1896年に清の欽差(特命担当)大臣であった李鴻章は、ロシアとの間に「露清防敵相互援助条約」を秘密協定として締結した。これは対日攻守同盟で、ロシアに満州での権益を認めるものだった。 彼はその1年前に日清戦争の敗戦処理のため、気が重くなる下関(馬関)条約の締結交渉に出かけ、そこで日本人の暴漢から襲撃まで受けている。だから、およそ親日派にはなれなかっただろう。それとは逆に、なぜかロシアには親近感を持っていたようだ。 しかし、今では中国の学者から、ロシアを信じた李鴻章は愚かだったと批判されている。その後に起こったことは、ロシアによる「弱いやつからは限りなく奪え」の動きとしか見えないからである。 なぜ清は「弱いやつ」になってしまったのだろうか。 アヘン戦争の始末書である英国との南京条約は、その追加条項で治外法権と関税自主権放棄を清に強いた。列強が押し付ける不平等条約である。日本もその解消には苦労し