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京都のゴミ大学に関するNettouochiのブックマーク (992)

  • 何の話でも最後に自分の容姿に持っていく京都のゴミ大学氏の文章読んでる..

    何の話でも最後に自分の容姿に持っていく京都のゴミ大学氏の文章読んでると青汁CMを思い出す

    何の話でも最後に自分の容姿に持っていく京都のゴミ大学氏の文章読んでる..
  • 就活が苦しい

  • どんな時代でも、どんな世の中でも美男美女は幸せそう

  • 清潔感なんか作れる?

    ウェブを見ていると、アニメの中ですらデブが女から嫌われイケメンに発情しているとかいう話が話題になっていた。 最近見ていない『ダーリン・イン・ザ・フランキス』とかいう作品の内容だがデブはやはり嫌われるようだ。 そして、イケメンは好かれる。 確か、あの作品内は其処まで資主義的な世界観を描いているわけでもない。 経済格差が広がって世界は大変らしく、マルクス生誕200周年らしいが資主義の外部の世界でも容姿格差は永遠に残りそうな気がしてならない。 よく、容姿なんだろというと、なぜか容姿差別をしていないと主張したいのか清潔感が大切だ それは作れるという言説をみる。 そんなことはない。そうだったら、そこまで人々は容姿にこだわらないし悩んでいない。 風呂に入れば実現できるのなら、誰でもできるがそんなんで出るわけがない。 結局は肌の綺麗さや顔と体のプロポーション、顔の造形といった容姿を主張しているに過ぎ

    清潔感なんか作れる?
  • 最近、ハーフ流行り?

  • 時代に求められる人間になりたかった

    今日、母親と電話した。父親が大学院に行っても良いと話しているそうだ。 就職でも進学でも行き先がない。顔も頭も悪いということだ。 また、様々な不測の事態が起こり得る可能性もある。教習所でもネガティブだねと言われてことがあるが、不安で一杯である。 時代に求められる人間になりたかったとベッドのなかで感じることがある。 高校時代に同級生だった慶応大学に進学したマナカちゃんは、その1人だろう。 彼女は何時だって適応できた。高校時代も彼女からしたら輝いているものだったのだろう。 肌は白く透き通っていて、尻が大きく、儚げな顔で皆を勃起させていた。 そのため、皆から優しくされるし、彼女もそれを特別と思わずに恩恵を受けて素直に受験勉強もがんばれたのだろう。 要領も良く、愛嬌もあったから嫌われない。まさに入試制度とコミュニケーション重視社会に見事に適応しているとでも言おうか。 今、何をしているかは分からないが

    時代に求められる人間になりたかった
  • 世の中を変えるよりも自分を変えるほうがいい?

    最近、『マルクス・エンゲルス』という映画を見た。 若き頃のカール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスを描いているのだが良い映画だった。 パパが社長故に悩むエンゲルスやヒモで生活者として苦心するマルクスと色々と自分も考えさせられる。 封切り日に見たのだが、観客は年齢層が高かった気がする。 若者はマルクスなど興味を持たないのだろうか。 自分の通う偏差値の低い大学を歩けば分かる。 彼らは自分の容姿という性的価値や就活という資による値付けしか興味がない。 あとは、シャンプーやリンス、ソシャゲだろうか。イケメンに抱かれることだろうか。 政治や経済の不正などには微塵も興味など持たない。 まぁ、そんな自分は就活など微塵も上手く行っていない。 最近は卒論研究のために悪い頭で洋書と格闘していて就活サイトすら見ていない。 恐らく、慶応大学に進学したマナカちゃんは要領よく入試にも適合できたし、性的魅力を磨きな

    世の中を変えるよりも自分を変えるほうがいい?
  • 洋服で見てくれは良くなるのか

  • 全くうまくいかない就活

  • 虚しい就活

    最近、就活がますます苦しくなっている。 カスみたいなIT企業からもES(エントリーシート)で落とされる始末だ。 そんなことを言うと、自己啓発やビジネス書の読みすぎな人が「自己分析ができてないからだ」とか「真面目に就活をやっていないからだ」と言い出す。 自分は会社に何か面倒なことを言った記憶もないし、内面を資の論理に擦り合わせても正直どうにもならない。 ただ、就活の悲惨な状況を目撃した。 某小売企業の説明会に参加した話だ。 割と多くの企業が水やらボールペンはくれるものだが、そこの企業は企業紹介しかくれなかった。 粗末な部屋で説明会は行われた。 自分が過酷だと感じざる得ない労働条件を社員が告げる。 変形労働時間制、シフト制、年間休日も悲しいくらい少ないのである。 それでいて給料は高くない。 不穏に感じたのは社員の「(労働系の)法律があるから大丈夫だ」とかいう趣旨の発言を聞いた時だった。 法

