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幸福に関するi-kenのブックマーク (4)

  • 「あなたを絶対に許さない」美帆さんの母親 陳述全文 | NHKニュース

    「美帆は冬晴れの日に誕生しました」。 「ひまわりのような笑顔でした」。 相模原市の知的障害者施設で入所者19人が殺害されるなどした事件で、殺人などの罪に問われている被告の裁判が開かれ、検察は被告に責任能力があったとして死刑を求刑しました。 法廷では検察官による求刑に先立って、19歳で犠牲となった「美帆さん」の母親が何度も声を震わせ、時におえつしながら心情を語りました。 私は美帆の母親です。美帆は12月の冬晴れの日に誕生しました。1つ上に兄がいて待ちに待った女の子でした。 幼いころはとても音に敏感でした。大きな音、初めての場所、人がたくさんの場所が苦手でした。人に挨拶されただけで泣き叫ぶ子でした。 3歳半で自閉症と診断されたあとは、とにかく勉強しました。を読んだり、講演会に通い、少しでも美帆のことを理解しようとしました。 他の親御さんたちと障害のある方や、その親の気持ちを伝えようと思い、学

    「あなたを絶対に許さない」美帆さんの母親 陳述全文 | NHKニュース
    i-ken
    i-ken 2020/02/18
    幸せは主観的。僕たちは他者を勝手に判断してないか?心して耳を傾ける。
  • 2015年の始めに思うこと/老人に悲観論者が多いわけ - デマこい!

    毎年、正月が来るたびに悲観論を目にする。 今年も例外ではない。2015年にいいことは1つも起こらず、悪いことばかりが起こる。ここ数年、世界はどんどん悪くなっていて、日の未来は真っ暗だ──。とくに年配の人ほど、そういう考え方になりがちのようだ。ネットで拡散されているところを見ると、一定の共感を得られる考え方なのだろう。 言うまでもなく、この考え方は間違っている。 単純に「いい」「悪い」を判別できるほど、世界のあり方と私たちの人生との関係は単純ではない。あなたが世の中を悪くなったと感じるのは、悪くなった部分しか見ていないからである。 この原則を忘れて、私たちが悲観論に染まってしまうのはなぜだろう。どうして思慮深いはずの人々が、世の中の「善し悪し」を総合的に判断できなくなってしまうのだろう。 それは私たちの心が、過去を評価するときに「ピーク・エンドの法則」に支配されているからだ。 ◆ たとえば

    2015年の始めに思うこと/老人に悲観論者が多いわけ - デマこい!
    i-ken
    i-ken 2015/01/03
    たとえば今40歳の僕はインターネットが身近でない頃を知る世代で有難さが身にしみます。でも、当たり前の幸福の中からつぎの当たり前が生まれてくると思うので、若い人の邪魔をしないよう気をつけます。
  • 通勤時間が22分増えた場合の幸福度の低下を相殺するためには、収入を30%増やす必要がある。 / リーディング&カンパニー株式会社

    年収1000万以上」の求人、「年収1000万以上の人が常に意識していること」と言ったのキャッチコピー、不況になればなるほどついつい「年収1000万」というところだけに反応してしまいますが、最新のアメリカ国民を対象とした調査では年収550万円稼いでも、250万円しか稼いでいない人たちより満足度は9%しか増加せず、さらにプリンストン大学の調査では年収750万円に達すると、それ以上いくら稼ごうが、日常の幸福度の差に大きな変化は見られなかったそうです。 ↑お金持ちになりたいのか。それとも幸せになりたいのか。 グーグルはかつて、業績トップの従業員たちに7桁のボーナスを支給していましたが、それをやめることにしたそうです。 グーグルの社内で行われた研究結果によれば、巨額の現金または株式による報酬は、争いの種になる場合が多く、「お金人生の経験ほど重要ではない」という結論に至りました。 ↑グーグルでは

    通勤時間が22分増えた場合の幸福度の低下を相殺するためには、収入を30%増やす必要がある。 / リーディング&カンパニー株式会社
    i-ken
    i-ken 2014/09/14
    転勤で通勤時間が1時間15分増えたときは、辛かったなあ。もちろん給料は増えず。
  • 部下がくれたアドバイス

    前いた会社を辞めた時に、部下がくれたアドバイスを思い出した。 部下は新人のときから、びっくりするほどできるやつだった。 同僚の三倍程度の仕事量をてきぱきとこなし、涼しい顔で毎日定時に帰っていく。上司の俺が何も指示していないときに、社内を歩きまわって、同僚や先輩に仕事を「お願い」していた。 けれども、そいつを悪く言うやつはいなかった。笑ったときのえくぼが印象深い奴だった。 俺は会社でパッとしない上司をやっていた。 経験だけはあったが、他にその役につく人間がいないという理由で、ロケット鉛筆のように押し出されてそのポジションに付いた。 かつて新人だった頃は、プログラマーとして四苦八苦しながら、作る喜びを糧にしていたものだった。 だが月日が経って、机の位置が変わった。プロジェクトを指揮するようになった。部下が増えた。いつしか俺はコードを離れ、代わりに人間を扱うようになっていた。 責任が増えると共に

    部下がくれたアドバイス
    i-ken
    i-ken 2014/07/29
    「自分の頭で考え過ぎ」なのは僕も思い当たるフシが。考え過ぎて視野が狭くなってるかも。さらに突き詰めて考えよう、とか思っちゃうのも間違いの元なのかな?
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