親の介護しながら 家で仕事ってできるのだろうか プログラミング可能です。 一通りフロントエンドからバックエンドまででWebサービス作れるって状態です。 Webサービスは作るのは簡単なのだが、 それでお金が稼げるかはまた別問題なんだよな。
臭いがわからなくなるのが最初 (行動:認知症の検査に行く) ↓ 要介護の申請する (おりるまで2ヶ月かかるから) ↓ 相続の話を進める (完全に認知症になったら面倒だから) ↓ 要介護申請降りたらショートステイなど施設に慣れる (認知が進んでホームに入れたくともまずはそういうので慣れてないと、なかなか受け入れてもらえない、慣れてない人が入所すると体調を崩すこともあるそうで) ↓ 徘徊などを防ぐ (行動:GPSなど見守りサービスを加入) 徘徊や万引きなどで半年の間に4回も警察のお世話になった俺が言うよ。 ほんと、認知症は怖いし、面倒だよ。本人元気で、でも薬飲んでくれない、暴力もある。 とにかくいろいろ面倒だから、がんばれ俺。 追記:徘徊しないだろーというツッコミがあったのだが、これ、介護者の理解度にほんとよる。うちの場合、介護者が「ちょっとなら大丈夫だろう」とか、全然、認知症に対して本気にな
最近よく老人施設での高齢者虐待のニュースを目にします。 入所者が命を落とすケースもよく見かけるようになりました。 実は私の祖母も昔入所していた老健施設で変死?というか事故に遭いました。 ある日老健から「職員が見回りで部屋に入ったら車いすごと床に倒れていた」と連絡があり救急で運ばれた病院に近くに住んでいた伯父が駆けつけたところ 祖母は顔の半分が腫れあがって意識が朦朧としていました。 そして意識朦朧のまま肺炎にかかって亡くなりました。 施設は「職員が見ていない時に勝手に車いすごと倒れていてその時に床で顔面を強打したのだろう」と言うのですが、運ばれた病院の医者は 「これは殴られた痕だよ」と言いました。 警察にも通報して捜査もしてもらいましたが施設側は「勝手に車いすごとこけていた」との一点張り。 医者の「殴られた痕」の診断があっても施設側と職員が「自分がやりました」と言っていないので警察は何もでき
斜め向いに住むおじいさん80歳くらいなんだけど 数年前に奥さんが亡くなり一人暮らしになった。 去年あたりから痴呆っぽくなり、息子さん60歳くらいがほぼ毎晩宿泊して様子を見に来ている。 しかし、しょっちゅうおじいさんに怒鳴っていて声が外まで聞こえるんだ。 昨日は「なんで余計なことするんだよ!」と怒鳴っているのが聞こえた。 以前はお墓に火をつけて早く死にたいと言っていたようで、消防車がきて大騒ぎを起こした。 騒ぎを起こしたあとは近所の住民からもよく注意してほしいと息子は言われているみたい。 しかしこう毎晩怒鳴っていて、こっちからみると虐待をしているように思えてくるのです。 どこかに通報したほうがいいのか怒鳴り声を聞く度に考えてしまいます。 なんか、悪いことを見て見ぬ振りをしている気が毎回ある。 だからと言って自分が注意して気まずくなるのも嫌だしなあ・・・。 今日も怒鳴るのかなあ~聞きたくないな
昨日面白い風景を見たので書いておきます。端から見れば「で?だから?」って話かも知れないけど。 昨日初詣の後、実家の両親と特養に入っている父方の祖母に会いに行きました。ばりばりの認知症ですが、息子と嫁と孫の顔は忘れていないようなので100歳にしては優秀と言っていいかも知れません。 で、父(70歳)が自分でポチ袋とお金を持って行って祖母とお年玉交渉をするのですよ。そんなに極端な高額ではなく、祖母がもう少ししっかりしていた頃は自分で母に銀行から下ろしてこさせて我々にくれていたぐらいの金額です。 そんなことを出来るぐらいなので、通帳もキャッシュカードもうちの両親の管理下にあり、もっと大金を下ろして勝手に使うこともできるはずですが、いちおう本人の意思を確認して金額を決め、ポチ袋に名前とか書かせていました。 私は祖母の介護にほとんど貢献していないためか、両親がそれぞれもらった額の半額でした。仕事でちょ