    虚しい就活
  • セクハラをしない人間が偉いと思われていない

    今日は冷麺をべた。サラサラ感が素晴らしい。 南北首脳会談で薄まったが、世間はセクハラで揉めている。 セクハラという行為を考えてみるとなかなかどうにもならない問題がある。 セクハラという行為はセクハラをしない人間が偉いわけではないということだ。 セクハラという行為をしても、セクハラと思われないのが格好良いということだ。 それはセクハラではなくて、恋愛行為だったりスキンシップになったりするのだ。 まぁ、それは人権侵害ではないから問題がないと言えばそれまでだろう。 ただ、容姿がいい人間がセクハラをしない正義を貫くのに有利になりやすい傾向がある。 どこまでもセクハラというものはなんだかんだ容姿という格差と根深い故に虚しい議論が繰り広げられる。

    セクハラをしない人間が偉いと思われていない
  • 容姿が醜いから右からも左からも叩かれる

  • 容姿で褒められたことがない

    自分は容姿で褒められたことがない。 現代というのは、肌の色や性別や出身や目の色は関係がない。 ただただ、容姿が良いか悪いかが大きく関係するだけなのだ。 ありとあらゆる差別をなくす運動がありながらも、容姿の格差だけはどこまでも存在して行くのだろう。 容姿がいい人間というのは、どんな時代にも適合できる。 独裁者が支配する世界では独裁者を崇め、新自由主義の時代なら自由競争性を持ち上げれば大抵良い扱いを受けれる。 もはや、常に時代が容姿の良い人間に寄り添い続けると言っていい。 反政府な世の中でも容姿がいい人間は人々にロマンを喚起するものだから、なんだかんだ持ち上げられるだろう。 結局それは人間というののがコミュニケーションの生き物であることに限る。 容姿で褒められたことがない自分はもちろん、コミュニケーションでうまくいったことがない。 就活というコミュニケーションが全く上手くいかない。 それは容姿

    容姿で褒められたことがない
  • オタク差別って結局は容姿差別なのではないか

    オタク差別云々と言う人がいる。 どうやら、外国人の差別に厳しい人たちが「オタクは人間じゃない」と発言したとかいう。 ネットでも世間でも、自分が好きなものには皆甘いものだ。フェミっぽい人がイケメンアイドルを擁護していたり、あまり騒いでいなかったりのようにだ。 また、総理大臣やらもそんな感じだ。世の中全体がそんな流れなのだろうか。 結局のところ、オタク差別というのは容姿差別だろう。 現代は肌の色や目の色、性別などは個人の評価には関係ない。 ただただ、容姿が醜いか美しいかの評価だ。 自分は醜い容姿故に何度も「オタクっぽい」と言われたことがある。 しかし、アニメも見るぐらいでグッズは買わないし、なにかハマっていることもなく飽きやすい性格だ。 結局は気持ち悪い容姿の人間を「オタク」と言っているだけだった。 最近参加した役所っぽいところの人間は皆がオタクと指すような人間ばかりだった。 皆皮膚が茶ばんで

    オタク差別って結局は容姿差別なのではないか
  • 容姿がいい人間は何も考えていないように見える

    容姿がいい人間は何も考えていないように見える。 いつも時代の要請に応えていれば、大抵は良い扱いを受けれるからだろう。 独裁者が支配していたら、独裁者を崇めていればいい。ネオリベラルな世の中なら、自由競争を持ち上げていればいい。 いつだって馴染めるし、異性に相手にされるからロマンに浸れるのだ。 まさに彼らの内面は時代が作り上げ、外面は性的魅力があるために皆から引っ張りだこだろう。 就活なんてまさにいい例で、なんだかんだ彼らは資の論理に適合している。 そんなことを言うと、怒る人もいるだろう。正しく、これが容姿のいい人間は擁護されるという現象そのものだ。 最近、ある小売企業の説明会に行った。 変形労働時間制、シフト制、年間休日105日以下という個人的には過酷な労働条件を提示してくる。 しかも給与も良いとは言えない。 一番驚いたのは、参加者の容姿が良くないことだ。 女は特にあからさまで、男に相手

