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学問に関するytnのブックマーク (23)

  • 社会学を志望しようかなと思っている大学受験生のために(2011年度版) - shinichiroinaba's blog

    今年も模擬講義の季節がやってまいりました。 とりあえず埼玉県立越谷北高校の皆さん、お約束のバージョンアップ版です。 再来週は都立三田高校に参ります。 ========================== 社会学は経済学政治学と並んで「社会科学」の仲間とされていますが、日の大学では大体社会学科は(もちろん、社会学部のないところでは、ですが国公立大学にはほとんど社会学部はありません)文学部に配置されています。なぜこうなっているのかといえば、社会学部は他の社会科学と比べて「主観」、人間の主観的な意識、心をその焦点とするからです。 経済学をはじめとして他の社会科学は「客観」的現実に照準を合わせますが、社会学はこれを無視するわけではないにせよ、人間がそうした「客観」的現実をどう「主観」的に経験し、その経験から「客観」的現実にはたらきかけていくか、を主題とします。その意味で人間の「主観」に照準する

  • 人文学はなぜ必要なのか? - 伊勢田哲治 | ask.fm/tiseda

    ご質問ありがとうございます。最近また文系の学問が役に立つかどうか話が盛り上がっていますね。だいたい話題は出尽くしていると思うのに何度も盛り上がっては同じ意見を言い合って終わるというのは、それだけテーマ自体がいろいろな人の心の琴線に触れる部分があるのでしょうね。今回は文部科学省の通知という呼び水があったのも大きいでしょうが、しかし通知の文を読んで議論してらっしゃる方はどのくらいいるのでしょうね。 それはともかく、「人文学は必要か」「人文学はなぜ必要か」といった問いは、近似としてもおおざっぱすぎです。 まず、必要性が問われているものが「人文学そのもの」なのか「大学における人文学教育」なのか「大学における人文学研究」なのか「大学における人文学研究者の雇用」なのか、さらにその上に「日における」がつくのかつかないのか、あとは大学といっても国立大学に限定するのかしないのかも、議論の流れによっては影

    人文学はなぜ必要なのか? - 伊勢田哲治 | ask.fm/tiseda
  • 国立大文系学部の学生定員は、「半分ぐらいなら残してもいい」とか言われたという噂 - 日比嘉高研究室

    先日、とある地方小規模国立大学の理事の方とお話しする機会があった。話題は文系学部の縮小や、国立大の三分類化についてであった。いくつかびっくりすることがあったので紹介するが、裏を取っていないので、あくまで「噂レベル」として受け止めていただきたい。 その大学では(全国じゃないです)、文系学部の学生定員は「半分ぐらいなら残してもいい」と言われたという。 「地域特化型」は文系だけでなく理系においても求められる。ある理系教員曰く、「地元指向の科学って、いったい何の事だ?」 「地域特化型」の大学においては、卒業生を地元に就職させることが求められる。数値目標まで出させられるとか。 1)について 心の底から、噂だと思いたい。文系学部の学生定員半分になるという事態の恐ろしさが、リアルに想像できないぐらいだ。教員の定員は、学生定員を根拠に算出されることが通常なので、これは当然教員の数も半分になることを意味する

    国立大文系学部の学生定員は、「半分ぐらいなら残してもいい」とか言われたという噂 - 日比嘉高研究室
  • プロポーズに学術論文を使った事案が研究者界隈で話題に - アレ待チろまん

    2015-06-05 プロポーズに学術論文を使った事案が研究者界隈で話題に 科学 freedesignfile.comより 研究の成果を発表する場である学術論文には研究を支えてくれた人々に感謝を述べる『謝辞 (Acknowledgement)』という欄がある。実験に必要な試薬を作ってくれた技官さん、好意的にサンプルを提供してくれた仲間の研究者、研究費を出してくれたスポンサーetc...。論文の根幹には関わっていないので著者に名前を入れることは出来ないが、その仕事に欠かすことの出来ない人に感謝を述べるための欄である。 卒業論文、修士論文などだと「私を支えてくれた両親」「大切な恋人」「癒やしをくれたアニメキャラクター」に向けた謝辞を書くことがある。これは後に高確率で黒歴史化するのだが、それはまた別の話だ。一番忘れて欲しいのは,国立国会図書館に納されたD論や…当時の彼女への謝辞があってだなo

    プロポーズに学術論文を使った事案が研究者界隈で話題に - アレ待チろまん
  • 人文社会科学系の再編騒ぎはどのような背景があるのか。 - 大学職員の書き散らかしBLOG

