湯呑み @yunomi_123 メンクリで「いじめられて仕事にも就けず良いことが何もない。生まれないほうが良かった」「私みたいな人間は生きてても損をするだけ」って言ったら医師に「資本主義社会はそういうもんだからね~。そもそも社会が保障してるのは『機会の平等』であって『結果の平等』じゃないし」と返されてこうなった pic.twitter.com/POMsIoSKBf 2024-02-08 08:44:40
ちょうどよい事例が昨日から話題なので、再掲しときますね。 精神神経学雑誌1978年12月号に、松沢病院の藤森英之先生が書いた「精神分裂病における妄想主題の時代的変遷について」という論文が載っている。この論文、明治、大正、昭和のそれぞれの時代に、松沢病院とその前身である巣鴨病院に入院した2435人の分裂病患者のカルテを調べ、妄想の主題について調べたという労作。 この論文によれば、「電波」の妄想は明治大正には存在せず、出現したのは昭和初期のこと。「電波」のかわりに明治大正期に多かった表現は「電気」。まあ、明治期にはこういう系統の妄想よりも「狐憑き」みたいな憑依妄想が多かったのだけれど。時代が下るにつれて、妄想の内容もどんどん多様化していって、昭和36-40年には、「テレビ」「光線」「X線」「電子頭脳」「超音波」「空中放電」などが登場しているとのこと。テクノロジーの進歩を露骨に反映してるわけだ。
Twitterでは「うまいもの食ってなんかいい匂いする入浴剤入りの風呂に入ってぐっすり寝ろ!」というアドバイスばかり見るけど うまいものってやるべきこと片付けた時に食うからきちんと「美味い!」と思えるし、 酒は激弱で月に1度飲むか飲まないかレベル。ほろよい1本で顔真っ赤。すぐ寝るし、飲酒した日はだいたい悪夢しか見ない。 風呂なんかむしろ面倒でいつもクソ重たい腰上げて入ってるし、 (我が家の風呂が換気扇嫌いの祖母のせいで風呂入ったらそのまま放置→タイルやら壁やらカビだらけというのも風呂嫌いな理由のひとつだが…) 寝ても実際はストレスの根源である問題を先送りしているだけなので全く寝れないし、短時間で目が覚め寝起きと共に現実をみろ!と動悸が辛い。 動悸が始まると胃もたれもくるので、朝から寝たことを後悔するのも嫌な気持ちになる。 だったら先送りせず仕事してるほうが早い! パソコンの前に座ると動悸は
大抵の方は、学生時代の知り合い、ご近所の人、子どもを通じての関わり、趣味や活動の仲間、習い事と、身近なコミュニティーの中に、親しさの差はあるものの、友人がいるかと思います。 そんな中で、特段なにかトラブルがあったというわけではないのに、会った後に疲労感を覚える、連絡が来るだけで憂鬱になる、何となく心がもやもやする、なんてことはないでしょうか。 知らず知らずのうちに受けているマウンティング行為 そんなときは、知らず知らずのうちに相手からマウンティングをされているのかもしれません。 例(1)相手の話を受け止めずに、自分のほうが楽に受診できるアピール A「花粉症が始まったみたい。薬が欲しいけど、病院、待つから嫌だわ」 B「なに? 病院行くとき予約しないの?」 A「え? 予約はするけど、大抵時間どおりにいかないし」 B「私の通っているところ、わりと時間どおりで、そんなに待たされないよ。病院変えれば
TVアニメ ぼのぼの しまっちゃうおじさん Special DVD () 出版社/メーカー: 竹書房発売日: 2014/10/31メディア: 大型本この商品を含むブログ (3件) を見る どこまでが精神疾患で、どこまでが正常な人間なのかを判断するのは、とても難しい。 たとえば発達障害などもそうで、最重症の発達障害、重症の発達障害、比較的軽度の発達障害、精神科医によっては発達障害と診断する一群、発達障害っぽいが診断するほどではない定型発達の人、までのグラデーションがある。 みようによっては発達障害、みようによっては定型発達、という人に外来で出会った時、片っ端から発達障害と診断するのがベストなのだろうか? これに対する返答は、ドクターによって微妙に違っているように思う。どちらにせよ、障害と診断すべきかどうか迷うような人々が、誰でも診断できるような典型例の外側に、たくさん存在しているのは確かだ。
