ビルマ族の南下と王権の確立[編集] 南詔の尖兵として上ビルマに存在していたピューを征服し、その後イラワジ平野に定住したビルマ族を祖先とする[4]。849年ごろに彼らが都を築いた[5]パガンの地は降水量が少なく、稲作には不向きな土地であったが、米どころであるチャウセー地方(en:Kyaukse District)とミンブー地方(en:Minbu District)の中間点に位置していた。ビルマ族は先住していたピュー族から農耕技術を学び、彼らとの接触によって仏教を知ったと考えられる[6]。 現存する王朝の出土品から初めて実在が確認される[3]、王統史の言う「44代目」のアノーヤター(1044年 - 1077年)が最初の王とされる。アノーヤターは四方に軍を進めて領土を広げ、南方のモン族のタトゥン王国(英語版)の都モッタマ(現在のタトゥン地区(英語版)にある)を制圧した際には、モン族の文化を取り込