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批評に関するamamakoのブックマーク (61)

  • 『プロフェッショナル 仕事の流儀 “ジブリと宮崎駿の2399日”』を見て批評家の役割について考えた|三宅香帆

    映画『君たちはどう生きるか』を作るにあたって、宮崎駿監督がいかに苦心して「高畑勲監督という名の”父”と別れを告げるのか」を中心に描いており、結果的に半ば狂気の域まで達しながらも映画をつくることで彼は高畑さんとのお別れを果たしたのだ、というストーリーになっていました。 編集もすごく凝っていて、ジブリの映像をたくさん編集に使えるなんて嬉しすぎ! というプロデューサーの声が聞こえてきそうな番組でしたね……そんなことない? しかし私はこの番組を見て心底「批評家がやるべきこと」について考えたのでした。 1.批評の時代から、考察の時代へそもそも私は、ここ数年は「考察の時代」だと思っている。 考察とは何かというと、「作者が作品に仕掛けた謎を解く」こと。たとえばドラマ制作者がドラマに仕掛けた謎を視聴者が番組を見ながら解いていくこと、あるいは映画製作者が映画に忍ばせておいた秘密を視聴者が紐解くこと。どんな作

    『プロフェッショナル 仕事の流儀 “ジブリと宮崎駿の2399日”』を見て批評家の役割について考えた|三宅香帆
  • 稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』感想〜万人の万人に対する象徴闘争から覚醒させられる「編集権の簒奪」というチートスキル - 太陽がまぶしかったから

    映画を早送りで観る人たち なぜ映画や映像を早送り再生しながら観る人がいるのか――。なんのために? それで作品を味わったといえるのか? 著者の大きな違和感と疑問から始まった取材は、やがてそうせざるを得ない切実さがこの社会を覆っているという事実に突き当たる。一体何がそうした視聴スタイルを生んだのか? いま映像や出版コンテンツはどのように受容されているのか? あまりに巨大すぎる消費社会の実態をあぶり出す意欲作。 映画を早送りで観る人たち~ファスト映画・ネタバレ――コンテンツ消費の現在形~ (光文社新書) 作者:稲田 豊史光文社Amazon 書は『「映画を早送りで観る人たち」の出現が示す、恐ろしい未来(稲田 豊史) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)』から始まった早送り論についての、派生記事のとりまとめや書き下ろしを含んだ総括である。コンテンツの消費者にも、脚家にもインタビューしており、ま

    稲田豊史『映画を早送りで観る人たち』感想〜万人の万人に対する象徴闘争から覚醒させられる「編集権の簒奪」というチートスキル - 太陽がまぶしかったから
    amamako
    amamako 2023/06/26
    「編集権の簒奪」という形で作者の特権を剥奪する一方で、提示された作品の解釈については「作者の意図通りに解釈しなければならない」という風に作者の特権が維持されているように見える(←但しエビデンスはない)
  • あのころは「ものすごく辛辣に社会批評をする童貞と処女の集まり」がいた - あままこのブログ

    imidas.jp 「私が「冷笑系」だった頃〜「リトルひろゆき」たちとの楽しくも不毛で、だけど必要だった日々」という雨宮処凛氏のコラムを読んだ。この中で、まず自分が反応してしまったのが次の一節だ。 最初の頃はそんな彼ら彼女らに反発を覚えた。だってリトルひろゆきたちは、当時の私にとっての神だった大槻ケンヂまでこき下ろすのだ。もちろん彼らも大槻ケンヂが大好きなのだが、「神」と崇めるようなスタンスは痛く、好きだからこそ批評してナンボということらしかった。またそうすることによって、自分の知識の深さを自慢したいという動機もあるようだった。とにかく彼ら彼女らはすべてを上から目線で語っていた。 「ものすごく辛辣に社会批評をする童貞と処女の集まり」 当に童貞・処女かは別にして、私は心の中で彼ら彼女らをそう呼んでいた。 この一節は、当時雨宮氏がリアルに(おそらくロフトプラスワンとかで)付き合っていた人らの

