちがナチスだと呼ばれているのかよく考えた方がいい
のうりんのポスター、嫌な人が10%越えるくらいなら撤去すればいいと思うんだけどさ、 このポスターをネタにして、 こんな巨乳現実にいないとか巨乳キモイとか非現実的な巨乳が好きなオタクキモイみたいな書き込みが 目につくから反発したくなるんだよな。 これ以上の巨乳が個人的には身近にいるから珍しいかもしれないがこれくらいの巨乳は現実的だと思うし、 このキャラはたくさんいるキャラの一人だろうからオタクがみんな巨乳が好きなわけじゃなくて、 オタクと巨乳が好きかは多分関係なくて、オタクじゃなくても好きな人は好きだろうし。 巨乳キモイとか現実での巨乳の人に対する仕方のないことについての攻撃が思い出されて不快だし。
すべてはコンテキスト(文脈)の問題である。 肌色の割合が問題なのだったら、世の中にあふれる3次元の水着グラビアも同じように批判しなければならない。 (もちろんそれも環境型セクハラという問題はあるのだが今は置いておく) そちらは批判されずに、美濃加茂市のポスターが批判されているのはなぜか。 「アニメやオタクが差別されている」からではない。 文脈が足らないのだ。 たとえば、肌色の割合が最大に近いと思われる力士はなぜ受け入れられているのか。なぜハレンチとならないのか。 長い間、日本人はそれを見慣れ、文化として受け入れているからだ。 裸婦画・裸婦像などが受け入れられているのも、ハイカルチャーとしての地位を確立しているからだ。 3次元の水着グラビアが受け入れられているのも、世の中にあふれることで日本人が慣れてしまったからだ。 一方、アニメはまだ市民権を獲得しつつある途上といったところだろう。 ネット
おっぱいばいんの海女さんの絵には対して何にも感じなかったので、クレームがついたことに驚いたが、作業着のおっぱいばいんな女の子の絵は大丈夫か?と思った。 どっちもおっぱいばいんなんだけど、感じる危うさが違うような。 おれはこのアニメしらんのだが、作業着のおっぱいはそれだけドンと出されているのがまずい気がする。素直な感想として快楽天とかエロコミック雑誌の表紙みたいだ。人前で直視するのはちょっと恥ずかしいかもしれん。 これが他の登場人物とか背景とか込みでおっぱいばいんなことにこのアニメなりのストーリーが表現されていたら意外とよかったのかもしれない。
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く