90年代末期に長州は現場責任者に就任しました。 その長州政権で西村はかなり冷飯を食わされたようです。 その原因は長州はラリアットを主体としたプロレス,西村は藤波から習得したグラウンドレスリングを主体としたプロレスです。そこに大きな溝があるようです。 長州自体猪木,藤波体制に異論を唱えた『革命戦士』ですから,藤波を徹底的に批判した長州からしてみればその藤波をいつまでも頼っている西村を批判するのも当然の流れなんでしょう。 さらにいえば,それが原因のストレスで体調を崩し癌を発病したと西村本人は言ってます。そのさいの治療法にたいしても長州は文句を言ったみたいで,さらに溝ができてしまったということでしょう。