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病と家族に関するNettouochiのブックマーク (47)

  • 親が乳がんです。私は旅行に行ってもいいでしょうか。

    先日、親の乳がんが発覚しました。不幸中の幸いというのでしょうか、がんの周りに血が固まっているせいで広がってはいないそうです。 人も普段通り(をつとめているだけかもしれませんが)にしています。 そして今月、手術を受けるのですが、私は母にどう接すればいいのかわからなくなってきてしまいました。 乳がんが発覚する前から、旅行の計画を立てていました。 日程がちょうど入院中の日にちになってしまい、そこはさすがにずらしましたが、旅行に行きたいと思ってしまうのは薄情なのでしょうか。 母のことが嫌いなわけではもちろんありません。が、家にいて娘役を演じる時間と夫役を演じている時間に疲れることはたまにあります(うちは母子家庭です。) 私がずっと家にいても母の病気は治りません。 母は人に弱い部分を見せるのが1番苦手です。病人扱いされることを嫌います。 そんな母を、私はどう支えれば良いのでしょうか。全然わからなく

    親が乳がんです。私は旅行に行ってもいいでしょうか。
  • なにが夢のような一週間じゃ●ね

    土日休みの仕事をしてる。 先週の月曜日にインフルエンザ発祥して、トータルでまるまる9日間休みになった。明日から復帰予定。 インフルエンザになったら仕事へは行けない。移したらいけないから当たり前である。特別休暇なんてないから、5日分の有給を強制消化だ。弊社は一月に有給がもらえるので、もらったばかりの有給をいきなり5日も使った形。有給なんか好きに取りなさいと言ってれる上司だから、病気で有給使うのほんと不意だ。 しかも2月3月は特に忙しい。その忙しいのに休んでしまうのが心苦しくて、あしたの仕事量を想像したら憂だしこのクソ忙しいのに休んでる間に代役立てもらったり同僚や上司にも迷惑かけている。その自覚があるから、インフルエンザと診断されたときに絶望してしまった。 今年流行りの熱が出ないタイプのインフルだったけど、熱が出ない代わりに咳と鼻が大崩壊して苦しかった。体はそんなにしんどくないけど咳が止ま

    なにが夢のような一週間じゃ●ね
  • 風邪引いちゃった

    あー。 なんか朝からぼんやりすると思った。 昼前になってもキツさが取れない。 こりゃ、風邪かもしれんな。 仕方がないから中休みの終わりに保健室に行った。 保健室の先生に熱を計らせてもらう。 37.8℃。 おっ、まあまあ出てるじゃん。 これはいけるか? 保健室の先生に体温計を見せると、先生はメモを書いてくれた。 「早退させたほうがよいでしょう。」 やったね。これが合法的に学校休める魔法の紙なんだよな。 体温を測っていたので授業の始まりにちょっと遅れた。 ドアを開けると先生とみんなが俺を見る。 みんなに見られながら、先生にさっきの紙を渡す。 「あら、大丈夫?荷物片付けて、早退しなさい。お大事にね。」 俺はざわざわと注目を浴びながら自分の席に戻り、教科書をランドセルに片付ける。 「元気?おだいじにね」 となりの席の女子が声をかけてくれた。 ありがとう、と返事して俺は教室を出る。 ドアを閉めると授

    風邪引いちゃった
  • さんざんな年末年始だった

    どこにも誰にも言えないし味方もいないから吐き出させてほしい。 年末から子どもたちはノロにかかるし 旦那は職場の人と浮気してたことがわかった。 離婚届を書いたけど、小さい方の子どもが間違えて離婚届に落書きしちゃったのを見てなんかバカバカしくなって離婚だけはやめた。 もう心の休まる時が全くない年末年始だった... ほんとは離婚しないなら会社を辞めろって結論になったんだけど、会社の取締役の人から直々に退職しないでくれと懇願された。 旦那の会社の人事の人が立会人になってくれて、今日は浮気相手にもう2度と旦那に接触しないことを書いた誓約書にサインしてもらうんだ。 でも気が重い。あたりまえか...。 結果、旦那は離婚もせず退職もせず今まで通り。。 苦労してるのはわたしと子どもたちだけ... 明日はわたしの仕事はじめ。 でも年末から誓約書作ったり(法律に疎いから一からザッと勉強して作った)、慣れない旦那

