中村甄ノ丞あるある早くいいたい @ms06r1a 中国人観光客のマナー云々の問題は、先づ中国人がお金を持ち出してからそんなに経っておらず、外国に行くこと、異文化に触れることに慣れていないことから生じていて、それは日本人が数十年前に同じ道を通ってきたのであって、中国人の性質に拠るものではないのだが、 2015-05-11 11:34:50
安倍晋三首相が日本時間30日未明、日本の首相として初めて米上下両院合同会議で演説した。題名は「希望の同盟へ」(外務省訳)。大変考えられた、すばらしい演説だったと思う。 安倍首相の外交スピーチが素晴らしい」)今回もスピーチライターの谷口智彦内閣参与、参謀役の谷内正太郎内閣国家安全保障局長が安倍首相と図りながら、適切な配慮をしたのだろう。安倍首相は海外メディアで極右と誤った描写がされている。この演説を契機に、良いイメージが広がってほしいと期待している。 演説は多岐な問題に触れたが、その中で米国軍事史について素人マニアとしての私が話しやすい「戦没者の慰霊」に焦点を当て、解説したい。アメリカ人の好きそうな「ツボ」を押さえ、非常に練られている。 「ゲティスバーグ演説」でつくられた米国の慰霊の形 南北戦争(1861-1865は)は今も米国に影響を与える。約60万人の死者を出し、当時の米国社会に
『労基旬報』3月25日号に寄稿した「メンバーシップ型の思想的一源泉」です。 http://homepage3.nifty.com/hamachan/roukijunpo140325.html 戦後労働法学である時期まで熱心に議論されたテーマに雇傭契約と労働契約の異同論があります。もともと戦前末弘厳太郞が、労働契約を「一定企業に於ける労働者の地位の取得」に向けられた、「従って単純なる債務的契約にあらずして一種の身分契約」であるとして、「労務及び報酬に関する債権債務を発生せしめることが直接の目的」である雇傭契約と区別したのが始まりです。法社会学的関心の高かった末弘にとって、これは現実の日本社会で行われているフォーク・レイバー・ローに即した理論であったことは間違いありません。同じく法社会学的関心の高かった磯田進が、終戦直後の時期に「日本の労働関係の特質-法社会学的研究」(『東洋文化』第1号)にお
小野田寛郎さんが91歳で亡くなってから1週間がたった。じつは、私の父・津田信は、1974年に小野田寛郎さんがルバング島から帰還したとき、小説を一時的に書かなくなって、『週刊現代』などの週刊誌のアンカー原稿を書いていた。その縁で小野田さんの手記のゴーストライターとなり、『週刊現代』に「わがルバング島の30年戦争」(のちに講談社から出版された)を連載した。そして、それから3年後、小野田手記は小野田さんが話したことを脚色したものであることを、『幻想の英雄』という本で明らかにした。 当時、私は大学生で、世間が小野田さんの帰還に大騒ぎをしているのは知っていたが、まさか父親が手記を代筆しているとは知らなかった。もとより、「最後の日本兵」と言われてもピンと来なかった。 それが、あるとき、父から頼まれて「着替えを持ってきてほしい」ということで、一気に小野田さんが身近な存在になった。というのは、父は手記を書
NHK経営委員の作家・百田尚樹氏が3日、東京都知事選候補者の応援演説に立ち、持論を展開した。経営委員の政治活動を禁じる法律や規則はないが、識者からは疑問の声もあがる。 ■演説で歴史・憲法観の持論展開 百田氏はこの日、都内3カ所で、歴史観や国家観が近いという元航空幕僚長の田母神俊雄候補の応援演説に立った。 NHKの籾井勝人会長は同日、就任会見での政治的中立性が疑われる発言について国会で改めて陳謝したが、百田氏は特定候補の応援をすることについて報道陣に「思想信条の自由。NHK経営委員はあくまで放送法によって縛られています。つまり放送に関しては徹底して不偏不党、あるいは中立。僕のプライベートな行動まで縛る法律ではないですよね」と答えた。 朝一番の新宿駅西口では米軍による東京大空襲や原爆投下を「悲惨な大虐殺」と話し、東京裁判について「これをごまかすための裁判だった」と自身の歴史観を披露。「1938
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