    あのころは「ものすごく辛辣に社会批評をする童貞と処女の集まり」がいた - あままこのブログ
    amamako
    amamako 2023/06/23
    「それってあなたの感想ですよね」という言葉で論破して、それでよいという風潮を作ってきたのは、他ならぬ我々だったよね、という話。
  • not for me,not for meうるせえよ!!!!!!!

    anond:20221119161631 >not for meを「駄作」って言わない方がいい。あなたのための作品ではない。ってだけなのに。たかが数千円払って、自分にはその権利がある。なんて、おこがましいとは思わない?まぁ批評するのは自由にしたらいいけど。 毎回作品への批判記事のブコメに湧いてくるこういうnot for meバカ 駄作だと思った意見を書いてるのにそれを「not for meなだけ」と勝手に個人の感想を決めつけてきてどれだけおこがましいんだよ たかが数千円って興行側が決めた正当な金額を払った客として当然の権利だろ 最後は批評は自由にしたらいいとか結局何がいいたいんだ こいつら結局自分が楽しんだ作品を批判されて切れてるだけだろ それをnot for meなんて言葉で隠して相手に押し付ける 自分がつまらないと思った作品への批判記事に「俺もつまらなかったけどnot for meなだ

    not for me,not for meうるせえよ!!!!!!!
  • 荻上です。ラジオのOPで、2、3分ほどのフリートークの時間があります。僕は..

    荻上です。ラジオのOPで、2、3分ほどのフリートークの時間があります。僕はそこで、『ルックバック』現象について簡単に触れました。 https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496401369355 内容は、「『ルックバック』というすごく良い漫画が話題になっていた。漫画家クラスターなどを含めてさまざまな反響があった。「過去を振り返る」「前を向く」ことについて読み手に考えさせる作品であるが、打ちのめされたようなツイートをしている人も。詳細は、社会的な出来事に関わる漫画でもあり、触れるとネタバレになりそうなため、ひとまず読んでいない方は是非」というものです。 受け止め難い理不尽な出来事を前に自分を責め、「あり得たかもしれない別の世界」あるいは「イマジナリーな救済」に一時避難するが、それでもなお「自分の席」に座り直すというストーリー。主人公たちが過ごした時

    荻上です。ラジオのOPで、2、3分ほどのフリートークの時間があります。僕は..
    amamako
    amamako 2021/07/21
    まさかの増田投稿/やっぱラジオで語るには早すぎたと思うよ。SNSで他の批評家がきちんと批評的態度を取った発言をしてるのをみると尚更そう思う。
  • 丸山健二Twitterの炎上、あるいは『鬼滅の刃』と価値基準について - 大槻慎二|論座アーカイブ

    丸山健二Twitter炎上、あるいは『鬼滅の刃』と価値基準について 小説の「言語」とアニメの「非言語」をめぐる《反措定(アンチテーゼ)》 大槻慎二 編集者、田畑書店社主 もう昨年のことになるが、12月のはじめ、Twitterのタイムラインに流れてくる荒れた言葉の数々を見て、「困ったことになったな」と内心で呟いていた。 いわゆるその“炎上”は、作家の丸山健二さんがTwitter上で発信した次のような文章が引き起こしたものだった。 少年期を過ぎたならば、アニメやゲームという非現実の世界からは完全に手を引かなければならず、さもなければ、自立や自律とはいっさい無縁な、不気味極まりない子ども大人として異様にして異常な人生を送るだけならまだしも、社会全体と国家全体を尋常でない集団に仕立て上げ、暴力の狂気を迎える。 その「荒れた言葉」たちの内容は充分に予測できたものとはいえ、あまりにヒステリックな負の

    丸山健二Twitterの炎上、あるいは『鬼滅の刃』と価値基準について - 大槻慎二|論座アーカイブ
    amamako
    amamako 2021/01/21
    こういう批評的な興味深い議論ができた時代っていうのはもうはてなですら終わってるんだなと、ブコメの惨状を診て思う。
  • TVアニメ『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』が描いた侑と9人の絆:ある僭主の「百日天下」とその手口|髙橋優

