前々回のエントリーでは、アイデンティティや内面性についての批評家の関心は、日本では主に90年代の社会的空気に根ざしているという意味のことを書いた。とはいえ、誤解のないよう記しておけば、僕は、現在でもある種の「実存主義」らしきものが出ていることは否定しない。ある意味では、「現在でも」というより「現在こそ」というべきかもしれない。それは、たとえば宗教に対する関心が薄れていないことにも現れている。 たとえば、僕がいま宗教といってまっさきに思い浮かべるのは、台湾のことである。台湾の書店に行くと、スピリチュアルや癒し、あるいはセックス・ライフを扱った本がかなりの割合を占めているのに気付く。むかしエドワード・ヤンの映画で、母親が新興宗教に入信してしまい、取り残された子供が孤独に追い込まれるという筋書きの話があったが、そういう事例もたぶんそれほど珍しくないのだろう。しかし、それもあまり狂信的な感じはし
スピリチュアリティの興隆 [著]島薗進 [掲載]2007年03月04日 [評者]香山リカ(精神科医、帝塚山学院大学教授) ■「新霊性文化」がこの時代に持つ意味 人生の苦しみには、普遍的なものと時代ならではのものとがある。前者は病気や貧困、家族との別れなどであるが、最近は「生きる意味がわからない」など自己喪失感に苦しむ人たちも増えている。後者の苦しみは、決して科学の進歩やお金によっては救われない。 「私って何?」という問いの答えを求めていま、多くの人たちが「スピリチュアル世界」と呼ばれる目に見えない霊的な領域に関心を寄せている。伝統的宗教とは少し異なる装いで「死後の世界」や「人から出ているオーラ」について語られるテレビ番組は、軒並み高視聴率だ。 70年代から80年代にかけてニューエイジ系の若者を中心に起きた「精神世界ブーム」と呼ばれた同様の社会現象を鋭く分析した島薗進は、『スピリチュアリティ
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