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家族と東京に関するNettouochiのブックマーク (5)

  • 実家を出るのが

    寂しい。寂しいよーーー出ていきたくないよーーーー もっとこう、実家出たい!って思ってた学生時代に一人暮らし経験しとくんだった 生半可実家が東京で何一つ不自由しないで育てられてしまったばかりに!ありがとう両親! おかげで貴方たちと別れるのがこんなにつらい刑に処されているよ

    実家を出るのが
  • 雪が積もってるよー!

    今までは雪が降っても積もらない瀬戸内海沿いに住んでいた。スキーにも行ったことがない。だからこんなにも雪が積もってるのを初めて見た。東京もこんなに雪降るんだ。すげー でも積雪に対する予備知識がない。 なんか気をつけることとかある? 取り敢えず親に雪すごいよー!ってLINEした。冷蔵庫にべ物が何もない。 外に出るのが億劫だよー!

    雪が積もってるよー!
  • おばあちゃんが死んだ

    先週おばあちゃんが死んだ 大好きな大好きなおばあちゃんだった おばあちゃんは癌で、幸か不幸か残り数ヶ月という余命を宣告されたため、その数ヶ月わたしはたくさん実家に帰った。 わたしは東京で仕事をしていて生活もある。 兵庫のど田舎に月1〜2回も頻繁に帰ることなんて余命を宣告されるまでなかった。 最後までしっかりとしたおばあちゃんで、最後はあっという間に死んじゃった。 そんなおばあちゃんは90歳にしてiPadのプロだった。ライン名人だった。 週刊誌を読むのが大好きだった。テレビが大好きだった。 だから、iPadの充電器が壊れてアダプタを購入して欲しいと言われていた。好きな文集も買ってほしいと。 私はAmazonで購入して送ろうと思って、買い物カゴの中に入れていた。 でも、どちらもお母さんが買ったから、私は買わずに済み、わたしの買い物カゴは放置されたままだった。 それからおばあちゃんが死に、一週間

    おばあちゃんが死んだ
  • 親不孝息子でごめんなさい。

    口に出して言えないから、書く。 10月の半ばごろか、祖父が他界した。 俺は両親が離婚していて、母親・祖父・祖母の家庭で育った。 祖父と母親はずっと働いていたが、祖母は専業主婦だったので母子家庭にあるいわゆる鍵っ子にはならなくて、祖母に感謝である。 父親代わりに思っていた祖父には、中学生ぐらいから反抗し、結局高校を卒業して東京の大学へ行く車の中でも、なんとなく無言だったような気がする。 ウチは決して裕福ではないけども、東京に来ては、事あるごとに親に電話して金を仕送りしてもらっていた。 祖父はなんとなく気まずいから、祖母にずっと無心していた。 東京での俺の生活はひどいもので、週に何人も違う女の子を家に呼んでいたり、 貰う必要のない仕送りを、東京の生活はつらいと言って今でも実家から3万円もらいながら社会人をしている。 祖父が入院したと聞いたのは、ちょうど亡くなる一年前。 肺がんからの全身転移で、

    親不孝息子でごめんなさい。
  • 心の拠り所としての日常

    ぼくにとって、帰るべき場所は2つしかなかった。 母のいる実家と、彼女のいる家だ。 東京に出て6年、母とは8歳〜18歳まで二人暮らしで、毎年2回は帰省していた。 彼女とは地元で1年半ほど、東京で5年半ほど一緒だった。週末同棲のようなものだった。 この度、東京で就職が決まった。 それで最後の帰省になるかもしれないと思い、実家に帰って、母と2ヶ月ほど過ごした。体を悪くして、年々弱っていく母に、少しでも楽に過ごして欲しくて、家具や家電を買った。 一人でも生きていけるように、PCの使い方を教えた。図書館に行って、調べものをする習慣をつけて欲しいと思って、自分もそうやって毎日過ごして、調べたり、勉強する姿勢を見せた。 ぼくが居なくても、少しでも楽に生きて欲しいと思ったから。当は、もっとお金を稼いで、楽をさせてやりたいとも思う。それができない自分がもどかしかった。 そうこうしているうちに、東京に置いて

    心の拠り所としての日常
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