京王線刺傷事件後、近くの国領駅前で対応にあたる警察官や消防隊員ら=平成3年10月31日、東京都調布市(佐藤徳昭撮影) 黙々とただ刺せ、結束の必要はなく、自分一人でただ一人を葬れ-。 大正10(1921)年9月、大富豪の安田善次郎を刃物で刺殺し、その場で自決した朝日平吾は「死ノ叫声」と題した文書に、冒頭のような趣旨の言葉を書き残している。 今で言うローンオフェンダーだった朝日。政治学者の中島岳志が朝日の半生をたどった『テロルの原点』(新潮社)によれば、朝日の思想の根っこには不公平感、不平等感があった。家族や周囲と人間関係をうまく築けず、挫折を繰り返す。下層労働者の支援事業を計画するが、資金援助を求めた大富豪たちには、ほとんど相手にされなかった。 天皇の前に平等であるべき同じ日本人の間に、なぜここまで格差があるのか。朝日の不公平感と承認願望は、朝日が「君側(くんそく)の奸(かん)」とみなした特