聚楽第で採取した土を使い手捏ねで成形し加茂川の鉱石を砕いたものを釉薬として用いる焼き物が樂焼き(黒)と呼ばれるそうで、中国や韓国から渡ってきたピカピカの茶碗こそという時代にあって利休が侘び茶を表現するため長次郎という人に依頼して初めてそういった無骨な茶碗に価値がもたらされたらしい。どうしてそこまで価値が逆転してしまうのか利休の影響力はそれほどだったのかよくわからないけれども、とにかくすごいってことになったようで長次郎の跡目を継いだ二代目が豊臣秀吉から樂の印を下賜されて直系の樂家はそういった茶碗を代々作ってきたそうだ。同じ製法で茶碗を作っている傍系のような窯も何件かあってそのうちの一軒で樂焼き体験教室に参加するのが京都2日目の予定だった。 前夜に藪蚊の襲撃を受けほとんど寝てなくて刺されたところも痒いしなんだか小難しい茶碗を作るということで自暴自棄もいいところだった。その体験教室的な費用も決し