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批評に関するytnのブックマーク (8)

  • 宇野常寛と脱洗脳――小さな成熟へ向かって - A Mental Hell’s Angel

    宇野常寛は東浩紀ファンを非モテ理論武装系レイプファンタジー人間として批判した。最初からレイプしたいのにそれを倫理的に偽装しているという捻れの問題化である。東からその実在性を再批判されていたが、Twitter、ブログ、オフ会などの僕の観測範囲内では、実在すると言って良い。東クラスタは私見では非モテかメンヘラ女子ハンターが多いように思われる。ちなみにザ☆ルサンチマンハンター小野というWEB漫画があるのだが、これは宇野常寛とその周辺の言説空間への批評として優れている。http://rusahan.web.fc2.com/ 宇野常寛はルサンチマンに対して「小さな成熟」を推奨する。例えば卑近な例を挙げれば、もし当は三次元の女と付き合いたいのに自分に嘘をついてエロゲをやっているのだとすれば、「素直」にそれを口にし漸進的に努力すべきだということである。これは決断主義的トークラジオAliveにて何度も主

  • 「一般意志」とは何か - 過ぎ去ろうとしない過去

    紙屋研究所の紙屋氏が東浩紀の「一般意志2.0」をdisっているのだけれど、何か質を外している気がします。 ■架空インタビュー2.0 『一般意志2.0』ふたたび http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20120306/1331001376 特に違和感をもったのが、「差異の総和」について書いている部分。 ――「差異の和」のくだりですね。 そうです。岩波文庫の桑原・前川訳の方で紹介します。 これらの特殊意志から、相殺しあう過不足をのぞくと、相違の総和として、一般意志がのこることになる。(岩波版p.47) この最後の部分「相違の総和として、一般意志がのこることになる」は、フランス語の原文では「reste pour somme des différences la volonté générale.」となるので、東訳よりも桑原・前川訳の方がいいと思いますね。 こ

    「一般意志」とは何か - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 浅田彰「パリのテロとウエルベックの『服従』」|REALKYOTO

    1月7日にフランスで諷刺新聞『シャルリー・エブド』(チャーリー・ブラウンにちなむ名前なので『週刊チャーリー』と訳したいところ)による預言者ムハンマドの諷刺画に怒ったイスラム過激派が編集部を襲撃して5人の諷刺画家やライターを含む12人を殺害、並行して起こったユダヤ系品店での人質立てこもり事件なども含めて、最終的に犠牲者は17人に上った(イスラム教徒も含まれる)。 『シャルリー』は1968年5月革命世代によるアナーキズム系の全方位斬りまくり諷刺新聞、前身が『Hara-Kiri』だったことからも推測できるように決して良識派の媒体ではない。筑紫哲也がインターネット上の匿名掲示板に溢れる書き込みを「便所の落書き」と呼んだことがあるが、あえて言えば『シャルリー』も「便所の落書き」に類するものだ。しかし、そもそもジャーナリズムや諷刺は「便所の落書き」から発生したと言うべきではないか。「便所の落書き」で

  • 20150117【生放送】浅田彰×中沢新一×東浩紀「現代思想の使命――198919952011」 @hazuma

    高橋源一郎 @takagengen パリ解放以来の数の人々が「反テロ」のデモに立ち、約100年ぶりに議会で議員たちが国歌「ラ・マルセイエーズ」を斉唱した。フランスでは愛国が渦巻いている。テロリズムの目論見は成功したというべきだろう。彼らの望みは「愛国」の名の下に、その度合いによって人々が分断されることだったから。 2015-01-14 22:12:11 東浩紀 Hiroki Azuma @hazuma これです。会場はかつてなく満員。 【日 ニコ生 1/17 19:00から生中継】浅田彰+中沢新一+東浩紀「現代思想の使命――1989/1995/2011」 @hazuma #nicoch2580193 #genroncafe nico.ms/lv203860355 2015-01-17 09:32:57 ゲンロンカフェ @genroncafe 【日のイベントについて】日は当日券の用意が

