宮城県南三陸町の佐藤仁町長(59)は、町庁舎に隣接する防災対策庁舎の屋上に避難し、その庁舎が濁流にのみ込まれた時の様子を振り返った。 防災対策庁舎は、1960年のチリ地震津波の被害を教訓にした鉄筋コンクリート3階建て。災害時には、救助や被災者支援、復興計画の拠点となる施設で、町職員たちも「堅固な防災対策をとった庁舎なら大丈夫」と思っていた。 発生当時約40人が庁舎内におり、このうち約30人が屋上に避難した。ところが、津波は3階屋上をも包み込んだ。町長によると津波の高さは約13メートル。屋上の金網に必死ですがりついた町職員も、金網と一緒に次々とのみこまれた。 津波は何度も何度も、執拗(しつよう)に襲ってきた。第一波ではじき飛ばされて偶然、屋上に出る階段の鉄製手すりにつかまることができた佐藤町長らは、近くに設置されていたアンテナによじ登り、身を守った。 妻を残した家が押しつぶされるのを目の当た