    はじめにVerfluchter Fürst! ich irr' / kan der ein Fürste seyn / An dem nichts Fürstlichs ist / auch nicht der minste schein? 我過てり、呪わしや! はたして君主たりうるか、 およそ君主に相応しき資質を持たず、 君主たる上辺も持たぬ其奴めが? ――アンドレーアス・グリューフィウス『レオ・アルメニウス』、第三幕第五場 (Andreas Gryphius, Leo Armenius. Trauerspiel, hrsg. v. Peter Rusterholz, Reclam, Stuttgart 1996, S. 70) TVアニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』(以下、『ニジガク』と略称)は「アイドルアニメ」ではない。 2020年10月期のTVアニメにおける二大

    TVアニメ『虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』が描いた侑と9人の絆:ある僭主の「百日天下」とその手口|髙橋優
  • 自由と肯定のスクールアイドル、ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会総括インプレッション - ゴールデンレトリバー撫でたい

    ついにアニヶ咲が終わりました。2020年代の始まりにふさわしい新しいマイルストーンになる作品だったと思います。 のでさっさとこの記事出します。元々は11話に焦りすぎてそれまでのメモ書きを全部文章に起こて自分の読みを整理したのが元になってるんですが、そのあとも書き継いでいるうちにこういう長さになりました。 だいたい1万2,000字です。この下書きを外に出さないと私は一歩も前に進めないよ。(※そうやって見切りで出したおかげで公開から2日経っても文章に手入れ続けてます。もし見直してなんか細部変わってたらごめん)(そろそろ1万3,000字になる)(越えました(1月1日付)) 作品としては、何より物語のテーマやメッセージが響く作品でした。僕みたいなのが言うのもなんですがシンパシーを感じるアニメだった。アイドル扱ったコンテンツこんだけ増えてると差異化や新規性みたいなほうに目がいきがちだけど、最終的には

    自由と肯定のスクールアイドル、ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会総括インプレッション - ゴールデンレトリバー撫でたい
  • 『プロメア』:寒々しさが付きまとう“熱血”アニメ映画 - THE★映画日記

    プロメア 発売日: 2020/05/24 メディア: Prime Video 突然変異して身体から炎を発火して操れるようになった新人類「バーニッシュ」の登場により人口の半分が亡くなる事件が起こってから30年後、バーニッシュへの対策が行われて文明がやや発展した世界における近未来都市、プロメポリスが舞台の物語。主人公のガロは、バーニッシュが行なう放火テロに対抗して消化活動や人命救助を行う消防隊「バーニングレスキュー」の隊員である少年だ。そんな彼がバーニッシュのテロ組織「マッド・バーニッシュ」のボスであるリオという少年と知り合い、いろいろとぶつかり合ったり闘ったりしたあとで、物語の黒幕であるプロメポリス司政官のクレイを倒すために共闘することになってなんかでっかいロボットを二人で操ることになる……というストーリー。 独特な映像表現はかなり魅力的だ。バーニッシュの炎や熱を「三角形」で、それに対抗する

    『プロメア』:寒々しさが付きまとう“熱血”アニメ映画 - THE★映画日記
    amamako
    amamako 2020/08/07
    いわゆる「ジャンル映画」ってものをどう見るかよね。
  • 読者のことなんて気にしなくても「批評」はできるよ(読書メモ:『はじめての批評:勇気を出して主張するための文章術』) - 道徳的動物日記

    はじめての批評 ──勇気を出して主張するための文章術 作者:川崎昌平 発売日: 2016/06/25 メディア: 単行 このの「はじめに」に書かれている、著者の問題意識は以下のようなものである。 …若い人々から、「書きたいけど、書けない」といった悩みを打ち明けられる経験が、ここ最近、少しだけ増えたように感じるのです。「うまく書けない」とか「書きたいテーマが見つからない」とかではなく、「書きたいけど、書けない」という彼らの問題意識をより掘り下げてみると、どうやらそうした悩みの背景には「訴えたいものがあり、それについて書きたいが、書くと反発を受けるのではないか」といった趣旨の、一種の躊躇、大袈裟な表現を使えば恐怖があるようでした。「炎上」などの言葉に象徴されるように、ある主張が特にインターネットを媒介として多くの人々に共有されると同時に猛反発の憂き目に遭い、総叩きを喰らうーーそうした現象は

