今年7月、津久井やまゆり園で発生した障害者殺傷事件から丸2年をむかえたが、植松聖容疑者がいまも犯行を正当化し、「生産性のない人間は生きる価値がない」という主張を繰り返していることが報道された。 また同じ7月には、自民党所属の衆議院議員である杉田水脈が「〔LGBTは〕子供を作らない、つまり『生産性』がない」と発言し、おおきな批判を浴びた(「LGBTの支援の度がすぎる」『新潮45』、8月)。 多くのひとが、「生産性」という言葉からナチスの優生思想とのかかわりを指摘したが、しかし、その指摘は少し的はずれであるように思う。 植松や杉田は安倍政権と同じ地平にある まず「生産性」とは第二次安倍政権になってから、マスメディアに広く登場するようになった言葉ではないか。 くわしくいうと、「生産性」は経済用語のひとつにすぎなかったが、2015年6月に安倍政権が成長戦略として「生産性革命」を打ち出して以来、新聞