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音楽と政治に関するamamakoのブックマーク (6)

  • 深町氏の言う「絶対善の押しつけ」はそんなに悪いことなのか? - 女教師ブログ

    音楽承前*1および、http://d.hatena.ne.jp/umikaji/20080227/1204125455しかしどういうわけかコメント欄では、PVで感動したと述べながらも、価値観の違いを表明した者への罵倒が続いている。やれ「悪に酔ってる」だの「優越感にひたってる」だの「これで作家?」だって。あげくのはてに好意的なコメントを残した人間にさえ、まるで同罪だと責め、ここを毎日見ている人間は偏っているときた。なんだろう。たった今、価値観の違いに苦しむ人間の歌と映像を見て感動したとおっしゃたその口で、異なる感想を持った人間に悪意をぶつけにいくとはどういう精神構造をしてるんだ。 先日の大反響について - 深町秋生の新人日記作家*2云々優越感云々はともかく、「悪に酔ってる」というのは、私も思った。「絶対善」を否定し、「善の押しつけ」を拒否しているのだから、自分を「悪」だと自覚してるんだろう、

  • まだ終わりではない、という認識 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    id:FUKAMACHIさんの記事が、話題になっているようだ。FUKAMACHIさんは、一青 窈「受け入れて」を偽善であると批判した。この記事を受けて、多くのコメントが寄せられ、その中にはFUKAMACHIさんの人格やキャリアを否定するような文言もあった。 その後、FUKAMACHIさんは補足の記事で、PVに描かれた被差別者の姿がステロタイプな、かわいそうな弱者であったことを批判したのだと、説明する。FUKAMACHIさんは、被差別者も「普通の人間」であり、「虫も殺さなさそうな純粋な人間」ではなく、もっと複雑な内面を持っているという。そして、PVには、その被差別者の繊細さを踏みにじる表象の暴力があった可能性を指摘している。 私も、このPVを観たが、不快であった*1。たとえば、もし、冒頭に出てくる特殊メイクの人が「懲役中の強姦殺人犯」という設定であれば、私はかなり興味を引かれたと思う。今の日

    まだ終わりではない、という認識 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
  • 坂本龍一 - 一人でお茶を

    まず、次の記事を。 [音楽][俺はミュージシャン]へたれ政治的メッセージソングを歌うブルジョア・アーチストがムカつく - 女教師ブログ 上の記事がおもしろかったので、私もそこで紹介されていたPVの感想を書いてみます。 一青窈「受け入れて」のPVについては、私はひどいとは思わなかった。フランケンシュタインの怪物みたいな顔の役者とかわいらしい着ぐるみに出てこられてはメルヘンな光景になってほんわかしすぎている、内容がベタすぎてださい、というのはそのとおりなのだろうが、もっともっともっと筋金入りにひどいPVを昔MTVでゲップが出るほど見せられたせいか、まあこんなもんでしょ、くらいにしか思わないのだった。 歌はまったく印象に残らない。歌詞もまったく頭に残っていない。ただ、柴犬だけが鮮烈である。 うつくしい。 さて、深刻なまでに悪性のひどさを見せつけてくれているのがRyuichi Sakamoto -

    坂本龍一 - 一人でお茶を
  • ニュース23の「WAR AND PEACE」 - ohnosakiko’s blog

    仲良しの二人 坂龍一もうダメダメだなと、昨日のニュース23を見て改めて思った。 ニュース23の15周年記念企画で、全国から「WAR AND PEACE」というテーマで詩(朗読)を募集し、それに坂が曲をつけたということである。二千数百もの応募があり、そこから19人の詩が選ばれて、それぞれが住んでいる日各地にテレビ局が赴いて朗読の模様を撮影、録音している。 そうした制作過程のVTRが放映され、坂が筑紫哲也にインタビューされ、曲が演奏された。 しかし何度目だろう、坂龍一が筑紫哲也の番組に出るのは。坂は筑紫の番組でもっているんじゃないかと思えてくる。 ちなみに、「WAR AND PEACE」の英語版は既に今年出たアルバムに収められていて、そこでは坂の作った詩を職業、人種、年齢さまざまなニューヨークの人々20人に一節ずつ朗読させているらしい。 なぜ自分で読まないのだろうか、自分の作った

    ニュース23の「WAR AND PEACE」 - ohnosakiko’s blog
  • 先日の大反響について - 深町秋生の新人日記

    随分と大反響だった。まさかここまでとはと驚いている。 コメント欄も大賑わいだ。しかし相当荒れている。すごいね。 あの「受け入れて」というPVのテーマは言うまでもなく差別だ。差別問題にストレートに挑戦する作品というのは珍しく、そのチャレンジ精神には感心したものの、描き方が稚拙なので、とても受け入れられないと評した。それは今も変わらない。 差別とは、言うまでも皮膚や言語や宗教や性や国籍が異なることで起こる。さらに住む場所や方言や体重や趣味仕事の優劣やファッション、ちょっとした違いをわざわざ見出して行ってしまうからやっかいであり、なかなか逃れられない人間の業みたいなものだ。 聞けばあの曲は性同一性障害を持った友人の告白から生まれたのだそうな。それならますますわからなくなってくる。つまりあの作品は「さまざまな価値観の相違があるだろうけれど受け入れて」という内容もあるのだろう。 しかしどういうわけ

    先日の大反響について - 深町秋生の新人日記
  • 一青 窈さんのPVがすごすぎる件について(コメント欄) - 深町秋生の新人日記

    焼酎の湯割りを飲みながらスペースシャワーTV見てたら仰天してしまった。湯割り吹いちまったじゃねえか、この野郎。 音楽専門チャンネルだけあって、敵性音楽であるJ−POPのPV(プロモーションビデオ)がひんぱんに流れているのだが、どいつもこいつもあいかわらず青空を見上げたり、陶酔しきった表情つくったり、バカップルみたいにいちゃいちゃしてたり、ブサメンのレゲエ野郎が宗教臭い説教かましたり(ET−KINGってなんの宗教にはまってんだろう。ハーレルーヤーとか唱えるし。大阪は変な宗教いっぱいあるもんな)当に反吐がでそうになるのだが、そうとわかっていてもなぜかチャンネルを合わせてしまう。困ったことだ。 たまに電グルのPVのような心洗われるのもあるし、何年も鑑賞していると、たいていのPVでは驚かないのだが、さすがに一青 窈のやつはマジでびっくりしてしまった。当にやばい。公開カルト宣言って感じなのだ 個

    一青 窈さんのPVがすごすぎる件について(コメント欄) - 深町秋生の新人日記
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