    読者のことなんて気にしなくても「批評」はできるよ(読書メモ:『はじめての批評:勇気を出して主張するための文章術』) - 道徳的動物日記
  • オタクは辛口批評をしなくていいけど批評に信念を持て - 空白雑記

    srpglove.hatenablog.com amamako.hateblo.jp オタクが軟弱化して辛めの批評を書かなくなったから、最近のオタクコンテンツはひたすらヒロインが可愛いだけの薄っぺらい作品ばっかりになってるんだろうが。定型文と画像で褒め合うクソみたいな学級会文化をやめろ。辛口批評を書きまくって仲間のオタク気の喧嘩をしろ。90年代に戻れ。 — 小山晃弘 (@akihiro_koyama) 2020年5月5日 はじめに まず出発点のつぶやきが、取り上げるに値しない。 最近のオタクコンテンツはぬるいとかいうけど、鬼滅も進撃も呪術もチェンソーもかぐや様もキングダムもパラレルパラダイスもヒストリエもヴィンランド・サガもその他たくさんめちゃくちゃおもろい現役連載作品が漫画だけでもあるやろこのメンヘラ500円Note売りの浅ましい炎上狙いが!としか思わん また、それに付随した話も「批

    オタクは辛口批評をしなくていいけど批評に信念を持て - 空白雑記
    amamako
    amamako 2020/05/10
    ”これがそもそも間違ってる。他人の「批評の存在」を否定するな。どんな批評であってもその人がそう思って書いたならそうなんだ。“
  • 辛口批評は自己肯定感の奪い合い - 玖足手帖-アニメブログ-

    前回のあらすじ。 アイドルマスターシンデレラガールズのアイドル全員のまつ毛の数を数える記事を書いたら、季節の変わり目ということもあり37.3度くらいの微熱が12日続いてゴールデンウィークが潰れた。まあ、無職だからそもそもゴールデンウィークは存在しないがな! 久しぶりに精神科に行ってきたので、テンションが上って免疫力が回復した。(メンヘラにとってまともに(IQの高い)人と会話ができるのは精神科くらいしかないので、精神科くらいしか音声会話の機会がない。ツイッターはそこそこ腹のさぐりあいで) 今日からなんとか復活していきたい。(熱が出てたけどデレステの虹色ドリーマー(営業)とグラブルの呂布を寝床でポチポチしていた) 精神科医のシロクマ先生も乗っかっている辛口批評。 p-shirokuma.hatenadiary.com リハビリを兼ねて話題に乗っかっていきたい。 ワイの辛口批評 オタクが軟弱化

    辛口批評は自己肯定感の奪い合い - 玖足手帖-アニメブログ-
    amamako
    amamako 2020/05/09
    こっちも確かにネットコミュニケーションの一側面だなと思った。インターネット芸者になるには、確かに悪口が最短の近道なんだよな。
  • 批評 - ひとつ恋でもしてみようか

    上野千鶴子が「批評」を定義した言葉にグッときた。 それは自分が魅惑され、魂を掴まれた対象と格闘し、それにさようならをいうために書く…他者の言語を使って自己を語る迂遠な形式 自分の魂を救済してくれた人物や作品に、甘え続けたり溺れたりするのでなく、感謝を告げて「さようなら」する。誠心誠意の弔辞を捧げる。自分のなかで、恩人の役割を終えさせる、恩人を殺す。その試みは十中八九失敗するけれど、それでも対象からの影響を乗り越えていくために、生きていくために、語り尽くす。 今、インターネットが渇望しているのは批評だ。感謝の言葉は陳腐だから、恩人と殺しあうつもりで語らないといけないな、と思った。