    いつぞやに引き続き、またしても人文社会科学系の改廃について話題になっているようです。件については、弊BLOGでも言及してきたところです。 「文学部はなぜ必要なのか?」不要論者の多い文学部について考える人々 - Togetterまとめ 教員養成・人文社会科学系学部・大学院への要請に思う 〜何が問われているのか〜 - 大学職員の書き散らかしBLOG いったいどうしてこんなことになっているのか、私が考えている全体像を以下に示します。なお、過度にデフォルメしており、あくまで私感であることに留意ください。 内容は概ね以前のBLOG記事と変わりません。ただ、これはここ数年の比較的短期スパンの流れを示すものであり、高等教育全体のデザインなど中長期な話に踏み込むものではありません。 やっぱりどうしても分からないのが、国立大学の分野再編検討の話がどうして人文社会科学系全般の話になるのかというところです。良

    人文社会科学系の再編騒ぎはどのような背景があるのか。 - 大学職員の書き散らかしBLOG
  • 私と科研費 | 科学研究費助成事業|日本学術振興会

    私は1952年生まれであるが、私と同年代以上の人文系の研究者のなかには、近年まで科研費とあまり縁がなく過ごしてきたという人もかなり多いのではないかと思う。私もその一人である。はからずも2009年度から2011年度まで日学術振興会学術システム研究センターの主任研究員として勤務する機会があったため、日の学術全般における科研費の重要性について、一般論としては十分に理解しているつもりである。しかし、「私と科研費」という題で個人的経験談を書くとなると、皆さまのお役に立つようなことは書けそうになくて困っている。 「科研費とあまり縁がない」といっても、どの程度縁がないのかおわかりにくいと思うので、具体的に述べよう。2008年度以後は「基盤研究(B)」を連続して採択していただいているが、それ以前に私自身が代表者として応募した科研費は2件のみである。ありがたいことにいずれも採択していただいたが、最初が3

  • 大抵のモノゴトは学問になってて、体系立てて土台を作る簡単な入門がある..

    大抵のモノゴトは学問になってて、体系立てて土台を作る簡単な入門がある程度決まってる。 ただ「政治」って言う言い方をすると、トタンに曖昧になって、実は体系的な入門書って、無い。 何故か。 「政治」を「語る」というのが、凄く曖昧なことだから。ソレはものすごく広い概念なのよ。 だから、「家庭で両親の聞いてたから」という理由は、わりと「帰国子女が自然にネイティブ並みにバイリンガル」と同じ。 つまり、後付けでそこまで行こうとすると、凄く苦労する。 でも、やり方がないわけじゃない。 自分が無知であることを一度理解する例えば、日は第二次大戦で負けた。教科書で習ったろう。 じゃあ、開戦の切っ掛けはどこまで「自分の言葉でさかのぼれるか」自覚してるか? 石油の禁輸措置?ソレは何故起きた?移民が嫌われた理由は?三国干渉は何故起きた?日清戦争の理由は? こういう、「アタリマエに知ってるよ」という事を、「アレ?こ

    大抵のモノゴトは学問になってて、体系立てて土台を作る簡単な入門がある..
    ytn
    ytn 2015/04/27
    学問としての政治(学)において、政党政治とか政局ってごく限定された分野でしかねーという事を、こういうタコに惑わされず、大元の増田には知ってほしい。
  • 恐るべき「データの見えざる手」。あなたは「意志が弱い」のではなく、「U分布」に従っていないだけかもしれない|まだ仮想通貨持ってないの?

    恐るべき「データの見えざる手」。あなたは「意志が弱い」のではなく、「U分布」に従っていないだけかもしれない|まだ仮想通貨持ってないの?
    ytn
    ytn 2015/01/30
    頻度が分布に従うのはいいとしても、そこから先の「行動」や「計画」をべき論で語る段では途端に論理が顛倒してるんだよなあ。
  • カリキュラムに従った勉強は学問の基礎体力と基本技術を身につける勉強なんですよね。基礎無しで興味を追求してもよほど才能がなければ伸びません

    お菓子っ子 @sweets_street 2011年5月からTwitterを利用しています。 2019年12月末日までTwitterを利用します。 8年間のご愛顧、誠にありがとうございました。 page.is/sweets-street お菓子っ子 @sweets_street 【RT】「学問的訓練を受けてきてる人」と「クイズ王的に知識だけつまみいした人」の違いって結構わかりやすいですよね。前者の人は知識の並べ方や説明の仕方に一定の法則性が見られるけど、後者の人は生来の頭の良さの上に知識を無造作に散りばめてるだけで法則性が見られないんですよね 2013-11-10 09:04:07 お菓子っ子 @sweets_street 学問的訓練とは興味が持てることも持てないこともひっくるめて関係あること全部勉強することなのですが、学問的訓練を受けてない人は面白そうなことだけを勉強してつまらなさそう

    カリキュラムに従った勉強は学問の基礎体力と基本技術を身につける勉強なんですよね。基礎無しで興味を追求してもよほど才能がなければ伸びません
  • はしかワクチン懐疑論から学問の基礎の大切さを考える

