Photographs from Tuol Sleng (S-21) prison
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日野宿発見隊 ひのっ子日野宿発見 日野宿発見隊事務局 東京都日野市日野本町 7-5-14 日野市立日野図書館 Tel: 042-584-0467 中央線は平行して走る京王電気鉄道と競うようにして電化が進められ、昭和5年(1930)に浅川駅(現・高尾駅)まで全て電化されました。続いて昭和10年からは、立川以西を複線化する工事が始まりました。これにともない、急坂を登る台地の上にあった日野駅は現在の位置に移転し、豊田駅(明治34年開業)とともに新築されることになりました。 昭和12年(1937)6月1日、中央線が電化複線化された時、新日野駅が誕生しました。 昭和7年には駅の下を通る新甲州街道が完成しており、駅はこの道に面して作られ、築堤の上にある「島式」の乗降場(ホーム)へは階段で上り下りするようになりました。新しい駅はまちの新しい中心となりました。 設計者は旧交通博物館(万世橋駅)などを設計し
終戦70年を目前に、鵠沼郷土資料展示室(鵠沼市民センター内)では、企画展「あの戦争が終わって……70年」を9月15日(火)まで開催している。午前10時から午後4時(月曜休館)。 会場では戦争勃発の経緯から、激化に至るまでの大まかな流れを踏まえ、食糧難にあえいだ当時の貧しい暮らしぶりや、空襲におびえながらの勤労、軍国教育などが約500点の写真とともに紹介されている。 終戦間近に「8月24日に藤沢地区を爆撃する」との爆撃予告が書かれた伝単(ビラ)が、米軍のB29からばら撒かれた様子や、藤沢近海から上陸して本土決戦を企てる米軍の「コロネット作戦」に対抗して赤柴八重蔵中将が江の島島内に作った砲台の写真、戦後、相模湾に大挙した連合国の大艦隊の写真なども展示。また、外務大臣で元首相の広田弘毅氏、外交官の森島守人氏、ユダヤ人に「命のビザ」を発給した外交官の杉原千畝氏の戦後の鵠沼での生活をはじめ、山本五十
長崎港から南西20kmほどの海上に浮かぶ無人の島「端島」。 わずかな土地に林立した鉄筋コンクリート造の住居群と護岸壁により、その姿が戦艦のようにみえることから「軍艦島」と呼ばれている。 この島には最盛期で5,000人を超える人々が居住し、その人口密度は当時の東京の9倍に達していたという。 いったいどのように軍艦島は誕生し、そして無人化したのか? かつて軍艦島に居住した伊藤千行氏の写真、および4Kカメラやドローンなどで記録した現在の映像を交え、その歴史と魅力に迫る。 写真:伊藤千行、西日本新聞社 映像:西日本新聞メディアラボ 参考文献:阿久井喜孝 著「軍艦島海上産業都市に住む」 岩波書店 2004年
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