林芳正官房長官との面会後、特定失踪者に対する拉致認定を力強く訴える大沢昭一さん(左)=首相官邸で2024年5月20日午後5時14分、内田帆ノ佳撮影 特定失踪者――。 それは北朝鮮による拉致の可能性を排除できない失踪者を指す。民間団体が独自に認定しているため、横田めぐみさんら政府が認定した拉致被害者に比べて、注目を集めることは格段に少ない。そんな特定失踪者の大沢孝司さん(失踪当時27歳)の兄、昭一さん(88)が28日、衆院で開かれる拉致問題に関する特別委員会に参考人として出席する。特定失踪者の家族の出席は11年ぶりだ。「特定失踪者を拉致被害者と認めることは、政府が対応すべき国内問題」。昭一さんの訴えは政府に届くのか。 「バイバイ。また来るぞ」が最後の姿 孝司さんの失踪から今年で50年が経過した。1974年2月24日、県職員として赴任先の新潟県旧新穂村(現佐渡市)の農地事務所で勤務していた孝司
同級生らとのミニトークで、孝司さんが田中角栄元首相と面会したエピソードを明かす昭一さん(前列右から2人目)=新潟市西蒲区で2023年2月26日、内田帆ノ佳撮影 北朝鮮に拉致された可能性がある「特定失踪者」の大沢孝司さん(当時27歳)=新潟市西蒲区=が行方不明になって24日で49年が過ぎた。「なりふり構わずやらなければ何も動かない」と、10歳年上で兄の昭一さん(87)は言う。一刻も早い弟の帰国に向けて活動は続く。【内田帆ノ佳】 孝司さんの支援団体「大沢孝司さんと再会を果たす会」は26日、拉致問題の解決に向けた啓発活動の一環として、新潟市西蒲区の巻地区公民館で集会を開いた。孝司さんの同級生や同僚、兄の昭一さんを交えた5人が、思い出や解決策を語り合った。小中高校時代などの同級生や同僚が一堂に会するのは初めてという。拉致被害者と残された家族の苦悩を描いた映画「めぐみへの誓い」(野伏翔監督)も上映さ
1977年11月に横田めぐみさん(行方不明時13歳)が北朝鮮に拉致されてから45年となるのを前に、「忘れるな拉致県民集会」が12日に新潟市中央区であった。特定失踪者、大沢孝司さん(同27歳)の兄昭一さん(86)が登壇し、45年前にめぐみさんの捜索を担った新潟中央署の元署長が横田滋さん、早紀江さん夫妻に「当時から北朝鮮の仕業と疑いながら表に出せなかった」と直接謝罪していたことを明らかにした。 めぐみさんは77年11月15日、新潟市中央区で行方不明となり、同署などが捜索したが消息をつかめなかった。97年になって北朝鮮の関与が元工作員の証言などで浮上。2002年の日朝首脳会談で北朝鮮が拉致を認めた。
近況や拉致問題解決への思いなどを話す蓮池薫さん=新潟県柏崎市内で2022年9月12日午後6時30分、斎藤文太郎撮影 日朝首脳会談から17日で20年。拉致問題は今も解決にはいたらず、02年当時のうねるような世論の盛り上がりもなくなったように見える。会談をきっかけに24年ぶりに故郷の土を踏んだ新潟県柏崎市の蓮池薫さん(64)は、こうした現状に危機感を抱く。帰国当初は講演する機会が多くなかったが、近年は壇上に立って強い口調で解決を訴えることが増えた。「拉致家族の再会が実現しなければ何も解決しない」。政治家や世論との拉致に対する温度差があるなか、蓮池さんは今も訴え続けている。 帰国後、柏崎市役所で臨時職員として働き始めた蓮池さん。仕事の合間に講演することはあったが頻度は「ポツポツという感じ」。帰国者の発言は日朝交渉に影響を及ぼすという懸念もあり、講演内容も「親元を離れた子どもとの絆や家族の情の話」
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【読売新聞】 北朝鮮による拉致被害者の横田めぐみさん(拉致当時13歳)は、5日が56歳の誕生日だ。父・滋さんが6月に亡くなってから、初めて一つ年を重ねる。この日を前に、母・早紀江さん(84)が、心境を明かした。 滋さんの死去から4か
中学1年生の時に北朝鮮に拉致された横田めぐみさんは、5日、56歳の誕生日を迎えました。これを前に母親の早紀江さん(84)が報道陣の取材に応じ、めぐみさんと、ことし6月に亡くなった夫の滋さんの2人に「『必ず助けてあげるからね』と声をかけたい」と話しました。 早紀江さんは「めぐみちゃんがいなくなるまでは、誕生日はケーキを買って、大きな鶏肉を焼いて、家族でにぎやかに過ごしました。『食卓を囲んだのがいちばんいい思い出だ』と息子たちとも話しています。いなくなってからの誕生日は、いつも主人と一緒に小さなケーキとコーヒーをお供えしてささやかにお祝いしていましたが、ことしは夫がいないので寂しいです」と話しました。 そして「いつもこの日が来ると、北朝鮮のどこでどのように誕生日を迎えているのかと本当にかわいそうで、『どうして助けてあげられないんだろう』という思いでいっぱいになります。闇の中を手探りで歩いている
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