富野監督の再評価の機運が高まるのは「エヴァ」ブーム以降、エヴァのルーツとして注目を集めた90年代後半以降で、それまではほぼ「過去の人」扱いだったと思う。当時宮崎駿が既に国民的アニメ作家だったのに対し、富野監督は80年代前半のブームを通過したアニメファン以外の認知度は低かった。
21世紀の現代に対応できた新しい「未来像」を提示できていないから。 これが最大の問題。 少なくともガジェットに関してはあの頃の未来技術はだいたい実現化してしまった。小さな通信端末はもちろん、ファーストガンダムでアムロがいじくっていた電子書籍端末も今年Ipadが出てきた。 また登場人物も、昔は「地球人」の代表キャラはだいたい欧米系の人が占めたが、今の社会は欧米人ではなくアジア系が優位に立ちつつある。 消費者の目が肥えてしまったのも一因だ。空気のない宇宙でバキュンバキュンする銃撃戦は15年前までならOKだったが、今そんなことやったら恥ずかしくて目も当てられない。ネットでも炎上する。 かといって00のように、やたら現代の社会構造や技術に擦り寄ったかたちにするのもそれはそれで問題。 それは単純な現代の延長であり、SFが本来やるべきワクワクするような「すこしふしぎ(SF)」的な意味の未来ではないから
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く