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社会学に関するamamakoのブックマーク (51)

  • 没入型エンターテイメントについて考える « SOUL for SALE

    3月1日に東京・お台場にオープンした「イマーシブ・フォート東京」。事前に大きな話題を読んでいたことや、この分野について以前に論じていたこともあって、春休みのタイミングを利用して行ってきた。結論から言うと、自分が論じていた「没入性(イマーシブネス)」について実践的な取り組みが行われていることが確認できた一方で、今後に向けた課題も感じるものだった。 まず押さえておかないといけないのは、「イマーシブ」が2020年代のエンタメのキーワードになりつつあるということだ。イマーシブなエンタメには大きく言って、「イマーシブ・ミュージアム」のように、既存の絵画を動画化してプロジェクション・マッピングとして投影するタイプのものと、今回のイマーシブ・フォート東京のように演者が演劇を行う場面に一緒に参加できる「イマーシブ・シアター」がある。イマーシブ・シアターには、「ひろしまナイトミュージアム」のように舞台と美術

    没入型エンターテイメントについて考える « SOUL for SALE
  • 櫛原克哉『メンタルクリニックの社会学 雑居する精神医療とこころを診てもらう人々』を読む - 関内関外日記

    メンタルクリニックの社会学: 雑居する精神医療とこころを診てもらう人々 作者:櫛原克哉 青土社 Amazon おれは「こころを診てもらう」側の人間だ。当事者である。おれはおれの精神科に通い始めて十三年くらいになる。障害者手帳も持っている。初めて行ってからのことは以前書いたことがある。 blog.tinect.jp おれの場合はこんな感じだ。でも、おれが通っているところが「精神科」なのか「心療内科」なのか「メンタルクリニック」なのかよくわかっていない。「(地名)クリニック」という名前だ。正体がわかっていないのでウェブサイトを見てみたら「心療内科・精神科・神経内科・内科」と書いてある。ますますわけわからん。なお、医師自身はちゃんとした精神科医ですよ、なんとか専門医ですよ、みたいな感じの証明書みたいなのを待合室に提示している。「医学博士、日神経学会認定神経内科専門医、身体障害者福祉法指定医、日

    櫛原克哉『メンタルクリニックの社会学 雑居する精神医療とこころを診てもらう人々』を読む - 関内関外日記
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    amamako 2024/03/16
    気になる。とりあえず買っておいた
  • 人生を変える社会学──『岩波講座 社会学』刊行にあたって

    このたび、『岩波講座 社会学』が正式に刊行開始となりました。前回の「岩波講座」からほぼ30年経つ。私のほかに、北田暁大、筒井淳也、丸山里美、山根純佳の各氏が全体の監修を務め、テーマごとに編集される全13巻の各巻に、そのテーマに造詣が深い社会学者が編者になります。 前回の「岩波講座」が刊行されたときは、たしか私はまだ院生でした。貪るように読んだことを覚えています。あれから社会も、社会学も、大きく変化しました。 前回は上野千鶴子や吉見俊哉、大澤真幸などが全体の監修者で、巻数も26あったと記憶しています。各巻のタイトルも凝ったものが多かった。執筆者も社会学プロパーだけでなく、竹田青嗣などの周辺領域の方が入っていました。文体や内容も派手で、自由で、雑多で、それほど社会学とは関係のないものもたくさんありました。もちろんそれだけではなく、当時の最先端の社会学的な議論をしている論文もたくさんあって、たと

    人生を変える社会学──『岩波講座 社会学』刊行にあたって
    amamako
    amamako 2023/12/15
    いかにも「ネット受け」を狙ったような文章で、岩波は売り方が上手いなぁ(皮肉)/言及したhttps://amamako.hateblo.jp/entry/2023/12/15/182004
  • 見田宗介の死、「ほんとうに切実な問い」: 鶴見済のブログ

