訃報に接したとき、「謹んでお悔やみを申し上げたいと思います」と言う人がいる。昔から、お悔やみの時に「~たいと思います」と言うことに違和感を覚える。なぜ「申し上げます」ではなく、ワンクッション置くのだろうか。さらには、最後に「~けれども」まで付ける人がいる。記号的に言っておけばいいだろうという気持ちが表れた印象を持ってしまうのだ。 東京都の小池百合子知事が、コメディアンの志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなったことについて記者から聞かれて、「お悔やみを申し上げたいと存じます」と前置きのように言ってから、エンターテイナーとして笑いを届けてくれたことに謝意を表した後、「最後にですねえ、悲しみとコロナウイルスの危険性についてですね、しっかりメッセージを皆さんに届けてくださったという、その功績も、最後の功績も大変大き…