    容姿がいい人間は何も考えていないように見える
  • セクハラよりも容姿格差の方が深刻

    最近、ある小売企業の採用説明会に参加した。 もちろん販売職が基になるから、オフィスワークの労働条件とは大きく異なる。 変形労働時間制、シフト制、しかも年間休日が105日以下なのだ。 そして、大して給与も高くない。 正直、自分には過酷に見える労働条件を言い渡されてショックであった。 あたりを見回すと、皆が魅力的と感じるオフィスワークの説明会とは大きく異なる部分に気付いた。 参加している男女の容姿が明らかに良くない。 男は高身長やらイケメンと言われる類の人間が1人もいなかった。 女はもっとあからさまだ。 茶色い皮膚で顔が大きい女やら極端に背が低く癖毛で顔も悪い女など一度も男と性的ロマンを感じたことがないような容姿の人間ばかりだった。 そして、自分の容姿も醜い。 これを悟った瞬間に、セクハラよりも容姿格差の方がよっぽども深刻だと感じた。 容姿ゆえに、色々と苦しい思いをせざる得ないのだ。 就職活

    セクハラよりも容姿格差の方が深刻
  • ブスだってセクハラを受ける

    もちろん、男から恋愛対象として誘われるという文脈のセクハラではない。 ブスであること自体で、人間扱いされないタイプのセクハラのこと。 これは男だけではなく女からもブスであることを批判される。 例の女性記者のようなセクハラよりも、ブスへのセクハラの方が深刻である。 (追記) 昨今の「セクハラに遭わないような女性はいない、見たことが無い」という方向性の議論も同じこと。 テレビや新聞などで取り上げられるセクハラ被害者も、皆美人で目立つタイプの女ばかり。 そのような議論が続けば続くほど、美人とブスの分断は深くなる。 元々、この両者には修復しがたい溝が存在していたのだが、近年の女性の社会進出改革によって、その溝が更に深くなってきている。 女同士の格差をさらに大きくするのが、女性の社会進出改革の質なのかもしれない。

    ブスだってセクハラを受ける
  • 時代に馴染める人間になりたい

    時代に馴染める人間になりたいと強く思う。 テレビをつけると、とても広告的な人間が持て囃されている。 街を歩いていても、やはり商業的で広告的な人間が好かれているとわかる。 まぁ、何が言いたいかというと容姿がいい人間はいい思いをしているということだろう。 簡単に消費主義的社会で良いポジションを陣取っているようだ。 最近、某小売の採用説明会に行った。 平気で年間休日105日以下だと告げられる。 しかも、変形労働時間制でシフト勤務制だという。 給料も高いとは言えない。 小売業界は労働条件が過酷と聞いていたが、想定を上回るものだった。 確かにサービスを維持するには、このような状態になるのは当たり前なのかもしれない。 説明会に参加している人間は多いとは言えないが、少ないとも言えない。 ただ、今まで説明会に行ってきたネット銀行など憧れる人が多い企業などとは大きく違うところがあった。 参加者の容姿が如実に

    時代に馴染める人間になりたい
  • 誰かに欲望されないのも苦しい

    19新卒だけども、やっぱり就職はうまくいきそうにない。 最近、適性検査(入社試験)やらを受けるけれども、非言語系の算数みたいな問題がとても出来ない。 そして、最初から落とされたりする。 自分は昔、知能テストを受けて記憶力やら図形やらといった図的処理が全くできないと医者に言われたことがあるから仕方がないのかもしれない。 容姿も頭も悪く、どうにもならない。 自分が持たざるものであり、持てる者をみると惨めな気持ちになる。それは経歴やらでは解決できずに性的魅力が得られたら解決するのだろう。 知事のニュースを見て、ミシェル・ウエルベックの「闘争領域の拡大」というを読むと感じる。 最近、セクハラ報道が盛り上がっている。 自分が入れたチンパンジー大学の三流学部のゼミでモデル体型で容姿がいい女が「報道に興味があります そしてダンスサークルに所属しています」と自己紹介をしたのを思いだした。 教授が「加計絡

    誰かに欲望されないのも苦しい
  • セクハラをされまくってもいいので雇われたい

    19新卒で今日も街をスーツでさまよった。 京都のチンパンジー大学から実家があり就活の拠点になっている東京まで新幹線で来た。 千代田区の実家から就活ができて、10万円以上のスーツを着て、新幹線を移動手段として頻繁に使える学生というのは同じ大学の中にはいなそうだ。 みんなが深夜バスを使うなかで、EX予約を使っている。 しかし、父親にコネもなさそうだから仕方なく就活をやる。 そして、落とされる。 カネがあってもキモければダメなのだろう。 最近のセクハラ問題について思うことがある。 それは、自分はセクハラをされまくってもいいのでキー局に雇われたいと思うことだ。 正直、そんな気しか起きない。 何だかんだ、世間的に見ればキー局の記者は強者だろう。 学歴だってあるのだろうし、それなりの収入を貰っているだろうし、今は知らないがそれなりに様々な選択肢があって自分よりも幸せな人生を歩んだ気がしてならない。 自

    セクハラをされまくってもいいので雇われたい