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仏教とhistoryに関するdazedのブックマーク (7)

  • 墓石が証明する北方領土は日本固有の領土、ロシア「対日戦勝記念日」に考える 「墓は故郷そのもの」、平均年齢87歳を超えた元島民の切なる願い | JBpress (ジェイビープレス)

    軍国主義日に対する戦勝記念日であり、第二次世界大戦終結の日――。ロシアは今年7月、一方的に9月3日を「対日戦勝記念日」と制定した。ウクライナ戦争をきっかけに、関係が悪化している日を牽制する動きとみられる。第二次世界大戦の終戦直前に日ソ中立条約を無視して突如、参戦してきた旧ソ連軍は1945年9月5日までに、日固有の領土である北方領土の占領を終えた。 その北方領土では、ウクライナ戦争前まで夏から初秋にかけて日露の民間交流が盛んであった。しかし現在、領土返還交渉やビザなし交流は中断。元島民による墓参もストップしている。筆者は過去に3度、北方領土を取材した。稿では、当時の現地の状況とともに墓参の様子を紹介したい。 (鵜飼 秀徳:作家、正覚寺住職、大正大学招聘教授) 日人集落の面影は消え去ったが… 私が初めて北方領土の択捉島を訪れたのは2012(平成24)年のことであった。ビザなし交流団員

    墓石が証明する北方領土は日本固有の領土、ロシア「対日戦勝記念日」に考える 「墓は故郷そのもの」、平均年齢87歳を超えた元島民の切なる願い | JBpress (ジェイビープレス)
    dazed
    dazed 2023/09/03
    “色丹島は明治初期、島全体が浄土宗の増上寺(東京都港区)の寺領だった”,“だが、増上寺の寺領であったのはわずか1年ほど。1870(明治3)年に新政府に上知(土地の没収)されている”
  • 第9回:聖性を捨て、世俗化した日本の仏教

    神道だけを天皇政権の宗教的基盤にしようと考えた明治政府は、仏教勢力を国家運営の協力者と捉えるようになった。また、僧侶に肉帯を認めたため、仏教の世俗化が進んだ。そうして聖性を失った日の仏教は釈迦(しゃか)が説いた来の仏教の教えから大きく逸脱していくことになる。 仏教の権益を弱体化 江戸時代の日仏教は、武士の政権にぴったり寄り添う形で平穏に維持されていたが、19世紀後半、国の権力が武士から天皇(貴族)へと移る段階で、仏教界の立場も急速に不安定化していった。新たに権力を掌握した天皇中心の政権は、日古来の宗教である神道を近代的な形に再構築した上で、その宗教的理念を中央集権国家の支柱にしようと考えた。これは、キリスト教世界の上に近代帝国主義を構築したヨーロッパ諸国を参考にした政策である。しかしそうなると、江戸時代までは神道と協調関係にあり、どちらかといえば神道の上位に位置づけられていた

    第9回:聖性を捨て、世俗化した日本の仏教
  • 第8回:徳川幕府の政治体制に組み込まれた仏教

    鎌倉時代に生まれた新仏教の各宗派は支援者を増やすために覇を競い合ったが、江戸時代になって権力が一元化すると、幕府の権力の下で統括されるようになる。檀家制度で民を管理し、租税徴収の一端を担う世俗的活動に組み込まれたことで 日仏教は安定期を迎えた。 対立から安定の時代へ 現在の日仏教には、異なる教義を主張する宗派が存在するが、ほとんどが12世紀から13世紀にかけての多様化の時期に出そろった。鎌倉時代に誕生したそれらの宗派は独自の支援者層を抱えており、その支援者たちのおかげで教団を維持することができたのである。この状況は、別の言い方をするなら、「仏教は人を苦しみから救ってくれる教えだ」といった認識が広く日中に広まり、異なる階層の人たちが立場に応じて仏教の教義を選択し、信奉する時代が到来したのである。 このような仏教の民衆化を、単純に「仏教が日に広まった」という点からみれば好ましいことでは

