そんな俺をやさしく包んでくれる包皮のような存在を俺は捜し求め続けている
いろいろ、お判りでしょうか?このまとめを作った時点(2017年6月14日午前2時半現在)で、そもそも最初の投稿から3時間程度しか経過しておりませんので、ご覧になっていない方もいると思います。 何かお分かりの方は直リプライでも、まとめコメント欄でも。 カテゴリは「ニュース」の「その他」から、今は「歴史」に変更。
日本近代詩史上、これほど大量の狂詩が生まれたことがあっただろうか…! 平成自由詩者似舊體詩而非也。日本曾有狂詩者、似舊體詩、非風雅、却是滑稽矣。蓋平成自由詩、是狂詩之属也。 平成自由詩とは: 「漢詩の約束事から離れた詩」(提唱者の定義による) 参照→http://www.sin-syu.jp/pdf/sinsyu-kaihoo_201012.pdf (漢詩崩しなので、詩型としては狂詩の連続と見ていいと思います) 狂詩とは: 江戸中期以後に流行した、こっけいを主とする漢詩体の詩。押韻・平仄 (ひょうそく) など漢詩作法に従いながら、俗語・卑語を多用した。銅脈先生(畠中正盈)・寝惚先生(大田南畝)らが代表的作者。 出典:デジタル大辞泉 作例:至野雪隠(銅脈先生) 欲低臨雪隠、雪隠中有人。咳払尚未出、幾度吾身振。 ということで、まとめます。 ※どんどん増えるので新しいものが上に来るようにしました
Compass Rose @hms_compassrose …こう、普通の散文でいいのに、わざわざ平仄もなんもあったもんじゃない下っ手クソな七言絶句を碑に刻んでしまう病気って、まだ日本の政治家から根絶されていなかったんだね(H23建立の茨城空港開港記念碑) pic.twitter.com/qmgOWG8VqX 2017-02-04 14:52:47 Wikipedia:平仄 平仄(ひょうそく、拼音: píngzè)とは、中国語における漢字音を、中古音の調類(声調による類別)にしたがって 大きく二種類に分けたもの。漢詩で重視される発音上のルール。 平仄とは「平」と「仄」の組み合わせであり、近体詩では最も重要な規範の一つである。 https://ja.wikipedia.org/wiki/平仄
筑波大学モニュメントに含まれる銘鈑に記された「漢詩」は、とうてい漢詩と呼ぶことができないしろものである。 筑波大学モニュメントとは 筑波大学筑波キャンパス [1] 茨城県にある国立大学の筑波大学には、筑波大学モニュメントというものがある。筑波大学側としては、「本学のアカデミックシンボルの一つとして、見る者全てに、学問に宿る崇高なる精神性と高揚感を与えるものになると期待」されるモニュメントなのだそうだ [2] 。 これは、2014年に幡谷祐一茨城県信用組合会長から寄贈されたもので、幡谷会長の作った「漢詩」が記された銘板が含まれている [3] 。これから詳しく説明することになるが、この「漢詩」は、とうてい漢詩と呼ぶことができないしろものである。一応は日本文学や中国文学の教授陣もいる大学 [4] で、このような漢詩と呼ぶことができないしろものを「漢詩」と称した上で、「アカデミックシンボルの一つ」
ある記事をみて、私もなにかを書きたいとひさしぶりにおもった。 話はもちろん押韻論。私がこれまで書いてきた押韻論(これやあれ)を読めば、だいたい私の押韻理解はわかってもらえるかとおもう。 しかし、押韻というのは難しい議題だ。 まず、押韻を文章で読むか声にして喋るかという問題がある。これはまったく書き言葉(エクリチュール)な問題なのか、話し言葉(パロール)な問題なのかという問題に直結する。 私は親切ではないため、ここからはおもっていることを十全と書いていくが、押韻の研究範囲とは想像以上に多岐にわたってしまうということは呈示しておきたい。 純粋に押韻だけの問題を取り上げると、これは日本語ラップが「母音で押韻する」という、かつて日本語になかった画期的な技巧をみごとに呈示してくれたおかげで、おおよその広範にわたる押韻理解が進んだと認識している。 しかし、これは「ビート」という概念が、いわゆる「定型」