    さんざんな年末年始だった
  • 終活

    親父が肺ガンで余命宣告を受けたらしい 世の中100歳まで生きるのが普通になるらしいので 私もタバコと酒を多く嗜んで早く死ねるよう準備をしてもいいかもしれない

    終活
  • どこにでもある、ただの世間話

    おととい金曜から実家母が、肺炎で2週間の緊急入院してしまった。 最初はただの風邪かと思い耳鼻科へ行ったら、いつまでも熱が下がらず、たまたま通院予約を入れてた別のかかりつけ総合病院で、肺炎と診断されてそのまま入院、という流れ。 報せを聞いた金曜からずっと、自分んとこの家事や用事をこなしつつ、実家の家事と父の世話を、姉弟と相談して役割分担してたら、週末があっという間に終わってしまった。自分は実家の水回り家事担当として、明日から自宅仕事の合間に見舞いもしつつ、1-2日おきで実家の洗濯や掃除をすることになった。 実家の父は、自分では家のことを絶対に何もしない、やらない、全てを母に任せっきりの、昔気質の典型的な昭和偏屈男で、母の作った料理しかべない、でも母が倒れても看病すら一切しない、定期的に服用しないといけない薬は全部母に管理させている……といった具合で、むしろ入院中の母の世話よりも、家でテレビ

    どこにでもある、ただの世間話
  • お父さんがね

    ガンなの、多分、末期 もう3年くらい闘病してて、わたしこわくてあんまりお見舞い行けてない 行ったら多分泣いちゃうから でも会わないと後悔するってみんな言うし 自分でもそう思う でもさあ向き合いたくない…… 結婚も出産もしてなくて、ずっと娘のまま生きてきたから お父さんがいなくなるの、全然受け入れられない

    お父さんがね
  • 台風とわたしと大阪と東京と。

    父の病気で今年初めから生活が一転、二カ月前から東京から大阪に会社に無理言って転勤してる。 でもメインのクライアントは東京だから凄いしょっちゅう東京。 父もずっと入院だし大阪に来いても父の介護よりも母親のメンタルの介護のような状況。 そんな中、東京出張して三連休で久々に東京の友達とも会っていざ遊びに行こうってなった時に母親の電話の呼び出し。 父が危ないかもしれないから今すぐ帰って来いと。 こっちもどの位の危ない状況なのかも分からないし とりあえず台風の真っ只中に新幹線取って慌てて帰る準備して新幹線に飛び乗ったんだよ。 そしたら名古屋あたりでもう大丈夫。病院からも帰っていいって言われたからお母さんも家帰るわーってライン… いやいや新幹線やし、色々不安やし 友達と前から約束してたけど そんなん言ってる場合じゃないからと思って帰ってきてるんですけどこっちは。。 そんな程度なんやったら早く言ってよ…

    台風とわたしと大阪と東京と。
  • お母さんが3度目の癌になった

    離れた実家に暮らすお母さんが、癌になったらしい。3回目。 1度目は8年くらいまえに大腸がん。親が死ぬかもって初めて思ってすごく悲しかった。 手術が成功して、抗癌剤治療も終わって?また元気になった。 それ以降、親はいつ死ぬかわからないと思って、たくさん帰ったり、たくさん写真を撮ったり、喜ぶことを出来る限りしてみた。 2年前にまた肺がんになった。リンパにも転移していた。今度は場所的に手術ができないかもとか言っていた気がするけど、手術か抗癌剤治療かで、また完治した。 この時私は結婚したばかりで、やらないつもりだった結婚式を母の希望でこじんまりやることにした。 (しかし結果、結婚式がきっかけで離婚したのでやってないw) 自分が離婚するときはすごくお母さんに心配もかけて、おとなになって初めて喧嘩もして、お母さんから「うまく言えなくてごめんね」ってメールが来たのを覚えてる。 それでもまた前向きに、元気

