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地震と文化財に関するatohのブックマーク (1)

  • 熊本城の崩れた石垣 明治時代の修復箇所に集中と判明:朝日新聞デジタル

    地震で被災した熊城で、崩れ落ちそうな建物を「一石垣」が支えている姿が注目を集めた飯田丸五階櫓(やぐら)の石垣について、明治期の地震で修復された南面と東面が大きく崩れていたことがわかった。 1年かけて行った石垣の解体が24日にほぼ終わり、熊城総合事務所が27日にあった熊文化財修復検討委員会で報告した。 崩落は前震の際に南面、震で南面や東面が崩れ、「一石垣」がかろうじて建物を支える状況になった。 1877年の地震に伴う修復…

    熊本城の崩れた石垣 明治時代の修復箇所に集中と判明:朝日新聞デジタル
    atoh
    atoh 2019/05/29
    1877年は西南戦争で天守が燃えた年だな。地震(金峰山地震)は1889年。この時、かなりの石垣が崩落したようだ。
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