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ブックマーク / call-of-history.com (5)

  • 「裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心」中野 明 著

    幕末明治、日を訪れた欧州の人々が驚いたのが、そこらじゅうに溢れる恥ずかしげもなく裸体を晒す日の人々である。若い娘が一糸まとわぬ姿になって庭先で行水し、子供たちは裸で川遊びに興じ、車力の男達は筋骨隆々な身体を見せ、公衆浴場も温泉も多くが当然のように混浴で、老若男女みな裸体の人が町中にいても気にも留めない。 当時の欧州や現代日と当時の日とでは裸体に対するとらえ方が大きく違っていた。当時の日では裸体は羞恥心を抱く対象ではなく、現代日で言うところの顔のようなもの、『人間の顔と同じく「日常品(コモディティ)」だった』(P107)と著者は言う。一般的に、人の顔を見てもなんら性的な欲求を覚えないように町中で顔を晒して歩いていても恥ずかしいとは思わない。同様に、当時の日では顔の延長であるコモディティとしての裸体を恥ずかしいとは思わない。このような裸体を恥ずかしいと思わない観念の社会が、明治維

    「裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心」中野 明 著
  • 「すばらしい新世界」オルダス・ハクスリー 著 | Kousyoublog

    ずっと読みたいと思っていた。1932年に描かれた作はディストピア小説の傑作として、オーウェルの「一九八四年」と並び称されることも多い。その理由は読めばわかる。 西暦2540年、世界は自動車王フォードを神格化し、高度な効率化に基づく高福祉の実現によって安定社会を築き上げていた。人間は工場で生産され、条件付け教育に基づいて欲望は抑えられ、フリーセックスの奨励とソーマと呼ばれる快楽薬はストレスを解消し、遺伝子操作に基づき生まれながらにして定められた階級の中であるべき人生を歩む。共同性(コミュニティ)、同一性(アイデンティティ)、安定性(スタビリティ)をモットーとする「すばらしい新世界」だ。 この作品世界は著者ハクスリーの未来予測に基づいて構築されている。1932年、彼は未来をどのように予測したか、書に収められた1946年の「著者による新版への前書き」で詳しく語られているが、この前書きは実に鋭

    「すばらしい新世界」オルダス・ハクスリー 著 | Kousyoublog
  • 「ロボット(R.U.R.)(岩波文庫)」カレル・チャペック 著

    チェコの劇作家カレル・チャペック(1890-1938)によって1920年に発表されたSFの代表的古典作品の一つ。現在、広く使われる「ロボット」という語はこの戯曲のためにチャペックによって考案された言葉であった。チャペックの死後50年を経て著作権保護期間も終了し、現在では岩波文庫版の他、青空文庫(参照)やamazonキンドル(参照)などで新訳が公開されている。 チャペックによると作に登場する人造人間を表す言葉について画家である兄のヨゼフ・チャペックに相談したところ、「ロボット」という語を提案されたという。“robot”はチェコ語で「賦役」を意味する”robota”からaを除いたもので、同系統であるスラブ語派のロシア語では” Работа”(rabota)は「労働」を意味し、ゲルマン語派のドイツ語で同じく労働を意味する”Arbeit”とも関係がある語だとされる。 何故、賦役や労働を意味する語

    「ロボット(R.U.R.)(岩波文庫)」カレル・チャペック 著
  • 愛と赦しの全体主義的宗教共同体アーミッシュについて

    アーミッシュの誕生前史アーミッシュの信仰は十六世紀、宗教改革時に登場した「アナバプテスト(再洗礼派)」に遡る。一五三三年、神聖ローマ帝国の都市ミュンスターの人々が幼児洗礼を拒否し成人した者たちが自らの意志で洗礼を授けあい聖書の記述を厳格に守る共同体を構成しようとするアナバプテスト運動を起こす。この運動はすなわち、当時の社会体制――生まれながらにその都市や共同体に所属しなければならない――への反逆を意味したから、政治権力はもちろんカトリックだけではなくプロテスタント主流派からも激しく迫害を受けた。 十六世紀を通じて殉教した西欧のキリスト教徒の四〇~六〇%が再洗礼派の人々であったと言われる。一五四〇年代にメノ・シモンズという指導者に率いられて再洗礼派の主流派となる「メノナイト(メノー派)」が登場、一六九三年には社会に妥協的なメノナイトに反発する形でヤーコブ・アマンを指導者とする一派が分派。彼ら

  • 「アンネの日記」真贋論争~偽書説が科学的検証を経て否定されるまで

    「アンネの日記」が何者かの手によって都内図書館で多数破られているというニュースが次々と報じられている(2014年2月)。サイモン・ヴィーゼンタール・センターによる批判を皮切りに海外メディアでも報じられて、国際問題の様相すら呈しつつある。 この事件については当局の適正な捜査を見守るだけだが、これを切っ掛けにふと「アンネの日記」を色々と検索してみると、未だにアンネの日記偽書説がインターネットに広がっているようだ。え?今更?としか思えないのだが、結論から言うと「アンネの日記」は1981年にオランダ国立戦時資料研究所とオランダ国立法科学研究所による科学的調査の上でアンネ・フランクが書いたものと確定している。この件、日ではwikipediaに軽く触れられている程度で、インターネット上にはテキストが見当たらないので、これを詳説したオランダ国立戦時資料研究所編「アンネの日記 研究版」(絶版)をもとに改

    「アンネの日記」真贋論争~偽書説が科学的検証を経て否定されるまで
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