    第8回:徳川幕府の政治体制に組み込まれた仏教
  • 鵜飼秀徳の記事一覧 - エキスパート - Yahoo!ニュース

    京都市生まれ。新聞・経済誌記者などを経て、2018年に独立。正覚寺(京都市右京区)第33世住職。ジャーナリスト兼僧侶の立場で「宗教と社会」をテーマに取材、執筆、講演などを続ける。近年は企業と協働し「寺院再生を通じた地方創生」にも携わっている。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』『仏教の大東亜戦争』(いずれも文春新書)、『ビジネスに活かす教養としての仏教』(PHP研究所)など多数。最新刊に『絶滅する「墓」 日の知られざる弔い』(NHK出版新書)。一般社団法人「良いお寺研究会」代表理事、大正大学招聘教授、東京農業大学・佛教大学非常勤講師など。

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  • 第1回:目覚めた人ブッダの誕生

    仏教は2500年前にインドで生まれ、中国を経由して6世紀に日に入ってきた。ただし日では、創始者ブッダの唱えた初期仏教は広まらなかった。仏教の変容はいかにして起きたのか。「日の仏教とは何か」を読み解くシリーズの第1回では、ブッダの教えとはどのようなものだったのかを紹介する。 瞑想(めいそう)によって苦しみから解脱 仏教は、約2500年前に歴史上の人物であるガウタマによって始められた。ガウタマは、現在のインドとネパールの国境地帯にあるカピラヴァストゥ王国の王子として生まれた。そのまま普通に成長すれば、国王になることのできる大変恵まれた環境の中にいた。しかし青年期になると、「生きることの苦しみ」を感じ取り、皇太子の身分を自分から投げ捨てて、たった1人で森の中に入り、宗教修行者となった。彼は次のように考えたのである。 この社会には、幸福な人もいれば不幸な人もいる。人の在り方はさまざまだが、全

    第1回:目覚めた人ブッダの誕生
  • エピソード - 視点・論点

    「建築界のノーベル賞」と言われるプリツカー賞を受賞した山さん。世界中で調査した住宅を紹介しつつ、コミュニティー作りを意識した建築を行ってきた思いを語ります。

    エピソード - 視点・論点
  • 即身仏:厳しい修行の果てに涅槃(ねはん)を目指したミイラ仏

    これらの即身仏を護持しているのは、いずれも江戸時代に湯殿山信仰の拠点となった寺院である。湯殿山の御宝前(ごほうぜん、明治以降は御神体)は山そのものでなく、温泉の湧き出る巨岩。温泉に含まれる鉱物が固まった「温泉ドーム」と呼ばれるもので、湯殿山は古来より出羽三山の奥の院として崇められてきた。 1641年に羽黒山が天台宗に統一されて以降、出羽三山では天台宗と真言宗の対立が深まった。徳川幕府の公認を得て巨大な勢力となった天台宗に対して、真言宗側は寺社奉行に訴訟を起こして、「三山のうち、羽黒山・月山は天台の山、湯殿山は真言の山」という裁定を得た。 即身仏となったのは一代限りの修行者を意味する一世行人(いっせいぎょうにん)で、門前集落の出身ではなく、外部から来た下層の宗教者である。真言宗側は、湯殿山で一世行人を修行させることで宗教的能力を体得させ、布教の前線で活動させて天台宗に対抗した。江戸時代に庄内

    即身仏:厳しい修行の果てに涅槃(ねはん)を目指したミイラ仏
    dazed
    dazed 2021/12/13
    “即身仏となったのは一代限りの修行者を意味する一世行人(いっせいぎょうにん)で、門前集落の出身ではなく、外部から来た下層の宗教者”,“僧侶は弟子を跡継ぎとし、修験者は妻帯ゆえ子息に跡を継がせた”
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