    その時に、「自分としてはこれ以上に追悼すべき人はいない」みたいなことを書いたのだが、実はひとりいるなと思っていた。

  • 「今ここ」に無理に適応しなくていいということを知るために人文知やサブカルはある - あままこのブログ

    note.com plagmaticjam.hatenablog.com 人がどういう風に学問や思想を学んできたかということを読むのは好きなので、1000円払って白饅頭氏の記事を読み、その後plagmaticjam氏の記事を読みました。 白饅頭氏の記事の要約 まず、白饅頭氏の記事を要約すると次のような内容になります。 最近、経営者やそれなりの役職に就いている人と話すことが多いのだが、彼らは異口同音に「昔は自分もリベラル派に親しみがあったが、今はそうではない」と言う 有名な哲学者である東浩紀氏も同じように言う 社会的責任を持つと、リベラル派の言説というのは、現実から遊離した物に感じるのだ 「自分で金を稼ぎ、社員をわせ、顧客に価値を感じてもらう」という、俗世シャバの泥臭い営みのしんどさと尊さを知った東浩紀さんが、公金をジャブジャブつぎ込まれ、なおかつ子ども(の親)からの高い学費を受け取りなが

    「今ここ」に無理に適応しなくていいということを知るために人文知やサブカルはある - あままこのブログ
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    amamako 2022/04/11
    https://note.com/terrakei07/n/n31c9ff4754f0 を1000円払って読んだ感想。白饅頭氏のような人間こそ、毛嫌いせず、宮台氏とかに弟子入りして社会学を学ぶべきじゃないかな?/id:yutorination氏の指摘がもっともだと思ったので追記
  • 89年生まれのわたしにとっての「はてな」 - 道徳的動物日記

    このブログではめずらしく個人的な思い出話。 91年生まれ大反省会をしたい。わたしは91年生まれで今年30になる。若者と括られてきたけど、明らかに今の世代と全く育ってきた景色が違うことを感じる。政治家と言えば小泉首相、まだ日は経済的にすごいと習ったし、嫌韓屋に並び、ネットは2chにニコニコ、メディアは「オネエ」を笑っていた。 — 永井玲衣 (@nagainagainagai) 2021年7月5日 当時K-POPを色んな人が恐れていたのを覚えている。学問といえば受験勉強、フェミニズムはヒステリー、社会運動は危険、資主義は疑えないもの。数え切れないイメージが潜在的に内面化されているはず。ここをしっかり毒出しして反省しないと、これからの世代を抑圧してしまう。ここが分水嶺だと思う。 — 永井玲衣 (@nagainagainagai) 2021年7月5日 ↑ Twitterでこういう投稿をみ

    89年生まれのわたしにとっての「はてな」 - 道徳的動物日記
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    amamako 2021/07/08
    はてなサヨクの生き残りとして応答しておかなきゃいけないと思うので、あとでブログで言及する/本当は、記事で挙げられたようなIDの人たちが応答すべきだと思うのだけれど/返答https://amamako.hateblo.jp/entry/2021/07/10/095312
  • 若者の社会運動とサブカルチャー――運動と日常を行き来する若者たちの葛藤/富永京子×鈴木謙介×阿部真大 - SYNODOS

    2011年以降、全国的に盛り上がりを見せた若者による社会運動。彼らの語りから運動の特質を浮き彫りにした、富永京子氏による新刊『社会運動と若者――日常と出来事を往還する政治』(ナカニシヤ出版)。この出版を記念して、社会学者・鈴木謙介氏(関西学院大学准教授)と阿部真大氏(甲南大学准教授)とのトークショーが開催された。若者の社会運動とその文化は現代社会において何を示唆しているのか。2017年6月19日、ジュンク堂書店大阪店にて行われたイベント「若者の社会運動とサブカルチャー」より抄録。(構成/増田穂・大谷佳名) 2000年代以降、社会運動はどう変わったのか 鈴木 日は『社会運動と若者:日常と出来事を往還する政治』(ナカニシヤ出版)の出版記念トークイベントとして、著者で立命館大学准教授の富永京子さん、甲南大学准教授の阿部真大さんと私、鈴木謙介で座談を進めて参ります。便宜的に私の方で司会を務めた

