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増田と就活と家族に関するNettouochiのブックマーク (12)

  • 就活の悩み

    来年就活を控えているけど、業界職種で悩む以前に私の中で大きな悩みがある。 それは、家族との距離である。 自分の専門を活かしてバリバリ働きたい・チャレンジしてみたいと思う自分と、実家の両親の近くにいたい思う気持ちが矛盾する。 企業研究してみても、総合職採用は転勤の可能性が前提としてある。それ以前に、私の実家は田舎だから、専門職でかつ、地元で働くことは無理だ。 この実家の近くにいたいと思う気持ちは、大学に入って一人暮らしをしてから大きくなり、自覚するところとなった。 実家に帰省するたびに、両親、そして昔から飼っていたペットにまで、年老いていくその姿を見るたびにどうしようもなく切ない気持ちになり、少しでも近くにいたいという気持ちになる。 これが自立できていないってことなのだろうか。となんとなく思っているけれど、どうしても自分の勝手ですっきりと決めることが出来ない。 「最初にどこに飛ばされても大丈

    就活の悩み
  • 親に内定先をdisられた

    叱られてる途中に話が脱線して,「なんであなたは叔父さんみたいにF社(大手メーカー)に行かなかったの,給料もいいじゃない」って言われた. 親にとってはいっぱい給料出してくれる企業の方がいいのか(そりゃいいだろうけど). 一応F社の企業説明会も会社見学会も行った.だけどこのご時世(女性様と言われそうだが)女性をとる気がなさそうな説明をされて驚いたし,大手とはいえ従業員数がそこまで多くない会社に親戚がいるのは私にとって入るハードルが高すぎた. 私が内定をもらえた会社も「40代年収1000万!」みたいな会社ではないが,ここも大手メーカーだし毎年売り上げも伸びている.育休からの復帰支援制度もしっかりしているように見えた(そして給料も悪くない). 内定先の何が悪かったんだろう. 一番悪いのは叱られるようなことをした私自身なのだが.

    親に内定先をdisられた
  • ソシャゲ会社から内定出たのだが親から猛反対されている

    工学部4年、どこぞの国立大。 タイトルの通り、ソシャゲの会社から無事内定が出たんだ。 入社したらおそらくプログラマーとしてソシャゲの開発に携わることになる。 もちろん親に報告したんだが、両親は猛反対。 なぜって、あんな詐欺まがいのことをビジネスとしてやっているような会社に入社するなんて何を考えているんだと。 文面からは伝わりにくいだろうが、割りとガチで叱られた。 ビジネス倫理がどうとか言われたが社会人経験がないのでよくわからない。 あんまり意識していなかったが、○○で働いてますって堂々と言えるかと聞かれると、たしかにちょっと尻込みするところではある。 そりゃ例えに挙げられたのが、医者とかNGO職員とかガチんこで社会に貢献している人たちだもの。 孔子の教えを引用したのか、倫理こそ教養の基礎なるものだ的なことを言われ(自分の解釈では)まあ確かにその辺あまり意識してこなかったことは事実だ。 両親

    ソシャゲ会社から内定出たのだが親から猛反対されている
  • 今日だけだから許してね

    私は就活生だ。 私には4月からプロ野球選手になる弟がいる。 弟は幼稚園に入る前から今まで運動神経が良かった。めちゃめちゃよかった。何させても1番だった。逆に私は運動音痴、取り柄なし。何させても上手くいかなかった。両親は弟が小学生の頃から、弟の野球に付きっきりだった。土日は遠征、夜は送り迎え。中学校になると遠い街の強豪チームに入り送り迎えも遠征も加速した。家ではいつも野球の話。テレビもプロ野球中継。家は賞状とホームランボール、大会の写真、野球グッズが家中飾られた。私の部屋以外、全て野球だった。父も母も文字通り付きっきりだった。親戚に会うと弟の野球の話にしかならなかった。家の周りを歩くと弟のことを聞かれた。実家の99%は野球と共にあった。 私は大学進学で家を出た。野球とさよならしたかった。 そしたら弟も高校進学で家を出た。県外の寮に入った。なんやねん。と思ったけど、同時に帰省しても野球地獄じゃ

    今日だけだから許してね
  • 就職祝い

    親にいきなり呼び出されて、 就職祝いにカバンを買ってあげるといわれたのですが、 内定はもらったけど、まだ就活しているし、内定もらった会社に全く行きたくないので、 全然うれしくなくて、お店に欲しいのがないのでいらないと買ってもらわなかったんだけど、 どうするのがよかったんだろうなと思った。 自分の中で全くうれしくなくて悩みの種になっていることを 形式的によい事だとして祝われるというのが辛かった。 そう伝えればよかったのか。

