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これはひどいと頭がおかしいに関するbogus-simotukareのブックマーク (3)

  • 単なる女性自衛官募集番組(それも程度の低い)になり下がった「映像の世紀 バタフライエフェクト」の「戦場の女たち」: 白頭の革命精神な日記

    12月29日づけ「宗教が憎悪と分断の原動力になり下がり、政治の道具になり下がった正真正銘の戦争国家」で取り上げたとおり、ウクライナでは宗教が憎悪と分断の原動力になり下がり、同時に、政治の道具になり下がったところですが、このことについて日メディアはまったく問題意識も批判精神も発揮していません。 「今日のウクライナは明日の台湾・沖縄」をスローガンに戦時プロパガンダの予行演習に余念がないNHKですから驚くに値することではありませんが、安保三文書の改訂に漕ぎつけることに成功し、最近はますます形振り構わなくなってきたと言えるでしょう。 このことについて上掲記事で私は、「いままでは、偏狭で狂信的に過激な民族主義者の破壊的な主張として眉を顰められるようなトンデモが堂々と公共電波に乗る日が来るのかもしれません。既にその萌芽は見えています。」と書き、12月19日初回放送「映像の世紀 バタフライエフェクト」

    bogus-simotukare
    bogus-simotukare 2023/01/05
    番組はライチュ回顧録の引用に非常に時間を割いていました。戦後も「ナチの大義」を誇ったライチュを「悲しみの物語」に登場させるのは人選ミスであると思います。戦意高揚、女性自衛官募集番組としか思えません
  • 【日本人の心 楠木正成を読み解く】第1章 時代を駆け抜けた5年間(9)最期の地 今も訪ねる人々(2/3ページ)

    得意の武略を封じられて戦場に赴き、死力を尽くした末の自害を『太平記』は称賛する。 〈智仁勇の三徳を兼ねて、死を善道(ぜんどう)に守り、功を天朝に播(ほどこ)す事は、古(いにし)へより今に至るまで、正成程(ほど)の者は未だあらず〉 大義の正道に殉じ、朝廷に武勲を立てることで史上、正成ほどの人物はいなかったという絶賛である。 ◇ 尊氏側の記録『梅松論(ばいしょうろん)』も、正成は、人心が尊氏側に移って勝ち目がないことを知り、涙を流しながら天皇に和睦(わぼく)を勧めたが聞き入れられず、自刃につながったと伝え、〈誠に賢才武略の勇士とはこの様な者を申すべきと、敵も味方も惜しまぬ人ぞなかりける〉と評する。 私心を捨て大義に生きた正成。だが果たして、迷いはなかったのか。正成は湊川への途中、広厳(こうごん)寺(神戸市中央区)に臨済宗の僧、明極楚俊(みんきそしゅん)を訪ね、生死の岐路に立った際の心構えを請う

    【日本人の心 楠木正成を読み解く】第1章 時代を駆け抜けた5年間(9)最期の地 今も訪ねる人々(2/3ページ)
    bogus-simotukare
    bogus-simotukare 2019/04/19
    産経『知覧特攻平和会館の川床参事によると、特攻隊員の遺書にも『七生報国』は出てくる。回天楠公社奉賛会の橋本秀雄氏は「国家のため大義に生きて大義に殉じる楠公精神が心の支えになっただろう」と分析する』
  • 【日本人の心 楠木正成を読み解く】第1章 時代を駆け抜けた5年間(9)最期の地 今も訪ねる人々(1/3ページ)

    ≪弟と自刃≫ 九州から京都に進軍する足利尊氏(あしかがたかうじ)の軍勢50万騎に対し、700余騎で挑んだ楠木正成(くすのきまさしげ)の湊川(みなとがわ)の戦いは約6時間にも及んだ。正成の手勢は70騎余りに減り、正成も11カ所に手傷を負った。死を覚悟した正成は民家に入り、弟、正季(まさすえ)と自刃(じじん)した。 この際の兄弟の会話は、後に「七生報国(しちしょうほうこく)」(七度生まれ変わってでも国を守る)となる「七生滅賊(めつぞく)」(七度生まれ変わってでも、朝敵を滅ぼす)という言葉を生んだ。正成の最期は、天皇に忠義を尽くして国を守るのが武士(もののふ)の大義として、時代を超えて広がっていく。 ◇ 湊川神社(神戸市中央区)の北端、クスノキが生い茂る一角に、白いしめ縄で囲まれた場所がある。湊川の戦いで敗北を覚悟した正成が、弟、正季と自刃した場所「御殉節地(ごじゅんせつち)」だ。「七生滅賊」と

    【日本人の心 楠木正成を読み解く】第1章 時代を駆け抜けた5年間(9)最期の地 今も訪ねる人々(1/3ページ)
    bogus-simotukare
    bogus-simotukare 2019/04/19
    産経『正成の生き方は時代を超えて敬慕された。先の大戦で人間魚雷「回天」を考案した黒木少佐は国と家族を守るために、特攻兵器という苦渋の選択をした』
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