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笹山敬輔に関するnaglfarのブックマーク (7)

  • 高田純次 71歳 真面目に語る「30歳の決断、40歳の決断」 | 文春オンライン

    高田 そうそう。雨の日のロケだと通りすがりの人に声をかけても反応悪いのよ。 ―― 「どうも、東方神起です」と声をかけたり、“高田純次と名乗らない”高田さんの真骨頂は朝のお散歩番組でも発揮されてますもんね。でも、高田さんはもともとアングラ演劇出身の「演劇人」。まずは、その知られざる「真面目な高田純次」時代についてお伺いしたいと思っています。 高田 何でも聞いてください。一応、僕の肩書きは「舞台俳優」ということになってるから(笑)。いやいや、正直なところ僕が演劇についてどうこう言うのは、おこがましいんだけどね。 ―― と仰いますが、高田さんと演劇の出会いはシェイクスピアの『マクベス』。これをアングラ劇団・自由劇場が上演したのを観たのが、演劇の世界に入るきっかけだったとか。 高田 45年前だから25歳くらいか。六木の劇場で、串田和美さんが演出。吉田日出子さんや佐藤B作さんが出てました。 ―― 

    高田純次 71歳 真面目に語る「30歳の決断、40歳の決断」 | 文春オンライン
    naglfar
    naglfar 2020/02/26
    真面目なんだけど適当だよね。人生設計はしない感じ。
  • 高田純次、笑いを語る「たけしさんが笑うか。それが問題だった」 | 文春オンライン

    高田 東京乾電池として、司会が三波伸介さんのときに1回。当は2コントをとって、2週連続で放送する予定だったんだけど、劇団の1人がフンドシに日の丸を描いて出たの。日の丸をそんな風に扱っちゃダメだということで、1ボツになった。言っとくけど、俺じゃないからね。 ―― はい(笑)。そのころは、人力舎に所属してお笑い活動もしていたと聞いたんですが。 高田 人力舎に入ってたわけじゃないんですよ。人力舎に篠原さんというマネージャーがいて、手弁当で僕たちを手伝ってくれたんです。東京乾電池は人気があるといっても、キャパの小さいジァン・ジァンが満席になったところで高がしれてるし、全然お金にならない。だから、人力舎というプロダクションには入れてくれなかった。僕は相変わらず、道路工事やら大道具のバイトやらでいつないでましたね。 ―― 東京乾電池が全国的に知られるようになったのは、1980年に始まったフジテ

    高田純次、笑いを語る「たけしさんが笑うか。それが問題だった」 | 文春オンライン
    naglfar
    naglfar 2020/02/26
    演劇としてのお笑い……コメディアンなのかな。
  • もうすぐ72歳 高田純次「こんな夢、語っちゃダメですか?」 | 文春オンライン

    高田 1月21日で72歳。弱っちゃいますよ。気づいたらこの年になってたって感じだね。腰の手術をしただけで、健康ではあるんだけどさ。どうして72になっちゃったかなあ。 ―― 『週刊女性』の記事で、「抱かれたいお年寄りランキング2018」というのがありまして……。 高田 そうそう、そうなのよ。これはね、「お年寄り」だけ外してくれって言ってるの。 ―― 高田さんは見事3位です。 高田 これは4位を話さないとダメなのよ。4位が田村正和さん。これが重要なんだよね。「えーっ、あの田村さんが4位なのに」ってなるから。1位が渡哲也さんで、2位が北大路欣也さんでしょ。2人とももう女の子やっつけたりしないだろうけど、僕は薬飲めばなんとかなるから(笑)。だから実質1位だと思ってる。 ―― 実質1位(笑)。 高田 でも現実的にはそうはならないよなあ。抱かれたいお年寄り3位になってから、「抱いてください」って名乗り

    もうすぐ72歳 高田純次「こんな夢、語っちゃダメですか?」 | 文春オンライン
    naglfar
    naglfar 2020/02/26
    かっこいいなぁ。好き。
  • 仲本工事 77歳 今だから語る「いかりやさんとの“バカ兄弟”が一番難しかった」 | 文春オンライン

