繰り返される「尊い命」また暑い8月である。 戦争の記憶が薄れつつあり、僕を含む多くの市民も戦争体験を持っていない。 戦争の苦しさや辛さをイメージすること自体、難しい市民もいることだろう。 戦争、武装に関するきな臭い言葉も一部の政治家から平然と聴かれるようになってきた。 そのようななか、原子爆弾の投下や空襲、太平洋戦争の敗戦の記憶がよみがえり、未体験の人々でも「戦争」を追体験できる8月は特殊である。 太平洋戦争の敗戦後、この光景は毎年繰り返されてきた。 一方で、戦争を経験していない世代が主流になるにつれて、追悼集会など戦争関連行事において語られる「尊い命」という言葉の軽さにも違和感を有してきた。 僕の祖母は幼少期に戦争を体験している。 防空壕に逃げたこと、近くの街が空襲で焼けたこと、親戚や友人が多数犠牲になったこと、「死」が身近であったこと、食糧難に苦しんだこと、他者との助け合いの大事さなど