    若者の社会運動とサブカルチャー――運動と日常を行き来する若者たちの葛藤/富永京子×鈴木謙介×阿部真大 - SYNODOS
  • COMING SOON

    COMING SOON

  • 承前4 - MIYADAI.com Blog

    承前3につづく 宮台 近代社会の社会システムでは、以前とは違ったことが起ります。たとえ〈社会〉の外側に〈世界〉が拡がると観念される複雑な社会でも、近代以前には〈社会〉のクロックと〈世界〉のクロックがシンクロしました。日の出と日の入が典型ですが、〈世界〉の時間に合わせて〈社会〉を営むしかなかったのです。社会が複雑になってくると、至る所にサブシステムができて、それぞれ特別なクロックを持った作動領域になります。そうなると、人が〈世界〉のクロックなんぞに共振されちゃたまらない。ランディさんのおっしゃる通り、近代社会では僕たちが〈世界〉から隔離されがちになるわけですね。 複雑な〈社会〉が回るには僕たちが〈世界〉から隔離される必要があります。以前の社会のように僕たちが〈世界〉に開かれていたのでは〈社会〉が回らない。だから、複雑な〈社会〉になるほど、僕たちから〈世界〉への敏感さが免除されるどころか、敏感

  • プリキュアと社会学はとても相性がいいと思うんです|紫月 冴星(しづき さら)|note

  • 「他者の常識を疑い、自分の生きづらさについて考える」社会学は本当に駄目? - あままこのブログ

    先日、ある社会学者の次のようなツイートが、Twitterの一部で話題になりました。 社会学の導入で、「常識を疑う学問です」とか「生きづらさについて考える分野です」といったことを言うのはもう禁止したほうがいいかも。「自分の常識を疑い、他者の生きづらさについて考える」はずが、「他者の常識を疑い、自分の生きづらさについて考える」人ばかりになってしまっているから。— OKAMOTO (@Tomochika_wsd) 2020年7月13日 「社会調査を疑う」のも、当にそれができる技術を身に付けてからならば大事なところだけれど、自分の思い込みと違った結果が示された際に、調査票の文言にケチをつけることにしかなっていないのが実情。そして「当のことは誰にも分からない」と。いや、まずその結果が示すものをよく見てみようよ。— OKAMOTO (@Tomochika_wsd) 2020年7月13日 多くの人は

    「他者の常識を疑い、自分の生きづらさについて考える」社会学は本当に駄目? - あままこのブログ
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    amamako 2020/07/18
    社会学の問題と言うか、「私達は社会というものに対してどのような方法で考えていくべきなのか」というお話なのかと、書き終えて思った
  • 「寒いから、冷房止めて」って会社で言える? 社会学者の富永京子さん「みんなの『わがまま』入門」|好書好日

    文:小沼理、写真:斉藤順子 富永京子(とみなが・きょうこ) 1986年生まれ。立命館大学産業社会学部准教授、シノドス国際社会動向研究所理事。専攻は社会運動論・国際社会学。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了後、日学術振興会特別研究員(PD)を経て、2015年より現職。著書に『社会運動と若者』(ナカニシヤ出版)『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)がある。 自分の「わがまま」が誰かの問題を解決する ——『みんなの「わがまま」入門』は、つい避けてしまいがちな「わがまま=自分の意見を主張すること」を肯定的にとらえた一冊です。社会学者の富永さんが、なぜ「わがまま」をテーマにを書いたのでしょうか? たとえば、会社の冷房が寒いので温度を上げてほしいとします。その時「暑がっている人もいるかもしれない」「自分の都合で社内の冷房を調節するのは自己中なんじゃないか」と考え始めると、我

    「寒いから、冷房止めて」って会社で言える? 社会学者の富永京子さん「みんなの『わがまま』入門」|好書好日
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    amamako 2019/07/24
    "心の中にいる「プチホリエモン」にどう対応するか"
  • インターネットでの議論と「市民的公共性」について - あままこのブログ