     そうです。ここはかみさんが仕切ってて、僕は注文とったり料理を運んだりする使用人(笑)。 ―― ドリフファンにはたまりませんね。 仲 僕が東京にいるときはほとんど店にいるんで、今度ぜひ来てください。隣にカラオケの店もあって、今日はここで取材受けます。 「こぶ茶バンドのTシャツ着てきたよ」 ―― ありがとうございます。先日、高木ブーさんにインタビューさせていただいたんですが、とても反響が大きかったんです。 仲 あっ、そうなの。ちゃんと喋った?(笑) ―― はい、貴重なお話ばかりでした。ぜひ仲さんにもお話をお聞きしたいと思いまして。高木さんと同じく、仲さんも最初はミュージシャンですよね。きっかけは? 仲 大学生のときのアルバイトだね。僕は、中学から高校まで体操部に入ってたんだよ。東京の大会では、いい成績を収めたこともあります。このままいけば、大学4年で東京オリンピックに出られるぞ

    仲本工事 77歳 今だから語る「いかりやさんとの“バカ兄弟”が一番難しかった」 | 文春オンライン
  • 77歳 仲本工事が語る“ドリフ秘話”「加藤は天才、志村は秀才」の理由 | 文春オンライン

    ◆ 目って演技には欠かせない要素だと思う ―― カンヌ国際映画祭にも出品された『寝ても覚めても』には東北の漁師役で出演されていますよね。メガネを外されていたので、最初は仲さんなのか分からなかったんですが。 仲 わかんなくていいんですよ。僕は何でもいいんです(笑)。 ―― ヒロインの唐田えりかさんが「仲さんの目は、いろんなことを経験した人の目で印象的でした」って仰っていて。 仲 唐田さんとは二人になるシーンがいくつかあってね。駅の改札のシーンとか、玄関口のシーンとか、僕にとっても唐田さんの目は印象的でしたよ。ああ、こういう人間的な訴えを持った眼差しを、瞬間的に出せる人ってなかなかいないよなって。やっぱり、目って演技には欠かせない要素だと思う。 『寝ても覚めても』に仲さん(左)は東北の漁師役で登場 ©2018 映画「寝ても覚めても」製作委員会/ COMME DES CINÉMAS 

    77歳 仲本工事が語る“ドリフ秘話”「加藤は天才、志村は秀才」の理由 | 文春オンライン
  • ドリフターズ“第5の男”高木ブーが語る「これからのドリフでやりたいこと」 | 文春オンライン

    高木 これはね、許可をもらったの。ドリフは単品で仕事をするってことがありえなかったんですよ。でも、『ドリフ大爆笑』がひと区切りついて、もう好きなことしていいよってなった。そこで何をやろうか考えて、「そうだ、昔やってたハワイアンがある」って。だから、ドリフのメンバーも僕がウクレレ弾くって知らなかったと思う。 ―― 1999年にNHKでウクレレ教室の番組が始まりました。 高木 よく探してくれたなと感謝してます。でも、おかしいんだよ、NHKなのに“雷様”で出てるんだから。 ―― 高木さんのミュージシャンとしてのルーツは、ウクレレなんですね。 高木 戦争が終わって2、3年経った頃、15歳の誕生日に兄貴がウクレレ買ってくれたんだよ。そしたら、そのころ千葉の柏にいたんだけど、増田進って人から「ハワイアンやろう」って誘われたの。それで初めて、ウクレレを弾いた。 ―― きっかけは偶然だったんですね。 高木

    ドリフターズ“第5の男”高木ブーが語る「これからのドリフでやりたいこと」 | 文春オンライン
    naglfar
    naglfar 2018/07/30
    焼夷弾を実際に見た経験……。
  • 高木ブー 85歳 今だから語る「長さんは僕にだけ、愚痴をこぼした」 | 文春オンライン

    高木 ああいうの大好きなの。作った人に感謝してるんだよ。 ―― メンバーが揃うのを見るのは、ファンとしてもうれしい限りです。 高木 今の人の笑いのセンスもすごいと思うけど、僕らは全部、体を張ってやってきたからさ。どんな転び方したらいいのかって考えたりして。タライもそうだよね。まさか80歳を超えてタライを落とされるとは思わなかったけど(笑)。 ―― 今日は、ミュージシャン時代から『8時だョ!全員集合』まで、芸能活動全体のお話を伺いたいと思っています。まずは、ドリフターズとの出会いから教えてください。 高木 僕は途中から加入したメンバーで、ドリフとはジャズ喫茶で知り合いました。そのころのジャズ喫茶は、30分交代で2つのバンドが出るんですよ。僕らのバンドが出たとき、その相手がドリフだったことがあったんです。 僕はドリフに引き抜かれたんです ―― そのときのドリフには、いかりやさんや加藤さんは?

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