    20150117【生放送】浅田彰×中沢新一×東浩紀「現代思想の使命――198919952011」 @hazuma
  • セカイ系以後の生存の技法――ファウスト系はどうサヴァイヴしたか - A Mental Hell’s Angel

    セカイ系というものがあった。ファウスト系というものがあった。懐かしい。しかしそれらがきちんと総括されたかといえば、個人的に、疑問である。したがって、いちおう自分なりの解釈を書いてみた。 まず滝竜彦の話から始め、舞城王太郎、佐藤友哉に少し触れ、西尾維新について論じ、文芸批評的に総括した上で、最後に現代のアニメーションについてのサブカルチャー批評を付記した。 それでは滝竜彦について。 滝竜彦は『ネガティブハッピー・チェーンソーエッジ』でデビューし、『NHKにようこそ!』で一躍人気作家となった元ひきこもり小説家である。 現在の彼はスピリチュアリティに傾倒している。それを「あー滝さんついにそうなっちゃったかー」という冷ややかな眼で見ている読者もいるだろう。しかし、なぜ彼がスピリチュアルにハマったか。それは質的な問いである。その理由を思想的かつ文学的に叙述してみよう。 まず、もちろんのこ

    ytn
    ytn 2015/01/10
    精神分析ベース
  • 艦これは少女を命がけで戦わせる”美少女ポケモン”なのでヤバい - Togetter

    「立場的にも精神的にも絶対優位に立つ男子が比較的安全な後方に陣取り、女子に命令して前線へ送り込み命がけで戦わせる」構造を持つ作品、ぼくが勝手に言うところの「美少女ポケモン」ものは、そろそろまとめて批評されるべきかもなあ。 最近のヒット作なら『機巧少女は傷つかない』と『艦これ』。

    艦これは少女を命がけで戦わせる”美少女ポケモン”なのでヤバい - Togetter
  • 匿名ダイアリーの公開質問へのお答え - 映画評論家町山智浩アメリカ日記

    匿名ダイアリーの公開質問にお答えします。 http://anond.hatelabo.jp/20140629111911?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter ====== 『時計じかけのオレンジ』におけるキューブリックの「自由意思」について http://www63.atwiki.jp/loversrock/pages/5.html すみません。 キューブリックはちゃんと「『時計じかけのオレンジ』は自由意志についての映画だ」と言っていますが、別のインタビューでした。 http://www.visual-memory.co.uk/amk/doc/interview.aco.html 「キューブリック この映画(時計じかけのオレンジ)の中心にあるのは自由意志についての問いに他ならない。善悪を自分で選ぶことができなければ人間性は失われてしまうのでは? タイ

    匿名ダイアリーの公開質問へのお答え - 映画評論家町山智浩アメリカ日記
  • これは「母性」ではない。――『おおかみこどもの雨と雪』論 - 鳥籠ノ砂

    雨と雪について 雨と雪は、どちらも成長するにつれて「狼」と「人」のあいだで苦悩する。だが、その結末はきわめて対照的である。雨は「狼」として動物たちに融け込み、雪は「人」として学校に慣れ親しんでいった。この対比は単なるおとぎ話ではなく、もう少し広い視点で捉えなければならない。彼らの物語は、それぞれ「母」である花と「父」である狼男の人生を追体験したと言えるのだ。どういうことか。 まずは雨を見ていこう。雨は、森の主であるキツネの死期が近づくことで、代わりに弟子の自分が森を束ねなければならないと感じ始める。守るべきもののために今の世界を去っていく彼の姿は、実はかつての「母」と同じである。花もまた、雨と雪が自由に育つように都会を離れた人物だ。 では、雪はどうだったか。雪は、転校生の草平に自分が狼人間であることを明かし、ひとつの通過儀礼を果たす。カミングアウトを通して異性との関係を取り結ぶ、という点に

    これは「母性」ではない。――『おおかみこどもの雨と雪』論 - 鳥籠ノ砂
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