ソ連海軍が作成した地図。北海道や対馬など占領を検討した地域には印がしてある(ロシア連邦外交政策文書館所蔵) 第2次世界大戦の日本の敗戦を機に、当時のソ連軍が北海道全島をはじめ、対馬や朝鮮半島南部の港など広範囲の占領を検討していたことが、ロシア連邦外交政策文書館がオンラインで公開している公文書に記録されていた。記載内容を、岩手大の麻田雅文准教授(東アジア国際政治史)が確認した。 【動画】「前にいた軍人が爆弾の直撃受け…」満州でソ連軍の侵攻を経験した男性の証言 確認されたのは、1945年8月16日にソ連首相のスターリンが、北海道北半分をソ連軍の占領地域とするよう米側に要求した内容の基になった草案。ソ連の赤軍参謀総長アレクセイ・アントーノフらが同日にモロトフ外務人民委員に提出したもので、「日本の主要な島々を、連合国のための占領地域に分割し、特にソ連には北海道を割り当てる」と、北海道全島占領を求め
日本平和委員会(にほんへいわいいんかい)は、日本の有限会社である[1]。個人加盟で平和運動を実施する団体の中央組織であり、地方組織として都道府県単位の平和委員会がある。 「核戦争阻止・核兵器廃絶、日米安保条約廃棄・在日米軍基地撤去・戦争法(安保法)廃止・安倍晋三政権打倒・日本国憲法の第9条を守り日本に再び戦争させないために全国各地で活動」するとして全労連や民医連など日本共産党と共闘している[2][3]。 また、慰安婦問題日韓合意に反対し、韓国の市民団体と連携して、日本が韓国に対する恒久的な誠意ある謝罪と賠償を行うことを求めており[4]、2017年3月、反対派の韓国市民団体が釜山の慰安婦像の前で開催した集会に参加し、「安倍晋三政権は慰安婦の歴史をゆがめ、朝鮮をはじめとするアジアの女性に性奴隷であることを強いた事実も無視している」と批判を行っている[4]。 概要[編集] 理念[編集] 「平和の
択捉(えとろふ)島、国後(くなしり)島、色丹(しこたん)島、歯舞(はぼまい)群島の4島からなる北方領土は、第2次世界大戦で日本が敗れた1945年にソ連に占領された。引き継いだロシアとの領土交渉は解決に至らず、日ロ両国の間に平和条約はない。打開をめざす安倍晋三首相とプーチン大統領との22日の首脳会談を前に、問題点を整理する。 歴史経緯:旧ソ連、1945年9月5日までかけて占領 江戸時代末期から明治期の日露戦争に至るまでの50年間、両国が結んだ日露通好条約、樺太千島交換条約、ポーツマス条約の三つの国際条約によって、千島・樺太の領有権は揺れ動いた。しかし、北方四島は一貫して日本領だった。 転機は第2次世界大戦だ。日本は米英両国との開戦前にドイツ、イタリアと三国同盟を結び、ソ連との間では中立条約を結んだ。日本の敗色が濃厚となっていた1945年2月、ソ連のスターリンは米英両首脳とのヤルタ会談で、対日
終戦から71年経過しましたが、いまだに解決していないのが、不法占拠されたままとなっている北方領土の問題です。12月15日にはプーチン大統領が来日し、山口県長門市で首脳会談が行われます。ことしは、平和条約締結後に歯舞群島、色丹島の引渡しを決めた1956年の「日ソ共同宣言」からちょうど60年の節目になりますが、平和条約や領土交渉の進展はあるのでしょうか。 あらためて、日ロ間にはどのような領土をめぐるやりとりがあったのか。歴史を振り返ります。
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