「メディアが取り上げて、『男女平等が当たり前だよね』と言い始めたのは、ここ10年くらいじゃないかな。それもインターネットメディアが増えたからじゃないかな」
「メディアが取り上げて、『男女平等が当たり前だよね』と言い始めたのは、ここ10年くらいじゃないかな。それもインターネットメディアが増えたからじゃないかな」
はじめに キズナアイがNHKのウェブサイトにおいてノーベル賞の解説記事に登場しておりましたが、そのことをきっかけに、千田有紀氏などが指摘をし、さまざまな方面から千田の議論に対する批判が寄せられ、さらには社会学そのものに対する批判もされているところです(これらをキズナアイ論争と呼びます)。 ですが、そのざまざまな批判を読んでいると、「これって実はコミュニケーション不足で、伝わっていないんじゃない?」と思うことが多くなりました。いろいろあって社会学を学んだ人間として、それはちょっと悲しいなという思いがあったので、千田氏の問題提起をちょっと分かりやすくお伝えできればと思います。 筆者の立場 筆者は、社会学で修士号を得ています。今は大学から離れているのですが、離れてそう長くはありません。専門は千田とも重なる領域(家族やジェンダー)もありますが、教育やメディアでした。 本稿のスタンス あくまで、千田
<補足> というわけで、男女の思考の差。 いかがでしたでしょうか。 「いやいや女だってもっと他にも色々とつらいんです!」 というご意見あるかと思いますが、今回は女性がつらくないとか、デメリットがないとか、男と女、どちらが絶対的にいいとか悪いとか、ジェンダーがどうとか、そういう話ではありません。 純粋に、精神科の面から、「男性は感情を出しづらいことがある」という話です。 万が一誤解させてしまいましたら申し訳ありません。 そのような意図はまったくありません。 逆に「いやいや男だってもっと他にも色々とつらいんです!」となかなか言いづらいのが男なのです。 今回、そもそもの出典は、「チェンジH」という雑誌にて、 「なぜ女性になってみたいという男がいるのか?」 というテーマについて、精神医学の面から分析したものです。 それを編集して現在のものにしております。 そのため「え、何か唐突に!?」みたいな展開
また何年か前の話だが、「ジェンダー入門」の授業の単位認定レポートに、こちらの指定した課題(自分で映画を選び分析する)を無視して、攻撃と怒りと恫喝を延々と書き連ねてきた男子学生がいた。 内容を超要約すると、「フェミニズム及びジェンダー論は、フェミナチが日本を共産主義化して乗っ取るためにでっち上げた陰謀である。男女の役割はすべて生物学的に決定されているのに、フェミナチは性差そのものをなくそうとしている。こうした危険思想の下に講義をしている大野は、憲法が保証する思想・信条の自由を侵犯しているので、告訴することも可能である」。 いや、あの思わず笑った人はいるかもしれないけど、本当にこういう内容だったのです。だいぶん前からあちこちで見られるネトウヨ的言説を、適当にコラージュしたみたいな。botが書いたかと思ったが手書きだ。 ちなみに冒頭には「皇紀○○○○年」とあった。この牧歌的な学校にもこういう学生
⇒http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20091206/p1 ⇒http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20091206/p2 何から書いたらよいものか。いや、hokusyuさんに対してということではない。むろん批判でもない。 「獣」などいない。社会化された悪意に基づく人間のあまりに人間的な行為と、それによって裁かれる者しかない。そして、そのような者をもってして「獣」のレトリックを週刊新潮誌上で用いる――社会化された悪意に基づく個人の暴力を「獣」という「男性の本性」へと手間味噌に変換する――高名な作家先生がいる。その社会化された悪意がある。そういう話。そのような構造とその問題の話。その、理不尽極まりない暴力の話。それがなぜここまでこじれるか。この件について言及した人の中で、渡辺淳一の発言それ自体に同意した人を私ははてな界隈で見たことがない。 少な
0.本文に入る前に 最初にお断りをします。この記事では、直接的な性暴力の被害経験の触れています。性暴力についての記述を読んだときに、気分が悪くなったり感情がセーブできなくなったりすることがあります。被害経験がある人はもちろん、そうでない人もご注意ください。(そうした記述を、身を守るために読まない、という選択もあるべきだと、私は思っています) 次に上記以外の理由で読む気がない人向けに、結論を書いておきます。 【結論】 性暴力において、被害者を出さないための、決定的な方策はいまだみつかっていない。他者と信頼関係を結ぼうとする中で、加害者は被害者に性暴力をふるう。加害者が性暴力という行為に至るメカニズムは、判明していない。他者とのつながりを求める限り、親密な関係におけるレイプは、防ぎきれない。だが多くの人々は、他者との親密な関係を拒絶することを、選ばないだろう。そこで、性暴力の危険性を認知しなが
以前から社会での出来事について人々はどんな感想を抱いてるのかなとSNSのニュースコメントやいろんなブログを覗くたびに劣情あふれる物言いの氾濫にドンヨリした気分になってたのだが、昨今そういう劣情がネットにとどまらず街にまで溢れ出してるのを見るにつけ、またそういう人々とのやりとりの不毛さを思い知らされるにつけ、気力体力が消耗してここんとこブログエントリのアップがいささか途絶えてしまってた。それでももしかしたらひとりかふたりでもなにかを考えるきっかけにしてくれるかもしれないという希望を持つために、また自分自身の逃げ道をほんのわずかかも知れないがふさいでおくためにもやっぱり少しずつでも何か書いていこう。 ということで今ネットで話題沸騰の産経新聞での曾野綾子の文章(全文はこちらで読んでみていただきたい)。要はこれまで何度も繰り返されてきた「性犯罪被害は被害者にも責任があるよ」論。でまたまたこれまで何