吉本隆明はこんなことを書いた。 わが国でプロフェッショナルと呼べる詩人は、田村隆一・谷川俊太郎・吉増剛造の三人ということになる。 というようなことを吉増剛造のことについて書いたときに引用した。 おれは田村隆一が中学生くらいのころから好きであって、吉増については先に書いたとおりだ。残りは谷川俊太郎ということになる。 しかし、谷川俊太郎となると、いったいどこから手を付けていいかわからぬ。グレートすぎる感じがする。同じような理由で、おれは日本文学のメーンストリームの作家をほとんど読んではいないのだが、谷川俊太郎についても同じような印象がある。 が、吉本隆明は次のようにも述べている。 谷川さんの本格的な詩、純粋詩の特徴は何かといえば、第一詩集『二十億光年の孤独』からそれほど変わっていないと思う。 『二十億光年の孤独』。これである。なんとなく聞いたことのあるタイトル。そして第一詩集。ここから入ってみ
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パリでテロ 中東は空爆中 グラウンドゼロでは祈りを捧げる人がいる 原子力発電所は爆発してずーっと撤去中 東京オリンピックまでもう少し スマホの奴隷になった人々 ロボットとAIは技術的特異点まっしぐら エンタメはハロウィンやフェスにリアルへ回帰 憲法が変わりそうで野党は分かれそう ジャパニーズマフィアも分かれた クルマはもうすぐ自動運転 ビッグデータで何でもわかる googleは宇宙へ 北朝鮮は相変わらず EUは経済がやばい 中国のバブルも限界 台湾はどうなるかわからない そういや東南アジアも揉めてたぞ 小学生が大麻吸ってるらしい 歴史に名を残す少年犯罪者が本出した こんなニュースいっぱいだと SFの中だとやりすぎって思うレベル
なぜ無から有がうまれたのか、世界のはじまりは何なのか、という問題がある。 いわゆる「無限後退」とか「ホムンクルスの誤謬」などと言われたりする問題だ。 すなわち、「前提1:すべての存在には原因がある、前提2:世界は存在する、結論:世界には原因がある、それを神と呼ぶ」、と言えるとすると、「前提1:すべての存在には原因がある、前提2:神は存在する、結論:神には原因がある」となってしまい、永遠に遡れることになってしまう。 また、量子力学等では、世界のはじまりについて、量子のゆらぎによってビッグバンがおきて宇宙ができた、等と説明するようだけど(正確ではないかもしれない)、これについても、「ではなぜ量子のゆらぎは起きたのか」、と遡ることができる。 この問題について頭をめぐらせていたら、頭がぐるぐるしてだんだん気持ち悪くなってきた。 気持ち悪くなりながらたどりついた結論としては、そもそも世界にはじまり(
2015年07月23日20:12 「日本人は死の直前に詩を詠むという」日本の辞世の句を集めた洋書『Japanese Death Poems』に対する海外のレビュー カテゴリ漫画・本 sliceofworld Comment(226) 日本には昔から死の直前に辞世の句を一句詠むという習慣があります。日本の死生観に深く根差した習慣ですが、歴代の辞世の句や日本の死に対する考えを紹介した本が海外で出版されています。イスラエルの日本詩学者Yoel Hoffmannが著した『Japanese Death Poems』に対する海外の反応です。 引用元:Japanese Death Poems: Written by Zen Monks and Haiku Poets on the Verge of Death スポンサードリンク ★★★★★(これは私のお気に入りの詩集で、かのシェルビーおじさんのアルファ
