鞆の浦には、まるでここだけ時間の速さが違うかのような、ゆったりとした時が流れています。晴れた日の朝は、南東の方角に開いた港の向こうから、朝日を受けて赤や金色に色づいた海が歩を進めるようにじわりじわりと近づきます。日中、太陽が高い時間帯は真っ青に染まった空と海がどこまでも広がり、日が傾き始めると、ほのかにオレンジ色を帯びた陽光が鞆の浦のノスタルジックなまちを温かく包み込みます。まちの北西に山々を抱く鞆の浦は、日暮れの時間が少しだけ早く、太陽はまちを赤く染め上げる前に山の向こうへと沈んでいきます。日の出とともに目覚め、日の入りとともに眠るまち、鞆の浦。ゆるゆると流れる時に身を委ね心軽やかに過ごせば、いつの間にか忘れかけていた“自然のリズム”を取り戻せるかもしれません。
2014/2/11 福山市(旧新市町)藤尾堂前 # 10-1 平成26年,2番目の廃校廃村への旅では,市街地の近くにもかかわらず,規模が大きい広島県・備後の農山村の廃村 藤尾堂前(Fujio-dounomae)を目指した。藤尾堂前は,福山駅からクルマで1時間ほどの山間地(標高約450m)にあり,最寄りのバス停(中国バス)板橋から3kmほどの距離にある。 藤尾堂前は,平成25年12月,「村影弥太郎の集落紀行」Webに堂前として取り上げられていることから,その存在を知った。「旧藤尾村役場や学校があった」という記述が気になり調べると,芦品郡藤尾村は昭和34年7月に大部分が新市町に,一部が三和町に編入となった行政村で,堂前はその中心部にある集落ということがわかった。「廃村千選」が定着してきたこの時期,村役場が所在していた廃村を新たに発見するとは,思いもよらずだった。 # 10-2 昭和25年の藤尾
はじめまして。旧駅家町役場の近隣に住んでおり、母親 (70代)が駅家町役場から奉職しておりました。母親は この建物での執務経験はなく、実は北西に当たるところに 北部市民センターに移転するまでに旧駅家町役場から 福山市駅家支所になった建物があったのです。現在は取り壊されてますが。ですのでこの北側の道路が異様に広いのは役場への取り付け道路でした。ですので役場としての使用期間としては1960年代ぐらいまでと思われます。 ですので合併の1975年までは使用していないです。 今は取り壊されてますが、西側の不自然なつながりのところには旧駅家交番があって、自分の記憶では某化粧品サロンになっていたのを覚えています。
福山市でのクラブ設立を目指し、「福山にプロサッカークラブをつくろう会」(会長=小林政嗣・福山青年会議所理事長)が17日、設立された。同会の構想では、2020年頃に法人組織を設立して、チームを発足させ、将来はJリーグ入りを視野に入れる。 同会は、サッカーに関心のある市民や、同JC会員ら約50人で構成。事務局は、福山商工会議所内の同JCに置く。 計画では、月1回程度、意見交換会を開催。講演会やシンポジウムなどでクラブ設立に向けた機運を盛り上げる。行政や企業の協力を得て、来年度をめどに、「プロサッカークラブ設立協議会(仮称)」を設置。母体となるチームやJリーグ加盟条件などを検討し、20年頃には法人組織の設立、チーム発足を目指すという。 サッカーを通したまちづくりや、国際交流、青少年の育成も目標とする。 同市霞町のまなびの館ローズコムで開かれた設立総会後の第1回会合で、小林会長は「現時点で語ってい
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