30近い人間の言うことと思えないが、リアルに困ってるので教えて欲しい。 叱られた時、どうやったら叱られた時のショックは蓄積しないで立ち直れるんだ?自分は空気があまり読めず、読めないが故に無礼な発言や過剰な発言が多い。KYなんて可愛いものではなく、基本的発想が自己中心的で無神経の域だと思う。 自己中の自覚はあり、人を不快にさせる発言を改善したい気持ちもあり、微々たるものだが改善してはいる。指摘してくれた相手には感謝しかない。 自己啓発系の本を読んで、失敗も経験といった考え方や、落ち込まないように抑制すると逆効果だからX時までとことん落ち込むと時間で区切る方法を学んだ。 実践してみてそれなりに効果はあったと思う。 「何で自分は言う前に気づけ無いんだ」と自責して終わりにせず、「これが駄目だったのならこう変えよう」と改善に繋げられるようになった。 なのに「またやってしまった!」と気づいた時のショッ
精神的にまいってしまい、休職をするという理は分かる。 でもそのあと、よく復職できますね? あなたが休職をすることで、周りの人たちに仕事のしわ寄せがいった。 恨み言を言うような人間はいないが、それはその状況を仕事として受け入れただけであり、あなたの休職を是としたわけではない。 あなたを許している人などいない。 あなたが復職をすることで、必要以上にあなたに気を使わなければならなくなった。 言葉には気を使わなければならないし、重い仕事を振ることは避けなければならない。 あなたは爆弾と同じだ。 あなたが精神的に弱いと主張するならば、あなたの行動は全く理解できない。 あなたは本当に傷つき、休まざるを得なかったのかもしれない。 それでも休んだときに他人に迷惑をかけ、復帰したときにも他人に心労をかけている事実は変わらない。 その自覚があるのなら、なぜ"精神的に弱い"あなたはそんなにも平然と過ごしているの
先日の日記に関してちょっと補足説明。ここまでは書いてもいいかなと思ったので。 10年ほど前、自分がうつ病で、でもそれに気付かずに仕事を続けたせいで、なんか手遅れなレベルまで鬱が酷くなって。 うつってひどくなるとメンタルだけの問題じゃなくって身体も駄目になるんですよ。で布団から、精神のレベルではなく肉体のレベルで起き上がれなくなって。ちょうど低血圧のあのしんどいのを100倍くらいにした感じになります。 で、気合で何とかしろとか言われるかもしれないけれども、その気合が0になって出すことが出来ない状態がうつなので(それでも鬱なんかやる気がないだけだ、気合で乗り切れ、という人はいますが)本当に働けないし、辛いし、病院の薬は効かないし(きかない、というか、死ぬほどの絶望感、ワイヤーで首をしめるような絶望感が、真綿で首を絞める状態に変わるような状態に変わるだけで、苦しさの送料は変わらない感じ)うつにな
プライベートなことはあまり書かないようにしているのだが、思うところあって少し書き記しておこうと思った。 早速本題だが、最近仕事に行っていない。行けていないというべきか。 無断欠勤ではないが、さすがに1週間近くも個人的な判断で休むのは、社会的にも迷惑だろうから、かたちの上だけでも心療内科に行っておく必要があると判断したからだ。(もちろん、同じプロジェクトに関わる人たちへの、より直接的な迷惑をかけていることは承知している) 個人的に、「うつ状態」が何たるかという知識には乏しい。なので、自分が「うつ状態」であるという認識はなかった。医者から「結構深いうつ状態ですね」と言われて、初めて「あぁ、そうなんだ」と認識した。確かに、症状だけ見れば、「社会的な役割を放棄している」「無気力」その他諸々、を鑑みるとそのとおりだなぁ、と改めて自覚する。 理由(原因)は自分でもよくわからない。そもそも、脳内物質と
うつ病に代表されるメンヘルそのものは現代社会が生み出した病気であり、 患う者を差別したり馬鹿にすることは許されない。 「うつが酷くて布団から出られない。会社を休みたい」 これは怠慢でも何でもなくうつ病の症状なのだ。 私も短期間であるがうつ病を患った身なので痛いほど気持ちは理解できる。 それでも大半の者は決死の覚悟で起き上がり、電車に揺られて会社へ行く。 生きるために、飯を食うために、決死の覚悟で布団から出るのだ。 彼らは病人ではあるが、自分や家族を食わせなくてはならない。 「決死の覚悟」と書いたのは大袈裟な表現では無い。 事実、その布団へ戻れない者がいるのだ。 ある者は高層ビルから身を投げ ある者は縄に首をかけ ある者は電車に飛び込む うつ病患者の自死は健常者のそれとは性質が大きく異なる。 健常者は人生にもがいて、それでもどうにもならない状況に追い込まれたとき、将来に絶望し、死を選ぶ。 う
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