年に数回だけ実家に来る伯父のブログを見つけた。 瞑想のブログだった。 20年以上やっているそうで、あちこちで講演会なども行っているらしい。 瞑想をやっていれば人生最高みたいな内容。 瞑想やってる時間を少しばかり削って親の介護をしてはいただけないでしょうか。 あなたの妹である私の母とマスオさん状態の父は、あなたの両親を20年以上介護し続けています。 ブログに両親への感謝を書き綴っている時間があるならば、その親のうんこの処理に来てください。
妹の体育祭におばあちゃんと行くけど一緒に行かない? 面倒だから断った 当日は母と祖母だけ2人で暑い中妹の体育祭に行っていた その数日後祖母が倒れた。脳卒中だった。 母が言った言葉が今も忘れられない。 あの日体調が悪そうだったんだよね。気づいてあげられたら 母が後悔してるように私も後悔した。元気な祖母と出かける最後の機会だったのに。もしかすると私が気付けてあげられたかもしれないのに。 家の事情で退院した後は施設を転々としていた祖母。 会いに行くといつも泣いてた祖母。帰るときには麻痺が残って上手く動かない口で寂しい、寂しいと言っていた。元気なときには祖母のそんな姿みたことが無かった。 祖母の前ではできるだけ笑顔でいようとしたけど涙が止まらなかった。 祖父だけでは祖母の介護は難しいから私が祖父と一緒に住んで一緒に介護することも考えたが両親に反対された。 何もしてあげられないまま祖母がいなくなった
あくまで自分のケースな 俺:30歳 東京 実家は東京から数時間の地方 父が60、母が40の時に俺が生まれた 子供の頃、父と出かけると「おじいちゃんと一緒でいいわね」と言われたりした 授業参観に来た親たちと並ぶと、母はやはり歳を食って見えた 当時はすこし思うところはあったけど、今となってはそんなのは何とも思ってない 問題はここからだ 現状 父 : 現在90、老後資金が尽きて下流老人へ(諸事情で年金はほぼ無い) 母 : 現在70、早くも認知症発症 いまは実家に両親2人、なんとか自活できている しかし母のこともあり、父の年齢もあり、長くて数年、場合によっては明日からでも立ち行かなくなるだろう はっきりとは言われてないが、実家に帰ってこいムードを作られてる 両親の介護と、生活費のために 俺は田舎が嫌いで東京に出てきた人間 何者にもなれてはいないが、ようやく仕事面では自己実現ができつつある そんな中
地元に帰ると基本的に祖母に会いに行く。 しかし住んでるのは、家は家でも老人ホームだ。 僕は老人ホームに行くのが嫌いだ。 正確に言えば、『認知症の進んだ祖母のいる老人ホーム』に行くのが。 今年で96歳。 あと1年半ほど生きていれば、大正、昭和、平成、そしてその次と、4つの時代を生きていることになる。 10年前までは普通に一人暮らしをしていたけれど、ある日偶然足を骨折してしまった。 年のせいでなかなか回復せず、やっと治った頃には筋肉の方が衰え、どんどん動けなくなった。 これじゃ一人暮らしはもう無理だということで親戚の家に移ることになった。 最終的に、介護する余裕のある伯母(祖母からすりゃ娘)の家に住むことになり、割と裕福な家庭だったので段差を無くしたり手すりをつけたりするようなリフォームなどもしていた。 しかし伯父と伯母も70過ぎで、どちらかと言うとそろそろ介護される側だ。 だんだん余裕がなく
先天的な病気で、身体が動かなくなった父 うまく動かないから、イライラして母にあたる 母は、悲しみながらも介護の日々 私が手伝おうとしても、我慢 今さら離婚しても、父を見捨てるだけの行為だから、できない 父から母への暴言を毎日見ていて 娘としてこんなことは絶対に考えてはいけないのだが 父親に居なくなってほしいと思ってしまう 施設に入れたくなっても母が拒否 父もいやがると思う 介護疲れでの殺人、気持ちがわかるのが、つらい。
子どもの頃、祖母も一緒に住んでいた。 ある日を境に同居の形になったパターン。 最初はまあ、普通だった。 特に祖母がいて好都合も不都合もなかった。 だが、ある時点から祖母が怪しくなった。 やや痴呆が入るようになったんだよな。 で、そんなある日 自分が小学校から帰って来たら 廊下とトイレの床やら壁やらがウンコまみれになってた。 どんな事態が起こったのか未だにわからないが、 とにかくボケが始まった祖母がやらかしたことは確かだった。 その時家には祖母以外に誰もおらず、 かと言ってそれを放っておくこともできず、 あまりのひどさに泣きながら掃除した。 その日以降、自分は祖母が大嫌いになった。 気持ち悪かった。憎かった。存在が許せなくなった。心の底から嫌悪していた。 家にいても自分から話しかけることはなくなったし、 何か頼まれても露骨に嫌々な態度を示し、 祖母に触れたあとは必ず手を洗った。 そんなある日
