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学びに関するytnのブックマーク (7)

  • 宗教まなんでる人間が、無宗教の人間と結婚するリスク。 http://blogos.com/artic..

    宗教まなんでる人間が、無宗教の人間と結婚するリスク。 http://blogos.com/article/111805/ 宗教まなんでる人間からすると、無宗教者は学の無い(精神的に未熟な)野蛮人に見える。 無宗教の野蛮人を舐めていると痛い目を見る。 利己的(自分さえよければ他人はどうでもいい)で他人に冷たく、自我を抑制できないし、 調子の良いとき、順調な時は情緒は安定してるけど、 何か問題が起きると直ぐに情緒不安定になる(信念が無いから) だから、宗教学んでいる人間からすると、 同じ宗派以外の人間と付き合ったり結婚するのは極力避けたいのが音。 宗教学んでいる人間としては、無宗教者に常に利他的に行動するけど、 利他的であるが故に無宗教者から好かれたとても、全力で拒絶すべし。 この相談者のケースとしては、野蛮人と結婚したことがの最大の失敗だった。 友人も同じ、常に利他的に接してきたのに、

    宗教まなんでる人間が、無宗教の人間と結婚するリスク。 http://blogos.com/artic..
    ytn
    ytn 2015/05/11
    新たな学びあ
  • 正統的周辺参加論が生まれるまでの心理学の流れ - 西尾泰和のはてなダイアリー

    Facebookに書いていると「この前メモしたアレをもう一度見たい」と思ったときに検索でヒットしなくて不便なのでこちらに転載。 - 今回の「組織科学」が「現場における学習」特集で、佐伯胖による記事が載っていて、イリイチのコンビビアリティの概念が出てきて、最終的に学ぶとは他者とコンヴィヴィアルな関係を生み出すことだ、と結論している。面白い。 組織科学 Vol.48 No.2 pp.38-49 佐伯胖 "そもそも「学ぶ」とはどういうことか:正統的周辺参加論の前と後" 正統的周辺参加論が生まれるまでの心理学の流れと、その後の変革の可能性についての話。 1913年にWatsonが「行動だけに注目したら心理学も自然科学になる(逆に言えばそれ以外は科学じゃねーよ)」と言ってから心理学は行動主義の全盛時代になった。この時代の考え方は「行動が起きた直後に報酬を与えたらその行動が強化される」(オペラント条件

    正統的周辺参加論が生まれるまでの心理学の流れ - 西尾泰和のはてなダイアリー
    ytn
    ytn 2015/04/27
    心理学って人間性をガンガン解体してる
  • 卒業という概念があると思われた文化がそうではなかったやりきれなさ

    「ちゃんとした大人になれ、と大人に摺り込まれてていたが、当の大人がちゃんとしていなかった問題」とどこかでで接続すると思う。 http://anond.hatelabo.jp/20140802002012 アニメオタクばかりでつらい 元増田の言いたいのはこういうことではないかと自分なりに想像。 アニメなどは卒業があらかじめ予定されている子供向け文化であり、大人になったら大人の文化 (それが何なのか子供には知る由もない)を嗜むものと思っていたが、だんだん大人に近づいていくと、 目の当たりにしたのは、当の大人がそのアニメ文化を卒業していないだけでなはなく永遠の少年気取りを続けているか、 さもなければ、「フォーマットは確かに子供用のものかもしれないが、もはや内容は社会一般を対象にしたものであり、 君は質を見ていない」などと説教されたりする不快感。 もしそうであれば共感できる。 俺も20年前の大学

    卒業という概念があると思われた文化がそうではなかったやりきれなさ
  • 安倍首相夫人・昭恵さん「私は、自分の頭でものを考えていなかった」 - 弁護士ドットコムニュース

    安倍首相夫人・昭恵さん「私は、自分の頭でものを考えていなかった」 - 弁護士ドットコムニュース
  • 哲学の初学者にありがちな間違い - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ

    哲学の初学者にありがちな間違いのひとつをこの間思いついたので記しておく。哲学の場合、初学者ほど他の哲学者が素朴に見えるという現象がある気がしている。 例えば、プロの哲学者が何らかの原理Xみたいな前提を使うとしよう。 しかし初学者にはなんでこのXを認めないといけないのかがよくわからないので、Xを認めることが素朴に見える。非合理的な信仰やドグマのようなものにすら見えるかもしれない。 もちろん筋から言えば、Xを前提する側がXを使う理由を説明した方がいいかもしれない。しかしひとつの論文のなかで、すべての前提を説明することなどできないので、ごく標準的常識的な事柄であれば、特に議論なく前提するだろう。 もちろん当にドグマであるケースもあるだろうが、ここで考えているのは、Xを擁護する議論が別のところでなされていたり、合理的な理由があっても、初学者はそういう事情を知らないので素朴に見えるというケースだ。

    哲学の初学者にありがちな間違い - うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
    ytn
    ytn 2014/06/02
    「もちろん一定訓練を受けた人だとごまかされないので、「いやこれ書いてないだけでこういう前提使っとるやんけ」と気づくのだが、初学者だとなかなかそうはいかないことがある」
  • 同性の年長者から教わる機会の多い男の子/教わる機会の少ない男の子 - シロクマの屑籠

    以下は、だいたい20世紀後半〜現在の男子を意識した話だ。女子の場合、いくらか事情が異なっていることをあらかじめ断っておく。 世間で「何かを学ぶ・何かを身につける」というと、まず教育機関を想像する人が多いだろう。塾や稽古事を思い出す人もいるかもしれない。もちろん、それらは学びの場として重要だし、勉強以外にも沢山のことを教えてくれる。 でも、実際に学びとっていく諸々は教育機関経由ばかりではないし、そもそも、子どもにとっての「遊び」と「学び」の境目は曖昧だ。活字やメディアからの影響が相対的に小さい年齢の頃は特にそうだ言える。親が「遊び」と思っている事を眺めているうちに重要なエッセンスを吸収していたり、親が「くだらない」と思っている仕草をいつの間にかインストールしていたりする。もう少し年長になった後も、親の後姿は重要な参照項になりやすい。 父親不在の環境では、子どもは父親をロールモデルにしにくく、

    同性の年長者から教わる機会の多い男の子/教わる機会の少ない男の子 - シロクマの屑籠
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    ytn 2014/04/29
    思い当たることが一杯で苦笑/白熊先生がとっくにエディプスコンプレックスに言及してるのになんでフロイトに答えを見出せそうと思ったのかしら。/男性性と資源の問題として興味深い。
  • 2つのボールをぶつけると円周率がわかる - 大人になってからの再学習

    一か月ほど前に New York Times で紹介されていた記事。 The Pi Machine - NYTimes.com ここで紹介されているのは、なんと驚くべきことに、2つのボールをぶつけるだけで円周率(3.1415...)の値がわかる、という内容。 これだけだと、全然ピンとこないと思うので、もう少し詳しく説明すると、次のようなことが書かれている。 ↓2つのボールを、下の図ように壁と床のある空間に置く。 ↓その後、壁から遠い方のボールを、他方に向かって転がす。 後は、ボールが衝突する回数をカウントするだけで、円周率がわかるらしい。 これでも、なんだかよくわからない。 まず2つのボールが同じ質量である場合を考えてみよう。 まず、手前のボールが他方のボールにぶつかる(これが1回め)。 続いて、ぶつかったボールが移動して壁にぶつかる(これが2回め)。 壁にぶつかったボールが跳ね返ってきて

    2つのボールをぶつけると円周率がわかる - 大人になってからの再学習
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