朝のけものフレンズOPを聞いて絶望的な気持ちになって毎日泣いている
けものフレンズが何年もかけて積み上げた再生数を8ヶ月弱で覆すことになった理由はわからない。 製作委員会方式ではなく、製作委員会方式で享受できるリスク回避ができなかったこと、製作委員会方式ではなかったことが逆に権利問題がシンプルだったこと、 けものフレンズそのものが動物がモチーフで幾らでも二次創作で増殖できてしまう強みだろうか 未だになぜここまで息を吹き返したのか、未曾有の爆発的人気になったのか。 わかんないや!
あらすじも知らない 原作がソシャゲなこと、サーバルとかいうキャラ、○○なフレンズなんだねーという台詞しか知らない おねがいマイメロディみたいなちょっとブラックなギャグアニメなんじゃないかと想像してるんだけど、どう?合ってる?
私にとって「けものフレンズ」のどこがそんなに好きなんだろう、っていつも考えているけれど、 その答えの一つに「RPGっぽい」っていうのがあると思う。 何も出来なくて何もわからない状態から、サーバルちゃんと一緒に変な名前を付けられて旅をするの。 途中敵も出て来るんだけどそんなに強くなくて、いろんなイベントが起きながら、まあ、いい意味でだらだら旅が続くんだよ。 でもある日とんでも無いことが起こって、行くことになるとは思わなかった「山」へ登りそこで… 自己犠牲や友情の分量のバランスが良くて、それがここぞという時にだけ出て来るところも上手く出来ている。 ちゃんと平和にハッピーエンドなところも。 でも、めでたしめでたしで終わるんじゃなくて、ちゃんと新しい旅が始まるところがいいんだよね。 ぼくはまた、サーバルちゃんと一緒に旅をするんだ。
扇動するのはアフィブログ。それに便乗するアンチと野次馬。 まずこういったファン数が多い作品だとどうしても頭のおかしいファンが出始める。すでにその兆候もある。そういった一部のファンを面白おかしく取り上げ「これだから○○のファンは」と作品の本質の外から叩くのは常套手段。 けもフレのメディアミックスが進めば自ずと失敗する物も現れるだろう。まず発表からリリースまで早すぎる感のあるゲーム。ゲーム内容がどんな物になるのか今の時点では分からないが、アニメと同レベルの楽しさが期待されているのは間違いない。 しかし期待したより思ったほどでなければ恰好の餌食にされるだろう。初期FGOや今話題のシノアリスみたいなことにならなければいいが。 さすがに原発やネトウヨにまで絡めた叩きは笑って見逃せるが、叩きが過激化すれば頭のおかしいアンチとファンの間でどうでもいい論争も起こるだろう。それで得するアフィブログはさらに煽
上記の通り。 けものフレンズ自体をどう考えてもいいのだが、まるでイナゴのように流行に乗っかり、「コーサツ」(考察にもならない与太話なのでこう書く)しまくっては湧き上がる、まるで言葉は悪いがウジ虫のような連中に自律を語る資格などあるのだろうか。自律とは自分で、自分らしく生きることだ。そもそもけものフレンズなんかが出る以前にきちんと自律している人間であればけものフレンズで盛り上がったりはしないはずだ。あくまで静かに、自分の好きなものを見るはず。もちろんその中にけものフレンズが、そのようなスタンスであるのならばあってもいいと思う。 しかし「みんなが見ているから」「応援を頼まれたから」という理由でけものフレンズを見始めた奴らに、自律も、その前提として必要な自我もないだろう。そしてそういうやつらは「見る気しない」というものに対してえらく強くあたる。 まるでこれってファシズムと同じではないだろうか。
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