    前回の記事 amamako.hateblo.jp で書くの忘れていたことをあとで思い出したんで。 千田有紀氏が次のようなツイートをしたことによって、「市民的公共性」についての議論が盛んになっています。 私自身は「表現の自由」は国家から規制されるべきものではない、とは思う。でもそう思うからこそ、国家から規制されるまえに、「市民的公共性」を発達させないといけないと思うんですよ。 あと表現って、さまざまな他者への配慮のなかでこそ磨かれていくものだと思う。フリーハンドの表現なんてない https://twitter.com/chitaponta/status/1047451777220501504 まず、基的に言うと、僕もこの意見には賛成。というか、ずっと以前に、僕も「表現の自由は、むしろその表現について、批判的な意見も言えるような市民的公共性の中でこそ保たれる」というような主張をしたことがあり

    インターネットでの議論と「市民的公共性」について - あままこのブログ
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    amamako 2018/10/11
    市民的公共性を実現するのは難しいけど、でもその難しい課題をいかに実現できるか考えなきゃ、言論の自由も何もあったもんじゃないよ、というお話。
  • キズナアイの騒動に寄せて―アンビバレンツな態度をいかに保つか - あままこのブログ

    なんかものすごく久しぶりに記事を書く気がします。あままこです。 今ネット上では、NHKのニュースサイトにキズナアイが登場し、その登場の仕方が問題あるのではないかとか、そうやって社会学者が「ポリコレ」を盾にいちゃもんをつけるのこそ問題だ、という感じで、論争が巻き起こっていますね。 で、まずこの論争に対する僕の意見はというと、まあ、荻上チキという評論家の人*1がTBSラジオの番組で述べていた意見 www.tbsradio.jp と大体同じ感じで、「キズナアイの記事にはジェンダー的な問題があるから、それに対して議論をすることはいいことで、『騒ぐ方がおかしい』と一蹴するのはおかしい。」というものです。 さらに言えば、ジェンダー的な問題とは更に別に、「こういう解説記事で、聞き役にバカを演じることが強いられる」ということも問題だと思っています。これに関しては、twitterで意見を連投したのでそれを転

    キズナアイの騒動に寄せて―アンビバレンツな態度をいかに保つか - あままこのブログ
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    amamako 2018/10/09
    久しぶりに記事を書いた。ようするにこの論争に参加している人は、記事擁護派・批判派双方とも、潔癖すぎるんですよ。
  • 雑記20180212 « SOUL for SALE

    1970年代〜80年代の哲学・思想の世界で「ポストモダン」という考え方が流行した。人々がそこから受け取ったのは「絶対のものなんてないんだ」という相対主義の考え方だった。人の見方はそれぞれ、価値観もそれぞれ、生き方もそれぞれ。だからそこにひとつの価値で介入するのはよくないよね、ということ。 社会学のいまの研究の基盤をつくった人たちの思想的背景には、おおむねこのポストモダンの思想がある。もともと相対主義と仲のいい価値観を有していた社会学にとっては、いまでもこういう見方は根強いし、「主流の見方に対して別の視点からものを言う」ことが、それだけで意義を持つという立場で社会学を考える人も多い。 ところで僕は社会学と並行して政治哲学の研究もしているのだけど、そちらの世界では90年代以後、ポストモダンの思想は扱われなくなりつつある。代わって登場するのは「価値観が人それぞれの社会を否定せずに、その人たちを結

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  • 「文化」を社会学する ―― 大衆文化、サブカルチャー、メディア

    1986年生まれ。日学術振興会特別研究員などを経て、現在、立命館大学産業社会学部准教授。社会学的視角から、人々の生活における政治的側面、社会運動・政治活動の文化的側面を捉える。著書として『社会運動のサブカルチャー化』(せりか書房)、『社会運動と若者』(ナカニシヤ出版)。個人ウェブサイトは kyokotominaga.com 以前、あるアンケートの調査結果についてお話を伺った時に、面白いことを聞きました。「あなたの国の文化といえば何ですか?」と質問したところ、日の人々は「折り紙」や「こけし」といった、ものや祭礼について答えるのですが、インドの人は「強い信仰」や「我慢強さ」といった性質や気持ちについて答えるといったものです。どちらも文化といえば文化という気がするから不思議です。 「文化」というのは曖昧な言葉で、だからこそ使い勝手がいいということもあるでしょう。例えば、国際的な問題や組織間の