最近、曽野綾子の記事の賛否について、はてな界隈が熱い。しかし、論点を誤ってるエントリーも多い。これは、曽野の記事がわかり難く、しかもこの短い記事の中にポイントが2つあるからであろう。このエントリーでは、曽野の記事を整理する。整理した結果、曽野ミニスカ論がひどいことがわかる。早く曽野ミニスカ論から離れたほうがよいと思う。 曽野の記事はわかり難くい。これは、記事が文学的な書き方だからだ。日本の新聞記事は、文学的表現法を用いるため記者の意図が伝わり難く、ビジネス文章の書き方本等では酷評されている。曽野の記事もその一つである。 しかも、曽野の記事にはポイントが2つある。以下にそのポイントを挙げる。 ポイント1 議題:太ももの線丸出しの服を着て性犯罪に遭ったと時、女性の側にも責任があるか? 結論:ある。 理由:太ももの線丸出しの服を着ることは、性犯罪を期待しているからだ。 ポイント2 議題:性犯罪を
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本年8月18日に国連の女子差別撤廃委員会(CEDAW委員会)は日本の報告書に対する最終見解(最終コメント)を公表した。急進的フェミニスト団体イクオリティ・ナウが日本非難の意見書を送付したあの委員会である。 最終コメントの内容はかなり雑多だが、本ブログでは表現規制に関係があると思われる部分に的を絞って訳出した。他の内容はすべて省略しているので興味のある方は参考欄の原文をあたってほしい。 ※更新情報:追記その2で国連のプレス記事を追加 日本の第6回報告書に対するCEDAW委員会最終見解(最終コメント) (ADVANCE UNEDITED VERSION) 2009年8月7日 女子差別撤廃委員会(CEDAW委員会) 第44回会期 2009年7月20日-8月7日 日本 1. CEDAW委員会は日本の第6回報告(CEDAW/C/JPN/6)を2009年7月23日に開催された第890回、891回会合に
風俗で働いてる。一度だけ、ホテルの部屋に入って、お客さんがお金だけ払って何もせず帰って行ったことがあった。 お金を払っていても、何も責任が発生しなくても、 「お前を抱く価値はない」と宣言されたということだ。 無数の精子の中から子種を選別する側である女にとって、男から「責任が発生しない状態で」セックスを拒否されるということは、 「あなたの遺伝子の存続を許さない」という強固な生物的存在理由の否定に他ならない。 これほど強烈な暴力はない。 だからと言って「生理的に嫌悪を感じる女」を相手を傷つけないために無理して抱いてやることが優しさかというと、 そうでもない点が性淘汰の残酷なところである。 責任が発生しなくても抱く気になれない女を仮に妊娠させたら、 お互いが不幸になるのだから。 強姦は「魂の殺人」というが、批難を承知で言えば、 誰にもセックスを求められない女より強姦された女の方が何百倍も幸福であ
──まず最初に、私は嫉妬しているのではありません。 結婚する友人を祝いたい気持ちでいっぱいです。 でも、あの時間だけは許せないんです。── チャペルの外に出た。 「独身女性のみなさ〜ん」 ついにきた、あの時間。 先日、出席した結婚式で、私(35歳・独身)は気づかぬフリをキメ込んで、よそ見をしていた。なのに、周りの既婚者に「ほらほら」と背中を押された。あんまりイヤそうにすると、祝福ムードに水をさしちゃう。だから、キャーとか言って参加した。 そう、ブーケトスの時間。 心の中で「ブーケがこっちに飛んできませんように」と祈った。だって、受け取ったら最後、こうとどめを刺される。 「次、がんばってね」 これって、職場で同じことをしたら、セクハラじゃない? 結婚式だから許されているこの習慣、何とかならないの。そう思っていたら、東京都内で出版社勤務のレイコさん(29)に会った。 話を聞いて
はとバスのツアーには「ニューハーフ・ショー」が組み込まれたものがあって、定番の人気メニューなのだそうだ。日帰りあるいは一泊程度のプランで東京近郊を観光するのがはとバス・ツアーであるから、その客層は主に(地方在住の)善良な人々といってよいだろうが、そういう人たちが抵抗感少なくニューハーフという存在を受け容れている姿に着目するところから、本書『女装と日本人』は書き起こされている。 〈こうした現象は、世界的に見ると、かなり特殊なことのようです。少なくとも欧米諸国においては。あるアメリカ人の男性研究者は「欧米の大都市にもそういう(女装した男性がショーを見せるような)場所はありますが、それは特別な(性的嗜好の)人たち(男性同性愛者)の場で、かなりアンダーグラウンドで、ポピュラーな場所ではありません」と教えてくれました〉 「性同一性障害」という概念がそれなりに普及するかたわらで、ゲイや女装者を「変態性
私は23歳処女だけども 処女の何が嫌かって、単にこの年で処女とか格好悪いとかそういうのじゃなくて、その種の男性に処女ハァハァされるのが嫌だ。ああいう人の思い描く処女像って、とことん自分にとって都合の良い妄想であって、現実には存在しないにもかかわらず、どうやらそれがわからない真性の脳内お花畑もいるらしくて、完全に虚構と現実を混同している人もいるから気持ち悪い。大体、親でさえ自分の子供を自分の思い通りにできないのに、それなりに年齢を重ねて自我も十分に育った人間が、自分の思い通りになってくれると思うのはおかしい。 「非処女は肉便器」とか、もうね… この種の発言は、処女の母親姉妹従姉妹友人を貶めるに等しいけど、同時に処女をも貶めているよ。だって、女のことを完全に自分の思い通りになるかならないかで判断している言葉だから。処女であれ非処女であれ、彼女らの自由意志は無視されていて、自分の思い通りになれば
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