    ●米で強まるはしかワクチン懐疑論 WSJ 2015 年 1 月 27 日 15:37 JST 昨年12月に米カリフォルニア州のディズニーランドで始まったはしかの集団発生には、公衆衛生当局者を心配させている新しい傾向が表れている。 米疾病管理予防センター(CDC)によると、感染度が極めて高いはしかは2000年以降、米国であまり見られなくなっていたが、大規模集団発生はこの2年の間により一般的なものになってきた。 同時に、ワクチンに懐疑的な親を説得して子供に接種させることはますます難しくなったとワクチン専門家や医師らは話す。ワクチンと自閉症に関係があるのではないかという懸念(今では誤りであることが科学により証明されている)が、より一般的かつ根拠のない不安、つまり、ワクチン接種が子供の免疫システムにもたらす影響に関する不安へと拡大したためだという。 続きを読む

    はしかワクチン懐疑論から学問の基礎の大切さを考える
  • 朝型人間って何であんなに傲慢なんだろう

    自分たちのやり方が宇宙の真理であって、そうでない人間をあらゆる角度から全人格的に否定するのは当然である、と思ってるよね。

    朝型人間って何であんなに傲慢なんだろう
  • 実学偏重、業績主義の傾向強まる中、若手研究者が思想誌「nyx」創刊(1/2ページ) - 産経ニュース

    人文・社会科学系のを手がける堀之内出版(東京都八王子市)は、古典など非時事的テーマを中心にした新思想誌を来年1月に創刊する。大学が実学偏重、業績主義の傾向を強める中、若手研究者に実学にとらわれない「思想のための場」を与える試みだ。 新雑誌名は、ギリシャ語で夜を意味する「nyx(ニュクス)」。定価1800円(税抜き)で、年1~2回程度の不定期刊。 執筆者の中心は、1970~80年代生まれの若手人文系研究者。同誌担当編集者の小林えみさん(36)は「現在の出版界ではわかりやすさが求められがちで、難解な古典や理論を扱う研究者は世に出にくい。丸山真男氏、少し前なら浅田彰氏といった思想家たちも、20~30代で発表した難解な論稿がベストセラーとなった。読者も安易さだけを求めているとは限らない。今の日の若手の優秀な研究を世間にもっと紹介したい」と、創刊の意図を説明する。 創刊号の第1特集は「〈エコノミ

    実学偏重、業績主義の傾向強まる中、若手研究者が思想誌「nyx」創刊(1/2ページ) - 産経ニュース
    ytn
    ytn 2014/11/25
  • 教育系・人文社会系不要論の問題点について - researchmap

    「研究ブログ」の最初の記事が、大学改革関連となってしまうのは遺憾なのだが、平成26年国立大学法人評価委員会総会の「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点」について(案)が、国公立大の人文社会科学系について気になる文言を含んでおり、私の周りでも話題になっているので取り扱うこととした。 「ミッションの再定義」を踏まえた速やかな組織改革が必要ではないか。特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべきではないか。 日比嘉高氏もブログで述べておられるように、文科省は国立大に人文系はいらないと基的に考えている、という噂は私も聞いていた。ただし私が聞いたのは「地方国立大に」というニュアンスであったが。 で、

  • その学問は役に立たない → 要らない?

    任意の学問について、 それは役に立たないのか? 役に立たないならば国立大から消えるべきなのか? …主に文系学問を想定しつつ議論する

    その学問は役に立たない → 要らない?
    ytn
    ytn 2014/08/29
  • 研究者になるまで │ 東京大学文学部・大学院人文社会系研究科

    私は気が弱い。およそプレッシャーというものが苦手で、受験競争がいやで高校を辞めたほどである。みなが一心不乱に勉強している図書館に行くとあらがい難い眠気を覚える一方、騒然とした駅のベンチでにわかに学習意欲を覚えることもある。高校を辞めた後も、半年ほどぶらぶらしていると、次第に学習意欲が湧き、毎日英書を読んだり、古典語を勉強して過ごすようになった。そういうあまのじゃくな人間が何かを選択するとき、競争の少ない、ひそやかな分野に心惹かれるのかもしれない。 高校を辞めたころは、多くの青年がするように、ひとは楽しくもない人生を何のために生きるのかということをよく考えた。自分の人生の難問に取り組むことなくしては、実用的な学問を修めて世の中を渡っていくのは無意味だと思ったので、大学に行きたいと思い直したときから、人文的なことが学べる学部に行こうと心が決まっていた。計画どおりにならない人生だから、天の導きに