    「文化」を社会学する ―― 大衆文化、サブカルチャー、メディア
    amamako
    amamako 2018/02/28
    紹介されるマンガの登場人物がどれも「いけ好かない人たち」に(僕から見ると)見えるのは何故だろう
  • Selamat ke RTP

    Sabar Yaaaa

    Selamat ke RTP
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    amamako 2018/02/10
    “90年代以降における若年雇用の流動化は、逸脱行為からの「卒業」の機会を若者たちから奪ってしまった”
  • 鈴木謙介氏の整理に沿ってーー経産省「次官・若手ペーパー」論(3) - 望月優大のブログ

    社会学者の鈴木謙介氏が件のペーパーをもとに始まった議論に対してある種の総括(?)的なブログ記事を書かれていた。鈴木氏のことは昔から尊敬しており、過去に氏の著作のいくつかを読んできたのはもちろんのこと、講演を聞きにいったこともある。記事中で私のブログも紹介くださっていたので、勝手に胸をお借りする気持ちになってアンサーブログという形でまとめておきたい。 私の過去記事はこちら。 鈴木氏の趣旨は明快で、記事タイトルの「選択肢を理解する」の通りである。すなわち「どこに論点の中心があって、何が対立していて、そして僕たちに示されているのはどのような選択肢なのかということが明らかになっていない」ので、それを明らかにしようということである。 私も二目の記事で「どこに国家観や政治思想上の大きな分岐が走っているかを正しく認識したうえで自分の思考を深めてみていただければと思う」と書いていたが、それと基的に同趣

    鈴木謙介氏の整理に沿ってーー経産省「次官・若手ペーパー」論(3) - 望月優大のブログ
  • 選択肢を理解する――経産省、若手・次官プロジェクト資料について « SOUL for SALE

    5月20日に公開された、経産省の「次官・若手プロジェクト」なるチームがまとめた「不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~」という資料が話題だ。最初にウェブで見かけた反応は好意的なものだったが、次第に反論・批判・不満が噴出するようになっている。そのうち、「言い古されたことばかり」「パワーポイントがインチキ臭い」といった具体的でない批判を除くと、その中でも興味深かったのは以下の議論だろうか。 経産省「次官・若手ペーパー」に対する元同僚からの応答 – HIROKIM BLOG / 望月優大の日記 「時代遅れのエリートが作ったゴミ」発言者に訊く!若手経産官僚のペーパーに感じた違和感とは。 | 一般社団法人ユースデモクラシー推進機構 経産省「次官・若手ペーパー」に対するある一つの「擬似的な批判」をめぐって – HIROKIM BLOG / 望月優大の日記 一連の流れのよ

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  • 「論壇プロレス」よもう一度!―『現代ニッポン論壇事情』を読んで - あままこのブログ

    現代ニッポン論壇事情 社会批評の30年史 (イースト新書) 作者: 北田暁大,栗原裕一郎,後藤和智出版社/メーカー: イースト・プレス発売日: 2017/06/10メディア: 新書この商品を含むブログ (6件) を見る北田暁大・栗原裕一郎・後藤和智の鼎談をまとめた新書『現代ニッポン論壇事情』を読みました。 いやー、かつて論壇誌とかが盛んに出版されていて、いわゆる「論壇プロレス」というのが活発だった頃に、大塚英志*1とか宮台真司・宮崎哲弥*2とかがやっていたシュートな批判を思い出して、かつて論壇プロレスが大好きだった人間としては、「『論壇プロレス』が蘇ってきた!」と、興奮を感じました。 正直、立場としてはこの鼎談の主張は、文化左翼かつ反安倍・野党共闘派で資主義大嫌い、ついでに言えば後藤氏もいまいち好きになれない(まあ、それは向こうも同じみたいで、後藤氏には以前↓のように@magicalti

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    amamako
    amamako 2017/07/08
    肯定・否定どちらにしろ、左派・リベラルを自認する人なら絶対読むべき本。読んで、この論壇プロレスに、自分なりのアングルを持とう!