槇原敬之さんの名曲「もう恋なんてしない」の文法がおかしいという話を聞きますが、構文が複雑なだけで別に間違ってないと思うので以下に示します。 この前ラジオでマッキーの『もう恋なんてしない』が流れてて、この曲よく文法間違いが指摘されるけど、レトリックが複雑なだけで別におかしくないと思います。 懐メロなのに今さらって気もするんですが、気まぐれにggったら大してまとまった情報がないのと、槇原氏デビュー25周年だかなんだからしいので何となくメモ。 もう恋なんてしないなんて言わない …ということでさっそく1番のサビ部分を見ていきましょう。 もし君に1つだけ 強がりを言えるのなら もう恋なんてしない なんて言わないよ絶対 二重否定 物議を醸すのは特に後半でしょうか。 「もう恋なんてしない」なんて言わない 括弧でくくると『「もう恋なんてしない」て言わない』ことが「強がり」の内容であることは明らかなのですが
ママを食い散らし 煮て食べ、焼いて食べ 目玉をくりぬいて食べ 歯をすべて抜いてしまえ 髪をつかんで引っこ抜き 肉の塊にしてスライスする 涙を流せばそれをなめとる 心臓は一番最後に食べる 最も苦痛を与えながら 上記の詩は、『ソロ子犬(A Single Dog)』という詩集の中の「塾に行きたくない日」というタイトルのものである。この詩を読んだとき、得体の知れない何かに自分が食べられてしまいそうな気持ち悪さにかられた。 詩集は全量回収、廃棄処分に この詩集は現在、韓国で物議を醸している。 特に、著者がまだ小学生の児童(女子)というこということで、親や出版社はどうしてこのような詩集を出そうとしたのか、そのモラルまで問われている。また、詩もさることながら、挿絵も餓鬼が死体を食らっているようでおぞましい。 「残酷だ」、「親不孝だ」と、ネットには作者や作者の親を非難する書き込みが殺到した。
「谷川俊太郎さんってオタクなんだよね」 風のうわさにそんな話を聞いた。谷川さんって詩の人? そうそう、詩の人。 谷川俊太郎さんは現在83歳。1948年、17歳から詩の発表をはじめ、21歳で書いた「二十億光年の孤独」でデビュー。誰でもわかる言葉で現代的な詩を書きつづけてきた。最近は萩原朔太郎などと並んで「国語の教科書の人」という感じになっている。 そんな詩の人がオタクって本当なのか。真相を追求すべく、連休のよく晴れた日、都内某所の谷川さん宅におじゃましたのであった。 ●MacBook Proで詩を書いている 「これなんだけどね、Palmがなくなったとき買ったやつで※1」 谷川さんはこちらがソファに座るなり、なにやらいろいろ机に広げはじめてしまった。ああ、これはソニーのPDA『CLIE』ですかね……ってええと待ってくださいね。まず、詩を書くのにパソコンを使ってるって話ですけど。 「いまメインで
2015-05-06 情報社会における多神論的キャラクターと坂口安吾における天皇の問題 現今の社会構造は、いわゆる再帰的近代やポストモダンと呼ばれ、それ以前の社会構造からは区分される。その特質としてリオタールが述べたのは、大きな物語の凋落である。すなわち象徴的にはフランス革命以後の西欧を牽引していた理念が弱体化し、人々が分断された小さな言語ゲームのセカイ=島宇宙へと引きこもる時代である。 かくのごとき社会はまた情報社会の特質でもある。マクルーハンが夢想したようなデジタルな世界的統一すなわちグローバル・ヴィレッジなるロマン的表象とは程遠く、現今の社会は小さなコミュニティが遍在している。 哲学者のニーチェは近代化の過程において「神の死」の進行を指摘した。彼は近代は聖なるものが失われていく時代だとし、社会学者のマックス・ウェーバーはそれを「近代の脱魔術化」と呼んでいる。 ハイデガーもまた現今の技
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