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近世と日本史に関するnagaichiのブックマーク (5)

  • 「Q 鎌倉幕府や室町幕府がなぜ江戸幕府みたいに安定しなかったの?」「A.江戸幕府がおかしいんだよ」→なにが優れていたのかという知識が集まるまとめ

    源朝臣二郎三郎(内府) @sekaiichibanham Q 鎌倉幕府や室町幕府がなぜ江戸幕府みたいに安定しなかったの? A.江戸幕府がおかしいんだよ これに尽きる 2022-10-29 18:51:20

    「Q 鎌倉幕府や室町幕府がなぜ江戸幕府みたいに安定しなかったの?」「A.江戸幕府がおかしいんだよ」→なにが優れていたのかという知識が集まるまとめ
    nagaichi
    nagaichi 2022/10/30
    室町にも守護在京制っていちおうあったんだけどな。分断して統治せよは至言で、三百藩に細分したのが二世紀以上の平和を担保したものかと。細川・山名・赤松・大内・上杉・鎌倉公方とか単位として大きすぎやもんな。
  • 死刑よりも過酷だった!? 関ヶ原合戦西軍の副将も味わった島流しの地獄 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

    「島流し」と聞いて、どんなイメージが浮かぶでしょうか? おそらく、謀反のような重罪を犯したものの、死刑は免れるかわりに小島に送られ、そこで生涯を全うする―こういった印象を持つ人が多いでしょう。 そこでの生活は、派手ではないものの、つつましやかに暮らすことは許され、牧歌的ともいえる日々であったと想像するかもしれませんね。 しかし、その実情は、多くの罪人にとって「死刑のほうがまだマシ」といえそうなほど過酷な世界であったのです。 この記事では、流刑者が多かった江戸時代を中心に、島流しの伝説を紹介したいと思います。 日初の流刑者は皇女だった 日の流刑の歴史は古く、正史では日書紀に出てきます。第19代天皇の允恭(いんぎょう)帝の治世というから、西暦では5世紀の話です。 允恭帝には9人の皇子・皇女がいましたが、皇太子の木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)と妹の軽大娘皇女(かるのおおいらつめ)が近親相

    死刑よりも過酷だった!? 関ヶ原合戦西軍の副将も味わった島流しの地獄 | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!
    nagaichi
    nagaichi 2020/11/20
    俊寛「なぜ私だけ帰れないのか」
  • 松方冬子准教授(東京大学史料編纂所)へのインタビュー | インタビュー | GJS: 国際総合日本学ネットワーク

    Global Japan Studies at the University of Tokyo is a research and education network that seeks to connect Japanese studies in and outside Japan. 松方先生、今日どうぞよろしくお願いいたします。まず、先生のご専門をお聞きしたいです。 私は学生時代から近世の日史を勉強して、最初は大名家のことを研究しておりました。就職してからオランダ語の史料を使い始め、オランダ風説書という文書の研究で博士号を取りました。最近は外交史をやりたいと思っています。日語とオランダ語しか使えないのですが、日人とオランダ人の接触を日とオランダの関係史としてではなく、もうすこし広く外交の世界史の中に位置付けたいと思っています。 オランダ語を読む関係で、蘭学研究をやっている方々

  • 『耳鼻削ぎの日本史』”やさしさ”から”見せしめ”まで - HONZ

    “耳鼻削ぎ”とは穏やかではない。というか、野蛮。現代人はそう感じるだろう。日歴史上で耳や鼻を削ぐといえば、戦国時代の話かな。敵の首をいくつとったか戦功を証明するのに、首だと持って帰るには重いから耳。いや耳だと左右二つ削いで数をごまかせるので鼻になったんだっけ。いやはや、戦国時代は血腥い…。 著者は日各地の“耳塚”“鼻塚”を訪ね歩き調査する。無惨に討たれた武士たちの耳や鼻が何百と葬られたというのなら、さぞや怨念が染み付いているだろう、怨霊話もあるだろう。耳や鼻を削ぐという行為の意味もみえてくるだろう、と思いきや。 なぜかどこへいっても「耳の神様が耳の聞こえをよくしてくださるところ」という話ばかりだったのだという。 私は日中の耳塚・鼻塚を訪ねてまわり〜(中略)けっきょくのところ、どこの耳塚・鼻塚からも不気味な怨霊譚が聞かれることはなかった。それどころか〜(中略)土地の人から愛され、ご利

    『耳鼻削ぎの日本史』”やさしさ”から”見せしめ”まで - HONZ
  • 江戸時代に起きた「こんにゃく」史上最大の革新とは 孤高の食材、こんにゃくのイノベーション(前篇) | JBpress (ジェイビープレス)

    感」がとりわけ特徴的な材がある。口に入れたときの歯ざわりと噛みごたえ、そして舌が受ける感触。感が独特であればあるほど、その材はほかの材と一線を画し、孤高さを感じさせるようになる。 「こんにゃく」は、そんな材の代表格と言えるのではないか。例えば、おでん。がんも、きんちゃく、大根、ちくわ、はんぺん、卵と面子が揃う中で、こんにゃくは灰色の体で異彩を放っている。べれば、歯ざわりでぷるぷる感を覚え、舌であの独特な風味を覚える。こんにゃくをべるときだけは、ちょっとだけ「ちょっと違う具をべる」といった意識を持つ人もいるのではないか。 こんにゃくはいまが旬と言える。11月は、こんにゃくの原料であるこんにゃく芋の収穫時期。消費量も11月から12月にかけてが毎年ピークとなっている(総務省統計局調べ)。 そこで、今回は「こんにゃく」をテーマに、日人との関わりあいの歴史を追うとともに、こんに

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