    お母さんが3度目の癌になった
  • 母が乳ガンだそうだ

    検査でさっきわかった。もちろん手術する。治るかはわからない。多分人が一番不安だろう。 俺もショックだった。だが同時に覚悟もした。 正直に白状すると、俺は努力が嫌いで、今までちゃらんぽらんに生きてきた。散々現実逃避して、いろんなことから逃げてきた。働くのが嫌で、留年もした。にもなった。大変な心配をかけた。 だが、それももう終わりにする。 今の俺にできることは、己のスキルを高めて、金を稼げるようになり、母を安心させてあげることだ。 明日生きられるかもわからなくなった母のために、明日を存分に生きるようにしよう。 それにのみ集中すればいい。 やろう。

    母が乳ガンだそうだ
  • 「まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌

    40歳の節目。私は乳がんになった。 素朴だけど優しく私を愛してくれる夫と2児に恵まれ、幸せな人生を手に入れてそれなりに満足感のある日々だった。 幸せな日常を一瞬にして真っ暗な絶望に追いやった乳がんの発覚。 乳がんは罹る人も多い病気。負担はあるけど、治療なんてさほど難しくないと思っていた。 でも全然カンタンではなかった。 家族、友人、そして自分自身多くの人を深く傷つけ、心身共に疲れ果て全てを失う寸前まで追い込まれた。 判断ミスもあり、軽度とは言えない状態までいってしまった私だが、良き出会い、周りの人の支えに助けられたことは幸運だった。 手術、抗がん剤治療を行い私は今、再発の不安は抱えながらも元の幸せな生活を取り戻すことができた。 今思えば、「知らないこと」が理由で失ったものが沢山あった。 「もっと早く気づくことができれば・・・」「あの時あの治療を選択していれば・・・」「友人家族にもっと接する

    「まさか私が…」突然の発覚から3年、絶望から這い上がった私の乳癌
  • 父の癌

    一昨日の夜、22時09分、父は他界しました。最期は呼吸不全でした。苦しかっただろうに。 それは私に取っては唐突だった。 4月に父と義理の兄と三人でゴルフを行く約束をしていた朝、急に父から行くのが難しいと言われた。 胃が痛くて、眠れなかった。地元の病院で胃潰瘍と診断されていた。 その日は残念ながら、義理の兄と二人でいくことにした。 そして4月後半。仕事で鎌倉に行っていると、母からの電話がなった。 父が貧血気味で、急遽、大学病院に運ばれたとのこと。しかも最初の内視鏡で癌があると言われたらしい。 とは言え、父は71歳。癌が見つかることぐらいありうる。癌は昔と違って治る病気だ。 とりあえず、貧血もあって父は入院することになった。 そして数日後。急遽、主治医の先生に家族だけ呼ばれた。ちなみに主治医の先生は30歳の背の高いイケメン。 まずはCTの結果を見せられ、癌の状態を説明される。癌は胃から十二指腸

    父の癌
  • 些細な事でイラッとできる状況って幸せだっだんだなぁと家族が癌になって..

    些細な事でイラッとできる状況って幸せだっだんだなぁと家族が癌になって初めて気づいた。

    些細な事でイラッとできる状況って幸せだっだんだなぁと家族が癌になって..
  • 元ガン患者の家族だった私が、今さらだけどいいたいこと。

    仕事でストレスがたまっている。 私は結構溜め込んでしまうタイプだから、言いたくて言えなかったことをずっと心の奥底に押し込めてきている。 家族は私の話を聞いてくれない。 自分の悩みばかり聞いて欲しがり、私が話すとすぐに自分の話に切り替えてしまう。 最近、少しでも楽にならなければと思うようになった。だから、ここに吐き出す。読みにくいところもあるかもしれなくて、不快になる方もいるかもしれないが、とにかく吐き出す。 元ガン患者と書いているが、治ったガン患者のことではない。亡くなったほうになる。 母は、ガンで亡くなった。 わかってから1年と半年ぐらいだった。その間、一番大変なのは人。でも、私たち家族も大変だった。 毎日、職場では普通に振る舞わなければならない。症状が進めば進むほど精神的に苦しくて、何もしたくなかったけど世間ではそんなのは関係ない。 職場と病院、家を行き来するのだけで精一杯。衰弱して