お婆ちゃんが突然寝たきりになった。 もともと軽度の認知症、歩行器ありで何とか1人で歩けるレベルで、デイサービスにも通えていた。 それがある日突然、関節の痛みで全く動けなくなり入院。そうしたら入院してたった2日で、ほぼ寝たきり状態の別人のようになってしまった。 目は虚ろで生気がなく、ぽかんとした顔で焦点も定まらない。話しかけても以前の半分も理解できず、年齢も答えられない。 自力で起き上がれないし、何より意欲がない。意思疎通もぐっと難しくなっている。常にぼんやりしていて、眠っている時間がとても多い。排泄も紙パンツからおしめになった。 要支援2から一気に要介護4くらいになった様子で、その変わりように私はただただショックを受けた。 私と母のことは分かるようで、また見舞いに来るよと言うとウンウンと頷く。手を握る。確かに私のお婆ちゃんなんだけど、目の前にいるお婆ちゃんは以前亡くなる少し前に見舞ったひい
実家に帰ってきて、やはり母はすごいなと実感した。 昔はある意味当たり前すぎてそんなこと全然思ったこともなかったし、 それほど好きでもなかった。 日中働いて買い物を済ませ、家に帰るなりご飯の準備をし、食べ終わった後に片付け、 お風呂に自分が先に入ることはせず、祖母を介護しつつお風呂に入れてから最後に入って 1時間一息ついたかと思うとすぐ寝床に入って朝5時とかに起きて弁当を作ったり家事したり… せかせか動いている母を見て、 「あ、母はこのサイクルでずっと生活しているんだ」ということになぜかハッとさせられた。 自分が小さい時より何一つ変わっていない。 それに対して、父も働いているけど母ほど家のことに協力的ではない。 自分の親なのに母に世話を任せっきりだし、ちょっとぼけ始めた祖母が同じことを繰り返し言うと 大声で怒鳴るだけ。うるさすぎてキレたと同時に、父に対して激しい嫌悪感を覚えた。 母は一体なん
自分は、大学生で自分の祖母と一緒に住んでいる。 平日週五で大学に通っている。一緒に住んでいる祖母は脳梗塞を一度患い、 言語に障害がある状態で比較的ボケてはいなかったのだけどボケも始まってきている。 一緒に住み始めてのころは買い物行ってきてーと言われて行ったりしてたんだけど、 しばらくして、ベッドから二・三歩のトイレまで歩けなくなり転倒をするほど悪化した。 結局入院をすることになったが、一ヶ月で退院できた。 体に異常があるのではなくて、日常的な運動が少なくて再発すると医師に言われたので、 家族でデイサービスを探して週五回(平日5日)運動するようにしようとみんなで決めた。 ただ、やはり週五回のリハビリは自由がかなりなくなってしまうので本人はかなり苦痛らしくしばしば休んでいた。 それでもなんとか週四回ぐらい行くように話をしていたし、退院してから治らないと嘆いているのを見ていられなくて、 公園のリ
もう20年近く前の話。 ばあさんがアルツハイマーで入院して、家族が当番で身の回りの世話をした。 俺は大学院生で、指導教官には研究室に入るときによく事情を説明して、夕方のゼミとかがない日には3限(2:40終了)のあとすぐに新幹線に乗って、実家近くの病院に向かった。 だいたい、月木、それと土日。 3時過ぎの新幹線に乗ると、夕飯には間に合う。配膳され、上体を起こし、前掛けをつけて、おれはお箸で1品ずつバランスよく順番に、できるだけ品よく食べさせてあげようとした。 「いただきまーす」 「おいしい?」 (にこにこ)(うんうん) 「おいしいね」 (にこにこ)(うんうん) ふだんはスタッフの人も忙しいから、どうしても食事をスプーンでまぜて、練りこんで一口分ずつ口に運ぶようになる。 おれがお箸で食べさせると横目で見て「(ばあさん)ちゃん、よかったわね」なんていうけど、よそのばあさんにそこまでする人はいない
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