弱いことは悪なのか : web-g.org リンク先では、父親による子殺しのケースを提示しつつ、「弱さ」は悪か否かを読者に問いかけている。「自分ならどう答えるだろう?」としばらく考えるうちに、「弱さ」は悪ではないけれど、「弱さ」を抱えながら生きていくのは苦しいなぁ、と思い至った。 人間の強弱は、一つ二つの評価軸で決められるものでもない。多軸パラメータ化すればそれでOK……というほど単純でもない。 例えば、風邪にもインフルエンザにもかからない体力に恵まれた人は、虚弱体質の人より専ら強い。そのかわり、病気慣れしていないから身体のサインを軽視し、病気にかかった時の対処が甘くなってしまうことある。自己イメージが壮健ゆえに、いざ衰弱した時、衰弱した自分自身を受け入れがたく、初老期うつ病や若作りうつ病といったメンタルヘルスの問題に脆かったりもする。 同じように、要領が良く世渡りが上手な人間は、いつもベ
イヤだイヤだと拒否してるのに妻に聴かされているミスターチルドレンの「彩り」という楽曲の歌詞に、その歌詞をここに転載すると著作権侵害にあたり反社会的勢力にされかねないのでニュアンスをだけを書かせていただくが、「私たちが苦虫を噛み締めながらやってる単純作業でも世の中人のためになっているから素晴らしいんだよ。尊いんだよ」という上から目線のものがあって、高額納税者印税生活者のミスターチルドレン氏が上から目線で語ることについて多少の苛立ちを感じつつも、それを素晴らしいと思ってしまったのは僕のサラリーマン生活の長さゆえ。 悠々自適の印税生活に比べたら全く素晴らしいものではないけど、汗水糞尿を垂れ流して働くことは本当に素晴らしいことだ。けれども、そういう最初は皆が持っていたはずの労働に対するピュアな気持ちは、ネガティブな要素に阻害されがちだ。その結果、ある者は鬱になり森田童子が流れる部屋で夜な夜な壁に貼
地元から大学進学と共に都会に出た人間だけど、地元志向の人に対して違和感を感じていた点は、所得でも知的レベルでもなく、たった一つ。 ソーシャルグラフとインタレストグラフを一致させようとすることだけだ。 言いかえると、たまたま近所に住んでいるから仲良くなった子や、たまたま同じクラスになったから仲良くなった子、 たまたま同僚だから話すようになった人に、積極的過ぎる「趣味の布教」を行う点。あるいは布教に応じなかった人を拒絶する点。 私は、近所に住んでいる人とは地域の話をすればいいし、クラスの子とは学校の課題やイベントの話をすればいいし、 同僚とは仕事の話をすればいいし、趣味の話をしたければ趣味のコミュニティに所属すればいいと思うのだけど、 地元志向の人は、"イツメン(いつものメンバー)"と全ての話題を共有したがる傾向にある。 だから地域・学校・職場などの枠組みにたまたま結び付けられただけの人に、趣
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