    批評 - ひとつ恋でもしてみようか
  • 今のネットでアニメ辛口批評なんてできたもんじゃない - シロクマの屑籠

    オタクが軟弱化して辛めの批評を書かなくなったから、最近のオタクコンテンツはひたすらヒロインが可愛いだけの薄っぺらい作品ばっかりになってるんだろうが。定型文と画像で褒め合うクソみたいな学級会文化をやめろ。辛口批評を書きまくって仲間のオタク気の喧嘩をしろ。90年代に戻れ。— 小山晃弘 (@akihiro_koyama) 2020年5月5日 オタクというのは好きな作品の悪口を吐き続ける生き物だと思ってるので、昨今のひたすら褒め合うコミュニケーションで同調圧力を形成する流れが心底嫌いですわ。オタクは好きな作品に辛めの批評を書いて仲間のオタクを攻撃する生き物なんだよ。男オタク腐女子みたいなキモい学級会を開くんじゃねえ。— 小山晃弘 (@akihiro_koyama) 2020年5月5日 メンヘラ.jpの小山さんが難しいことをツイートしていて、私も難しい顔になってしまった。 この手の「最近のオタ

    今のネットでアニメ辛口批評なんてできたもんじゃない - シロクマの屑籠
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    amamako 2020/05/07
    記事を読んでたら、単純に「ネットで万人に向けて書くこと」と「チラ裏に書き捨てること」の間を埋める、分かってる人同士で語り合う場がないことが原因じゃないかと思えてきた。僕の場合それは大学のサークルだった
  • 「〇〇はいいぞ」で埋め尽くされる時代に、それでも批評を書く理由 - あままこのブログ

    小山晃弘(わかり手)という方が、オタクコンテンツの批評についてtwitterでこんな発言をし、物議を醸しています。 オタクが軟弱化して辛めの批評を書かなくなったから、最近のオタクコンテンツはひたすらヒロインが可愛いだけの薄っぺらい作品ばっかりになってるんだろうが。定型文と画像で褒め合うクソみたいな学級会文化をやめろ。辛口批評を書きまくって仲間のオタク気の喧嘩をしろ。90年代に戻れ。— 小山晃弘 (@akihiro_koyama) 2020年5月5日 「ガルパンはいいぞ」とかも心底キモかったですね。褒めるにしてもせめて自分の言葉で褒めろやと。これがSNS時代ということなのかもしれませんが。 https://t.co/1GERAN423j— 小山晃弘 (@akihiro_koyama) 2020年5月5日 はてなブックマークでの反応b.hatena.ne.jpや、twitterで自分がフォ

    「〇〇はいいぞ」で埋め尽くされる時代に、それでも批評を書く理由 - あままこのブログ
    amamako
    amamako 2020/05/07
    批評ってのは、世界を変えるためではなく、世界に自分を変えられないためにあるのだと思う。
  • 「商業媒体で“アニメ批評”は難しい?」 メディア各社にアンケートしてみた

    商業媒体でアニメの記事を作る上で、画像や映像を引用の範囲を超えて使用するのであれば、版権元への許諾申請が避けて通れません。その中で、素材を提供する版権元への「忖度」が発生し、自由な評論の妨げとなることはないのでしょうか? ねとらぼ編集部では「商業媒体で“アニメ批評”はなぜ難しいのか?(当に難しいのか?)」をテーマに、当事者であるメディア各社にアンケートを実施。14媒体の内、5媒体(「ねとらぼエンタ」を含む)から有効な回答がありました。 回答があったのは「IGN JAPAN」「朝日新聞」「アニメイトタイムズ」「KAI-YOU.net」「ねとらぼエンタ」の5媒体。「『アニメ批評』の記事が作りにくいという実感はありますか?」という質問に対して、「ある」と答えた媒体はありませんでした。各媒体の回答全文は次ページで。 アンケートの回答全文を読む このテーマはしばしば議論の対象になってきました。例え

