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文章と表現に関するytnのブックマーク (2)

  • 鍵括弧問題の自分の責任と自己批判について|鏡裕之|note

    「責任」とは、今回の問題について、自分がどういう過失を行い、どういう原因が自分にあったか、ということです。それをここで、きっちり自己批判しておく必要があると考えています。  今回の鍵括弧の重書きの件については、以下3つが一番の原因だったと思っています。 1.シナリオ講座を開催していることや、『鏡裕之のゲームシナリオバイブル』を書いていることなどから、ハウツーについてツイートする時には、「シナリオ講座の教室」という「場」で「先生」として受講生に話しかけるモードになっていた。 だが、そのような「場」は非常に特殊な場であり、フォロワー以外には共有されていない場である。まとめサイトに掲載されたことでさらに、その特殊な場は切断された。だが、自分が前提にしている「場」が、特殊であり、フォロワー以外には共有されておらず、まとめサイトでも共有されていないことに、自分は気づいていなかった。「~するのがプロ」

    鍵括弧問題の自分の責任と自己批判について|鏡裕之|note
    ytn
    ytn 2014/07/09
    こういう「マジメ」な文章を書かせたときにそいつの文章力・日本語力って露骨にあらわになるけど、その点からはお察し案件。
  • 精神科医から増田の存在意義を問われたんだけど

    じつは僕は今とある病院の精神科にかかっていて、その治療の一環ということで前々から書き溜めていた文章をプリントアウトして持っていったんだけど、そのときに「今の子ってこういうわざわざ自分の見せたくないような部分をブログとかで公開したりしてるけどさ、そういう心理ってどういうようなわけ? しかもなんか客観的にというか、自分を上から見たような文体で書くでしょ? 私はブログとか、そもそも否定派なんだけどさ――」と言われて何も答えられなかったという事件があった。よくある言説では、承認欲求、かとも思ったけどなんかその一言では終わらないような……。 上にも書いた通り、僕の主治医はブログ否定派(インターネット否定派?)らしい。なぜなら「そこに感情が乗っかっていないから」「プリントアウトされた文字はつめたい」のだという。「こうやって文章こねくり回さなくったって、要は『つらい』『くるしい』ってことでしょ? それで

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