    元ガン患者の家族だった私が、今さらだけどいいたいこと。
  • 自分を呪う

    私は大学卒業した後、地元の大手企業に就職した。 来は大学院に行って勉強を続けるつもりだったが、地元の親が許さなくて色々面倒事があったからだ。 不意で初めた仕事を続けてもう10年近いが、今でもイヤでイヤで仕方がない。 私には、仕事を始めるよりずっと前、就職が決まったその日に決意したことがある。制約といっても良い。 ある条件を見たした時、仕事を辞めて都会に行こうと。 それは時間や金や人や職場環境、家庭環境、自分の能力、残した成果などを加味した複雑な評価基準を条件として決めていたものだ。 学生ごときが考えた想定だったこともあり、冗談になるだろうと期待していた。 精神的にも肉体的にも参って崩れそうになった時は、何度もそれを頼みにして、自分の力、あるいは守りとして、生活してきた。 しかし、驚くべきことに、それは私の予想を超えて現在を許容できるものであった。 私の当時の決意は、面白いほどに的中した

    自分を呪う
  • 家族、同居人が風邪で寝込んだ時の対処法

    久しぶりに風邪で一週間近く寝込みました。 うちの夫が幸いにも看病に協力的で、非常に助かったわけですが、一方で滅多に寝込むことがない人なので、こちらのお願いなしには何をしたらよいか分からなかったようです。 意外とこのパターンはよそのおうちでもありがちでは?と思ったので、寝込んだ時にしてほしいことをまとめてシェアしてみます。 まあ都度お願いすればいいっちゃいいのですが、高熱で立ち上がるのもしんどい時はお願い自体ハードだったりするので、この時ばかりは察してちゃんになるのも勘弁して頂きたいです。 1.寝床のセッティングあれば電気毛布、湯たんぽ、毛布などで寝床を暖かくして欲しいです。 熱さまシート、氷枕で頭の周りを冷やすと気持ちよさでよく寝られます。 2.料の確保おそらく普通の事は体が受け付けない状態と思われるので、消化のよいものをお願いします。 スーパーやコンビニで手軽に入手可能かつ調理が簡単

    家族、同居人が風邪で寝込んだ時の対処法
  • 風邪で寝込んで家が足の踏み場もないほど散らかった

    夫が何でこんなに散らかってるんってびっくりしてた 私が掃除できないからや 夫は育児で忙しくなって掃除などの家事がおろそかになって家が散らかってると思ってるみたいだけど違うんや 掃除は子供を産む前の何倍もやってる それを遥かに越えるスピードで子供がちらかすのでいたちごっこになり現状維持が限界なだけなんや

    風邪で寝込んで家が足の踏み場もないほど散らかった
  • つらいつらいつらいつらい

    家族がとつぜんがんになってつらい。

    つらいつらいつらいつらい
  • 世界で羽ばたく人材になりたかった

    親の介護とか、自分の病気とか。色々うまくいかなかった。 facebookとか見て、羽ばたいていき最先端の現場で活躍している同級生達と自分と、比べてしまう。 最近は、女だし、世界を股にかけなくたって別にいいよねと自分に言い聞かせて暮らしている。最低の言い訳を始めてしまっている。一番嫌だと思っていた考え方をしていることに驚いた。でも、拘らなくても良いんだと、そう思いこむようにしないと辛すぎたり。 子供の頃からそのために頑張ってきたのに、レールを外れてしまった。年金暮らし。 最先端どころか、普通の生活すらままならない。生きてて良いことあるのかな。

    世界で羽ばたく人材になりたかった
  • 病人にイライラしてしまう

    自分が悪いのはわかってる。 家族が倒れて看病するべき、それにある程度はするし出来るのだけど、なぜかイライラしてしまう。 自分が扶養されたい、みたいな感覚があるからだろうか。 寝込んでる家族は悪くないのに、色々といつも通りできないのはわかっているのに、 パジャマが脱ぎっぱなしだったり物が散乱してると、口には出さないまでもとてもイライラしている自分がいる。 やりとりも我ながらとても棘々している。 これはなんでなんだろう。 そして、どうしたら愛情をもって接したり、イライラせずに看病をしてあげれるだろう。 今は年に数回看病するだけだけど、きっとこれからもっと回数は増えていくはず。 イライラせずにやさしい人になりたい。

    病人にイライラしてしまう