    「商業媒体で“アニメ批評”は難しい?」 メディア各社にアンケートしてみた
  • 山本寛『アニメ評論はなぜ「無いように見える」のか?』

    アニメ評論はなぜ「無いように見える」のか? アニメ雑誌と評論の歩み――アニメ評論家・藤津亮太インタビュー ねとらぼが実に挑発的なインタビューを試みた。 氷川竜介や小黒雄一郎なら絶対受けないこのインタビューを、藤津さんが敢えて受けた。 まぁ根が正直者なのか、結論を最初の方に言ってしまい、「アニメは映画小説のように評論なんかできまっしぇん!!」ということの理由というか言い訳を延々語っているだけだ。 しかしメディアの方も「作りにくい実感はない!」のだそうだ。 アニメジャーナリズムはやはり脳味噌お花畑だったようだ。 そんなの百も承知だが。 じゃあ君ら、何のためにいるの?? 「ユーザーが評論を求めていない」と言いながらも、未だ勢いが衰えないまとめサイトの恣意的・故意的な人心操作は見て見ぬ振りしているのだろう。 要は、自分に自信がないだけなのだ。 評論家は来、必要である。 まとめサイトの衆愚制に対

    山本寛『アニメ評論はなぜ「無いように見える」のか?』
  • アニメの多様性を考える - 批評・ジャーナリズムがほぼ存在しないアニメ業界|さぶかるもん

    前回のブログ記事の最後に、ドラマ『カルテット』のパセリの話題を引用して、アニメ業界は他のエンタメ業界に比べてパセリに注目するような土壌がほぼないと書きました。パセリだとなくてもいいとなっちゃうかもしれないので、ラーメン業界に例えると、味のバリエーションが少なく、各店舗による違いがあまりないという寂しい状況にアニメ業界はなってきていると危惧します。散文になってしまいますが、アニメ業界と他業界の違いを中心にアニメの現状を考えていきたいと思います。 映画業界の場合、様々な映画祭があり、キネマ旬報や映画秘宝(廃刊してしまいましたが…)などの批評雑誌の存在もあって、興行だけでは計れない指標があり、一定程度の多様性や新人育成の機会が保たれていると思います。片渕さんへのインタビューへの反応として映画賞に対して否定的な意見もありましたが、賞が全てではないにしろ、海外含めたコンペなどで注目をされることの効果

    アニメの多様性を考える - 批評・ジャーナリズムがほぼ存在しないアニメ業界|さぶかるもん
  • yaplog!(ヤプログ!)byGMO

    ヤプログ!をご利用のみなさまへ 「ヤプログ! byGMO」は、2020年1月31日をもちまして、サービスを終了いたしました。 ご利用のみなさまへご迷惑をおかけいたしますこと、深くお詫び申し上げます。 15年間ヤプログ!をご愛顧いただき、誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。 今後とも、GMOメディア株式会社のサービスをよろしくお願いいたします。

    yaplog!(ヤプログ!)byGMO
    amamako
    amamako 2019/11/05
    "90年代の『ウテナ』では「世界を変える」ことが主人公たちの目的だったのが、2011年の『ピンドラ』では「生き残る」こと自体が目的になっている"ここらへん、見たときは理解できなかったけど今なら理解できる気がする
  • 「あいトリ」騒動は「芸術は自由に見ていい」教育の末路かもしれない(森 功次) @gendai_biz

    あいちトリエンナーレ2019が閉幕した。これほど騒ぎになった芸術祭は日ではかつてなかっただろう。話題の中心となったのは最後まで「表現の不自由展・その後」だった。もっと光を当てられるべき良い作品が多数あった中、これは残念なことだ。 当初批判の的となったのは、キム・ソギョン/キム・ウンソンの《平和の少女像》と大浦信行《遠近を抱えて Part II》の2作品だったが、「表現の不自由展・その後」の展示再開後には、「Chim↑Pom(チンポム)」の映像作品、《気合い100連発》も批判され出した。 稿では、今回の騒動があらわにした分断と、その背後にある芸術観について考察する。まずは《気合い100連発》に向けられた批判を見ることから、話を始めよう。 Chim↑Pom《気合い100連発》への誤解 《気合い100連発》は、Chim↑Pomのメンバーが福島県相馬市の若者たちと円陣を組み、順番に気合いの掛け

    「あいトリ」騒動は「芸術は自由に見ていい」教育の末路かもしれない(森 功次) @gendai_biz
    amamako
    amamako 2019/10/19
    では森さん、この記事をはてブ・Twitteで「誤読」している人全てを丁寧に批判していってください(皮肉)