井伊 直弼(いい なおすけ)は、江戸時代後期から幕末の譜代大名。近江彦根藩の第16代藩主。幕末期の江戸幕府にて大老を務め、開国派として[1]日米修好通商条約に調印し、日本の開国・近代化を断行した[2]。また、強権をもって国内の反対勢力を粛清したが(安政の大獄)、それらの反動を受けて暗殺された(桜田門外の変)。 幼名は鉄之介(てつのすけ)、後に鉄三郎(てつさぶろう)。諱は直弼(なおすけ)。雅号には、埋木舎(うもれぎのや)、柳王舎(やぎわのや)、柳和舎(やぎわのや)、緑舎(みどりのや[3])、宗観(そうかん)、無根水(むねみ、異体字:无根水)がある。大獄を行って以降は井伊の赤鬼(いいのあかおに)の渾名でも呼ばれた。 生涯[編集] 家督相続まで[編集] 生誕地(彦根城二の丸槻御殿) 文化12年(1815年)10月29日、第14代藩主・井伊直中の十四男として[4]近江国犬上郡(現在の滋賀県彦根市金