おう。ゴールデンウィークだから帰るぞ。 俺の好きな、ポークチャップ用意しといてくれよ。 豚肉とエリンギをケチャップ+ソースのタレで炒めるやつ。
実家に帰ってきて、やはり母はすごいなと実感した。 昔はある意味当たり前すぎてそんなこと全然思ったこともなかったし、 それほど好きでもなかった。 日中働いて買い物を済ませ、家に帰るなりご飯の準備をし、食べ終わった後に片付け、 お風呂に自分が先に入ることはせず、祖母を介護しつつお風呂に入れてから最後に入って 1時間一息ついたかと思うとすぐ寝床に入って朝5時とかに起きて弁当を作ったり家事したり… せかせか動いている母を見て、 「あ、母はこのサイクルでずっと生活しているんだ」ということになぜかハッとさせられた。 自分が小さい時より何一つ変わっていない。 それに対して、父も働いているけど母ほど家のことに協力的ではない。 自分の親なのに母に世話を任せっきりだし、ちょっとぼけ始めた祖母が同じことを繰り返し言うと 大声で怒鳴るだけ。うるさすぎてキレたと同時に、父に対して激しい嫌悪感を覚えた。 母は一体なん
何が楽しくて生きてるのかこれから何をどうして生きていきたいのか分からなくなった。 3月に国家試験に合格した。4月から新社会人になった。 仕事は自分が納得したところに入社して、わちゃわちゃしながらも頑張ってやってる。 普段使わないけどずっとやりたかった英会話も体験だけど趣味として始めてみた。 友達もそれなりにいるし、9連休のGWも遊ぶ予定立てた。 なのに自分の中が空っぽ。 母は今の仕事を良く思っていない。 連絡が来たと思えば決まって「本当にこの先そこで働くのか?」「どうしてもその職場じゃないとだめなのか?」「こっち(地元)に帰ってこい」「言うこと聞かない、子育てに失敗した」 母の前では良い子で居たかったけど、良い子が何なのか分からなくなって、自分も分からなくなりそうで、全部崩れ落ちそう。 父は私がどこで何をして働いているかきっといまいち知らない。 今年になってから異性の知り合いができた。時々
私の母は去年、夫を亡くしひとりぼっちの状態が続いている。 父親が亡くなってすぐは、父親を慕ってくれてた方々が遊びにきてくれたり、諸々の手続きが沢山あったり、それなりに忙しかったんだと思う。 ただ、ここ最近は塞ぎがちというか、たぶんやる事がなくて辛い毎日なんだと思う。 もともと父親が経営していた会社で働いていた母。 もちろん父親が亡くなった事により、会社も亡くなった。 そんな母親は、なんとかもう一度働こうと働き口をしていたが、世間的には高齢と呼ばれる部類に分類される母親に働き口なんかない。 父親なくなった瞬間、きっと母はすべての日常を失ったんだろうと思う。 言葉には出さないけど、明らかに辛そうな母親の顔が頭に焼き付いたまま離れない。 もう40年近くずっと毎日そばにいる状態で、それが会社でも家でもずーっと一緒で、そうやって積み上げてきた全てが亡くなるなんて、僕には想像できないし、本当に辛い事な
「なんで実家帰ってこなかったの?」 「いや、仕事でつかれてたから休みたかったし」 「カレンダー通りでも連休なんだから休めたでしょ?どこかいってたの?」 「(趣味で関東から東北にでかけてたけど、言うと愚痴愚痴文句言うので言わず)いや、大して遠出はしてないけど」 「なら来ればよかったのに」 「だから休みたいんだって」 「一日くらい来てご飯食べるくらいできるでしょ?」 「じゃーもう言うけど、東北の方に遊びに行ってたんだよ。だからそれ以外の日は休みたかったんだよ!」 「はぁ?!遊びに行く暇はあるけど実家に帰る暇はないの?一人娘なんだから少しは考えなさいよ。遊びと実家どっちが大事なの?私とは旅行なんて行かないのになんで旦那とは旅行に行くの?なにそれ、だいたい仙台なんて放射能汚染でひどいじゃない云々」 だからあんたの家には帰りたくないんだよ。同じ市内でも帰ったら疲れるから帰りたくないんだよ。
帰ったところで疲れるし。 車ですぐの距離だから行くのには疲れないけど、 帰ったところで親に気を使って疲れる。 結婚して五年も経つと親と一緒にいるより旦那と一緒にいるほうが気楽になった。 生活習慣の僅かなズレが、耐え難い苦痛になった。 二時間一緒にご飯を食べるだけでも仕事よりつかれる。 旦那も同じらしく、同じく旦那も実家には帰らない。 親は帰ってきてくれ、一人息子と一人娘だから、と言うけども、 休みの日は休みたいんだ。 それに対して実家で休めばいいじゃない、という返答をしてくるあたり、親にとっては子供はいつまでも実家でくつろいでくれるという幻想があるんだなぁ。 いうほど実家は居心地良くないよ。 好きにできる自分の家のほうが楽しいに決まってる。
本人が過去を語ったことは殆どない。 父は75年前、とある海沿いの温暖な田舎町に生まれた。祖父はそこそこの有力者であったが暴力的で、祖母は陰険な人であったと母は教えてくれたが、それ以外のことを私は何も聞いていない。 高校を卒業後証券会社に就職したが半年で辞めた父は、その後数年、伯父に生活費を援助してもらいながらニート生活を送った。 幸か不幸か伯父は真面目でお人好しだった。自ら脱サラし、地方都市に電気工事会社を立ち上げそこに父を雇い入れた。父はしぶしぶ電気工事士として働き始めたが、貰った給料はすぐに博打に消えてしまったらしく、伯父はその度に別途生活費を渡していたという。 のんべんだらりと生きてきた父だが、38歳の時に運命的な出会いをする。母は田舎から地方都市に出てきたばかりで、当時20歳だった。 付け焼刃でがむしゃらに働き始めた父の姿に母はまんまと騙され、二人は半年でゴールイン。が、結婚してす
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