のぞみ全車指定のJR西日本、「お乗りになってから初めて自由席がないことにお気付きのお客様」とつい煽ってしまう
「イスラム国」による日本人人質事件について思ったことをとりあえずブログに記しておきたい。 ツイッターのほうではすでに前もってコメントしたが、72時間の期限でのリアクションはないだろうと私は見ていた。理由は、どちらかというと「イスラム国」に対して欧米ほど危機感ももたず、脅威にも感じていない日本国民を、期限通りの処刑によって激怒させ、その結果いっそう欧米側に付かせることにすれば「イスラム国」にとって利益にはならないだろうと思われたからだ。 「イスラム国」としては国際世界が一致するよりは、割れていたほうがよい。この手法は北朝鮮の外交戦略と同じである。ついでにいえば、西側諸国としても中東の利害は割れていたほうが、ローマによる分割統治的な意味合いで、利益にはなる。ただしシリアに端を発した今回の事態は三すくみのような複雑な分割にはなり、誰が利益かという構図は崩れてしまった。 「イスラム国」側の思惑だが
金曜の昼過ぎ、だらだらと霞ヶ関から永田町へと歩いていたら、何やらテレビクルーで騒がしい。さっきスマホに衆議院解散ってプッシュ通知が入ってたな、もし自分の仕事がボスの一存でチームごと解散になって面接からやり直しだったら困るなと、数日前にFacebookで深刻な書き込みをしていた議員さん達の顔を思い浮かべ、480人のうち何人が議員会館に戻ってこれるだろうと思案しながらトボトボと歩いた。つくづく政界一寸先は闇とはよくいったものだ。 内閣不信任決議が出た訳でもない、野党が嫌がってるのに衆議院解散は制度の趣旨に反する気もするが、新憲法の施行から数年で抜き打ち解散とかやってた訳だから、何も今に始まった話でもない。だいたい戦後の混乱のなか日米いりまじって短期間でつくった憲法に、それを遵守させる構造が備わっていないのだから仕方がない。 社会科の教科書では裁判所が違憲立法審査権を持ってると教わったけど、現実
エンパイアステートビルもロックフェラーセンターも後回しにして、私は911メモリアル・パークを訪ねた。なぜなら、そこが「21世紀の始まった場所」だと思うからだ。 20世紀は1904年2月8日の旅順港で始まった。日露戦争は世界初の国家間の近代戦争であり、「国家と戦争の時代」という20世紀の特色を決定づけた。一方、21世紀は「個人の時代」である。この時代を決定づけた事件があるとすれば、それは間違いなく9.11米国同時多発テロだろう。21世紀はニューヨークで始まった。 20世紀は「国家と戦争の時代」だった。 二度の世界大戦と多数の紛争により、国境が何度も書き換えられた。近代戦争は総力戦であり、勝利には国民の協力が欠かせない。だから国家が強い権限を持ち、国民の権利を制限することもいとわなかった。その最たる例は、第二次大戦中の日本軍のカミカゼだろう。程度の差はあれ、あらゆる国家が強制力を持ち、国民を統
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