  • 消えない承認欲求

    学生時代の憧れの同級生に未だに認められたいと思っている。 彼は卒業後大手企業に就職し、今は営業成績一番なのだそう。 性格的に誰からも好かれ、容姿もいいのでモテモテ。今は会社の同期と付き合っているんだとか。 私といえば、短大を卒業後は派遣やバイトでプラプラし、その後正社員の仕事に就いてもキツくて体調を崩し数年続けたが先日やめた。 1年前、祖母が亡くなった。人はみんな死んだら骨になるんだな、そこは平等なんだ、どうせ死ぬなら少しでも好きなことに携わって死にたいなと悟った気でいたが年月が経つにつれていつか死ぬという当時の自覚すらも今の私には単なる記憶でしかない。 今は無職で、次の仕事を探している状態だが、2ヶ月後に友人結婚式で憧れの彼と再会する。 それまでに、彼にすごいと言われるような仕事についていたい、という至極下心まみれの動機で仕事を選んでいる。 選んではいるものの、私は特別な資格も能力も実

    消えない承認欲求
  • 分かりやすい不幸が羨ましくて情けない

    例えば 親に殴られるとか 学校でいじめられるとか そういう、分かりやすい悲劇。 幼い頃から大人の反応をうかがってきた。 お涙頂戴のでっちあげ作文を書いて先生に褒められたり やりたくもない学級委員をやったりして。 名前を言えば「頭良いのね」と言ってもらえる大学に入った。 家は貧しい。 母親と父親が金のことで揉め、怒鳴り合うのを、弟と二人黙ってやりすごした日々。 あの頃から、一歩も進めない。 結婚して子供を産むなんて、考えられない。 生まれてこなきゃ良かった、と思わせてしまうのが怖い。 だけど、結婚しないなんて選択、親はなんて言うだろう。 何も言われないうちから、そんな心配ばかりしてしまう。 今は就職活動が辛い。 とにかく「良い」ところに入らないと。 「生んでよかった」と思ってもらえるような仕事に就きたい。 当は、何もしたくないのに。 ヘラヘラ笑って、元気な振りをし続けてきた。 これからも、

    分かりやすい不幸が羨ましくて情けない
  • 就活つかれた

    うまく喋れなかったらもちろん落ちてるし、うまく話したと思っても落ちる。そしてそれまでその会社に費やした全ての時間と金が無駄になる…。 つらい、どんどんつらい記憶が心に溜まっていく。そしてそれらの記憶はふとした時に記憶によぎり、自分を苛む。もともと人と会話した後、思い返して死にたくなる人間だ、面接の後はその比じゃない死にたさが待っている。 しかも人との会話は明確に結果が返ってこない(話がつまらないと面と向かって言われることは少ない、だからまだ希望を持っていられる)が、これは不合格という結果が突きつけられる。人間失格? しかも諦めるという道がない。諦めたら無職だ。それがやばいのは誰でも分かる。 しかし気力が追いつかない。常に頭の中では「安らかになりたい」と願っている。それは死の中にしかないだろうが、決して死にたいわけではない。安らかになりたいだけだ。 家に帰ると姉が「早く仕事をやめて結婚したい

    就活つかれた
  • うちの親どうしよう

    母親がやたら心配してくる 一人暮らしの下宿の部屋に掃除しに来たりしてくる(年に4回くらい) 今は就活の心配をしてくる 頼みもしないのに、就活の記事をラインで送ってくるし、どういう企業を受けたか聞いてくる 子離れしてくれないかなー

    うちの親どうしよう
  • おめーの親もそのうち死ぬっつうの

    25歳、両親とは死別した これが60歳だったら両親いなくても何とも思われないんだろうけど なんか複雑な家庭みたいに思われがちで超めんどくさい うちは「あたしンち」みたいな超普通のサラリーマン家庭だったし父は大学入ってから亡くなったからなんも困った経験ない 親が死ぬなんてごくごく普通のことだろーに 新卒の就活のときって企業側も気を使ってただろうからあんまり家族のこととか聞かれなかったけど 転職活動になると年齢的に結婚の心配もあってか安易に聞かれたりするし 新しい出会いを求めれば家庭に事情がある人ってレッテル貼られるし まじおめーの親も死ぬ時はすぐ死ぬんだからせいぜい親孝行しとけよボケナス

    おめーの親もそのうち死ぬっつうの
  • いい大学に行けば

  • 三つ子として生まれて

    僕には同い年同じ日生まれの姉と弟がいて、所謂三つ子として生を受けた。 書道、英会話、学習塾等、3人で習い事にもよく通わされたが、姉と弟は毎回行く前に「行きたくない」とゴネまくり、母を煩わせていた。 しかし、先生や友人の前では、誰よりも良い顔をし完璧に物事をこなした。 帰ってきては、僕のミスを逐一親に報告し、僕は親に怒られた。 学校では二人とも成績がよく、スポーツもできた。僕は運動音痴で数学が苦手で、3人並べて母親が勉強を教えたとき、僕だけが出来ない問題もあって、負い目を感じた。 何より、家では暴れまくっているくせに、外では借りてきたのように大人しくしている二人の二面性が大嫌いだった。 そんな3人も大学生4年になり、姉は看護大学に通い、就活らしい就活もせず付属病院に内定し、弟は理系の大学で院進を決めた。 僕は文系の大学に進んだがアルバイトもゼミナールも受からず、就活では人手不足と呼ばれてい

    三つ子として生まれて
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