久しぶりにFB開いたんだが、、 SNSで自分自慢って恥ずかしくないのかね? やったぜうれしいぜ楽しいぜ報告とか見てて好きだけど、意識の高さ報告みたいなのはキツイ。 細かいところにも気を遣う私、みたいな。そして賛辞群とお礼お礼。 微笑ましいと言えば微笑ましいが、気持ち悪いと言えば気持ち悪い。
久しぶりにFB開いたんだが、、 SNSで自分自慢って恥ずかしくないのかね? やったぜうれしいぜ楽しいぜ報告とか見てて好きだけど、意識の高さ報告みたいなのはキツイ。 細かいところにも気を遣う私、みたいな。そして賛辞群とお礼お礼。 微笑ましいと言えば微笑ましいが、気持ち悪いと言えば気持ち悪い。
見てしまった。 愚痴。 俺は誰にも本音を話さない宣言。 彼女いない宣言。 見なきゃよかった。 アイコンは私が撮った写真だった。
11月 ・見た目最高めっちゃくちゃタイプ(+100) ・雑談が盛り上がらない(-2) ・理想の彼女像がキモいほどしっかりある(-3) ・大学卒業してから10年近く彼女がいない(-2) ・わたしの出身大学に入れなかったコンプレックスをぶつけてくる(-5) 12月 ・ラインの名前がキモい(-2) ・インスタのテンションが普段と違ってキモい(-2) ・facebookに載せてる6年前の自撮りがキモい(-3) ・アムウェイやってるっぽい(-30) ・アムウェイやりはじめたと思われる時期からインスタのテンションが高い(-25) 1月 ・何年も先輩なのに仕事でミスする(-5) ・ミスをわたしのせいにする(-3) ・同僚に「あの人はいつも的を得ない」と言われている(-3) ・他の男性とデートしてみたら、一目惚れした相手と過ごす時間よりずっと楽で楽しかった(-15※決定打)
今日、スペイン人のお爺さんと話しをする機会を得て思ったんですが、心を開いてる人は素晴らしいなあと。本当に晴れ晴れという意味で素晴らしいと思った。そのお爺さんは心が開いててユーモラスで面白くて良い人。 一方で私はいじけて心を閉じきってる。ソーシャルネットワークやっても心が閉じてるからすぐやめてしまう。続けられるのは本来の自分を開示していない、はてブくらい。 ツイッターもフェイスブックも本来の意味で心が開いてる人なら喜び続けられるのだと思う。もちろん個人情報開示などのリスクは別。結局は外に向けられた自分があるかないかということ。私はない。あるのかもしれないけど開くことができない。 それでまたそのお爺さんとの話に戻すけど、そのお爺さんと話してる中で普段から意識して実践してることは次の7つとのことだった。 ・信じる ・委ねる ・愛する ・感謝する ・悔い改める ・家族や友人を心に思う ・礼拝する
いつか、多くのみんなが直面するかもしれないことについて、先輩として書き記す。 些細なことかもしれないが、少しだけ考えてしまうことだ。 ある日突然、それはやって来る。 年頃の子供からの友達申請。 例えば女子高生の娘から。 承認した瞬間に何が起きるか。 これまであなたが投稿してきた全ての記事を、彼女が読み始める。 よく知った人、自分の身内が過去数年間に何をしてきたのかを知る機会なぞ人生にそうそうない。 言ってみれば親の日記を見つけたようなものだ。普通熟読する。 自分なら絶対に全部の投稿を遡れるだけ遡って読む。 思い返して欲しい。 いつか、娘に読まれる日が来ることを意識していたかを。 仕事や人生にまつわる、青臭い悩みや宣言、愚痴がなかったかを。 娘をネタにした、大人から見ると微笑ましいエピソードとコメントのやりとりを。 酒席でタグ付けされたあられもない姿を。 これらを遡って娘だけに見えないように
新年ですからFbの今年の抱負とかすごいわけですよ。 お仕事→ お志事 頑張ります→ 顔晴ります★忘年会(新年会?)→ 望年会 recruit→ re"crew"t「お志事」がGoogle日本語入力で普通に変換できてワロタ
2018年元日、何気なく開いたFacebookでそれを知った。 優しそうな旦那さんと写る写真が添えられていた。 新年早々いい知らせだと思った。 別れて以来、何としても幸せになってほしいと思っていた人だったから。 彼女からはたくさんの愛をもらった。 愛情表現が希薄な僕の両親のもとに育ちながらも、 やさしい嫁、かわいい娘と暖かい(モロ主観)家庭を築けているのは、 彼女のおかげだ。 愛する喜び、愛される喜び。 人間の本源的な二つの喜びを、彼女のおかげで知ることができた。 そして、彼女を失ったからこそ、 大切な人を守り抜くことの重みを学ぶことができた。 彼女にとっては忘れ去りたい過去かもしれないが、 僕にとって彼女と過ごした5年半の日々は、その後の人生を形作るうえで重要な基礎になっている。 今年、嫁と付き合ってからの年数が、 彼女と付き合っていた年数を超える。 別れた当時はそんな存在に出会えるとは
はじめて任天堂が出したスマホアプリ、ミートモ。 トモダチコレクションとかにハマってた人は割と楽しめると思う。 例にも漏れず私もトモコレハマってた人なので登録したところなかなか楽しい。 しかしこのゲームはフレンドいないとつまらない。 なので、友達を増やそうとミートモやっている友達にQRコードを書き出す機能があったので、書き出してLINEで送付。 …ん?読み込んでも友達申請にならない! 友達の見た目のMiiが生成されるだけだ!!! どうやらこれはMii作るのが苦手な友達のためにMiiを作ってあげて、それを送るためのものらしい。 アホか!!Miiなんて自分で作るから愛着が湧いて楽しいんじゃないか!!! そんな機能はいらないから、友達申請する方法を教えてくれよ! 次は、フェイスブック連携。 これは自分と相手がどちらもフェイスブック連携していて、かつ友達登録されていないとダメな模様。 うーん、フェイ
フェイスブックしてる人ってそんなにいるのかな? 私オタクだからしてない。
アラフォー婆だが、何か常に自分達の世代がネットの多数派になってる気がする。 ここも凄く加齢臭を感じる。 2ちゃんとかTwitterとかFacebookにもそこまで若者が居ない。 どこに居るんだろう。
Facebookで出産報告をする友人は多数いるが、一つ疑問に感じていることがある。 投稿する写真の中に産まれたての子供の全裸を載せるのは果たして是が非か。 赤子であれば何でもいいのだろうか。自分はその子供が大人になったときにかわいそうだと考えてしまった。 確かに私も家にあるアルバムくらいにならそういう写真が残っていたりするが、自宅保管と他人に公開するのとでは意味が違うのではないかとも思う。 それとも私が気にしすぎで、赤子の陰部が出てることに疑問を感じるほうがおかしいのだろうか。 いやでも自分が大人になったときにSNSで自分が赤ちゃんのときの全裸写真が投稿されていたら絶対嫌だ。絶対嫌だと思うのだけど。一般的にはどうなんだろう。
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