  • 専門的な文章を読むには訓練が必要という当たり前だがあまり知られていないこと|Colorless Green Ideas

    専門家はお互いにとって理解しやすくするために、専門用語を使って文章を書く。こうした専門的な文章を理解するにはしっかりとした訓練が必要である。 はじめに 西日新聞のウェブサイトに掲載されたコラムに次のような文章があった。 ネット上に公開された大学などの論文にある「解釈的文脈」「モダリティ辞」「ディアスポラ」「語用論」って何? 高度な論文でなければ注目されず、不勉強と冷笑されもするだろうが、難解な言葉で自己陶酔する世界観が学術界に広がっていないだろうか。 来、研究は人、社会に役立つべきものと思うが、ネット上の論文には個人的な知的遊戯に浸っている物が少なからず散見される。 田端良成 (2014年3月23日)「STAP細胞をめぐる一連の大騒動」『西日新聞』 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/desk/article/77391 この指摘は妥当なものでない。研究

    ytn
    ytn 2014/03/31
    むしろ新聞記者のレベルってそんなに落ちてるんだ感。
  • 博士論文とは単なる「世界一の成果」ではなく、後世に知の体系を伝えること - 竹内研究室の日記

    STAP細胞は研究成果の疑惑から博士論文のコピペにまでなってます。 あたかも成果さえ出れば博士論文なんてどうでも良いのでは、ということまで言う人が出る始末。 そこで、そもそも博士論文とは何か?、について書いてみようと思います。 まず私は大学院は修士で卒業して博士課程は行っていません。 博士論文は東芝での研究をまとめたもので、論文博士。博士とは何たるか、語る資格が自分にどれだけあるか、自信があるわけではありません。 むしろ、博士課程の学生を指導しながら、自らも博士とは何たるかを学んでいるところもあります。 ですから自分ができているかはさておき、「博士とはこうあるべき」という、いわば自分が理想にしていることについて書こうと思います。 技術や科学は日進月歩で進化するもの。逆に言えば、世界初の成果も、すぐに否定されるのです。 ISSCCのようなトップ学会では、「世界一であるか」が厳しく問われます。

  • 6年かけて大学を卒業しました 振り返って - mizchi's blog

    昨日のLT でも言ったんですが、6年間かけて卒業しました。 卒業までの経過 普通に単位を取る 3年でゼミ配属 4年で大学院の内定を取る 4年の11月頃、研究に興味をなくし大学院辞退 大学へのやる気が失せて、卒論(とスペイン語)を放置する 就職活動してなかったので、ブログで職を募集 学生のまま就職(契約社員) 5年次、仕事が忙しすぎて卒論書けず 転職(正社員) 6年で卒業 卒業待たずに就職、卒業待たずに転職して、来年で業界3年目の新卒になります。語句の定義が難しいです。 他の業界は知りませんが、この業界、そういう新卒もどきは多いです。 追記: 最後の2年は休学+残単位数が既定値以下で、学費はほとんど割引されています 卒論 卒論は公開しませんが、卒論の成果物はこれになります。 mizchi/TypedCoffeeScript 所属は隠してなかったので別にいいんですが、早稲田大学の人間科学部です

    6年かけて大学を卒業しました 振り返って - mizchi's blog
  • 労使関係論とは何だったか - shinichiroinaba's blog

    hamachan先生の 来労働問題というのはどぶ板の学問である労使関係論が中心であって、それに法律面から補完する労働法学、経済面から補完する労働経済学が、太刀持ちと露払いのごとく控えるというのが来の姿。 これはちょうど、国際問題というのもどぶ板の学問である国際関係論が中心であって、それを国際法学と国際経済学が補完するというのと同じ。 (中略) ところが、労働問題は国際問題と異なり、その中心に位置すべき労使関係論が絶滅の危機に瀕している。空間的、時間的に何がどうなっているのかを知ろうというどぶ板の学問が押し入れの隅っこに押し込まれている。そして、来理屈が必要になっておもむろに取り出すべき労働法学や労働経済学が、我こそはご主人であるぞというような顔をして、でんと居座っている。 http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-2

    労使関係論とは何だったか - shinichiroinaba's blog
  • 初心者のための記号論:記号

    Semiotics for Beginners -初心者のための記号論- Daniel Chandler (University of Wales) 記 号(Signs) 我々は、意味を作る欲望に動かされている種のように思われる:我々は、まさしくホモ・シニフィキャンズ (Homo sinificans)、意味の作成者である。特徴的なことは、我々は‘記号’の生成と理解を通して意味を作り出すことである。まさしく、パースの言う通り‘我々は、記号でのみ思考する’ (Peirce 1931-58, 2.302)。記号は言葉、画像(images)、音、匂い、味、動作やものの形をとるが、それらは来意味を有しているものではなく、それらに意味をまとわせるとき記号となる。‘記号として理解されなければ、なにものも記号ではない’とパースは言っている(Peirce 1931-58, 2.172) 。なにものも誰か

    ytn
    ytn 2014/03/01
    web上で見られる、まとまった分量のまじめな記号論