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ブックマーク / vergil.hateblo.jp (4)

  • 【京アニ放火殺人】凶悪事件が起こると死刑廃止論者は困る? - 読む・考える・書く

    死刑廃止派は加害者の味方と信じる人たち 私が死刑を廃止すべきと考える理由 問いを突きつけられているのは死刑存置論者の側 死刑制度を維持拡大したい人たちは、どうもそういう認識でいるらしい。今回の京都アニメーション放火大量殺傷事件でも、そんなことを言い出す人たちが出てきている。 死刑廃止派は加害者の味方と信じる人たち まずは安定の山野車輪。ツイートは削除されているが、スクショが残っている。(画像出典:「てきとう」さん) 死者数2桁か・・・。ご冥福をお祈りいたします。 これからの話ではあるが、犯人の精神が正常なら死刑は確定。そんで死刑制度廃止を唱える左派勢力が加害者擁護をはじめるだろう。左派はオタクを敵に回すことになる。 こちらははてな匿名ダイアリーへの投稿記事。 anond.hatelabo.jp ■ ねぇ、死刑廃止派どうすんの?w 33人殺した奴をどうやって擁護すんの? またドラえもんのせい

    【京アニ放火殺人】凶悪事件が起こると死刑廃止論者は困る? - 読む・考える・書く
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2019/07/29
    「率直に言って、バカである」というのは対立する人々を説得する言葉としては一番不適切だと思うが。いや、匿名の卑怯者にかける言葉としてはまあ適切か。
  • 反戦童話「かわいそうなぞう」が露呈した戦後平和教育の欠陥 - 読む・考える・書く

    反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 史実とは大きく違う『かわいそうなぞう』のストーリー 猛獣虐殺は空襲のせいではなく戦意高揚のため 『かわいそうなぞう』は戦後平和教育失敗の象徴 反戦童話の代表格となった『かわいそうなぞう』 児童文学作家土家由岐雄による童話『かわいそうなぞう』。1951年に発表された後、1970年に絵として出版されて200万部を超える大ヒットを記録、小学校の教科書にも採用され、代表的な「反戦童話」「平和教材」となった。戦後生まれの日人なら、子どもとして、またはその親として、一度は読んで涙したことがあるのではないだろうか[1]。 そのころ、日は、アメリカとせんそうをしていました。せんそうがだんだんはげしくなって、東京の町には、朝もばんも、ばくだんが、雨のようにおとされました。そのはくだんが、もしもどうぶつえんにおちたら、どうなることでしょう。おりがこわされて、

    反戦童話「かわいそうなぞう」が露呈した戦後平和教育の欠陥 - 読む・考える・書く
    kenjiro_n
    kenjiro_n 2016/05/09
    こういう話だとは知らなかった。しかし自分が知りたいところが掘り下げられていないようにも読めたがどうなのだろう。
  • 小学生の恐ろしい作文 - 読む・考える・書く

    子どもたちが関東大震災の体験を綴った「震災作文」 横浜の震災作文に描かれた朝鮮人虐殺 作文には朝鮮人への同情も虐殺への怒りも見えない 子どもたちが関東大震災の体験を綴った「震災作文」 「震災作文」というものがある。 関東大震災で被災地のただ中にあった小学校の子どもたちが、「そのとき」の思い出を書いた作文だ。壊滅状態となった横浜市の寿小、磯子小、南吉田第二小、東京では京橋小や横川小などの文集が残っている。 いずれにも、子どもの目から見た、被災当時の恐怖と混乱が生々しく記されている。 これらの作文の中に、当時「朝鮮人さわぎ」と呼ばれた虐殺事件が何度も出てくる[1]。 「朝鮮人さわぎ」とはいうが、騒ぎ回って人殺しを繰り返していたのは日人の官憲や自警団であり、朝鮮人たちは理由もわからず一方的に殺されていたのである。そうした状況は、次の作文(磯子小高等科1年男子)からも読み取れる。当然ながら、「不

    小学生の恐ろしい作文 - 読む・考える・書く
  • 法と道徳の区別がつかない人々 - 読む・考える・書く

    前回記事で、教育勅語が説教する「徳目」(ただし最後の1個は除く)について、「時代背景を考えればまあ常識的な内容で、当時の感覚では当たり前の道徳」だと書いた。 これは、当時の人々はそれらを「当たり前の道徳」と感じたであろう、ということであって、その内容が普遍的に通用するという意味ではない。また、人々が自発的に何らかの「徳目」を尊重することと、国家に命令されてそれを守らされることとは、やっていることは同じように見えても、意味はまったく違う。 それが分からない、法と道徳の区別がつかない人々がこの国には多すぎる。これは、この社会の未熟さの表われの一つであり、またこの国を蝕む宿痾の一つとも言えるだろう。以下、渡辺洋三『法とは何か』(岩波新書 1979年)から引用する。 わが国では、法と道徳との分離が徹底せず、しばしば、法的正義と道徳的正義とが同一の「正義」の言葉で呼ばれ、混同して使われてきた。このた

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